?H1> 友ヶ島2007年4月5日、第四砲台将校住宅編

本島へ戻り 第四砲台の一部を掠めて、戻る途中、脇道を見つけましたので入っていきました。
するとこのような基礎が残っていましたが何の基礎かわかりませんでした。

正規のルートを使わず、適当に第四砲台方向に行くとレンガ造りの何か建物が見えてきました。
当初ここを第四砲台とは思わずに、以前に訪問した時に全部見れなかった 第三砲台の将校住宅と思い込んでいました。
のちにレポートしますが、あまりにも第三砲台の将校住宅に似ていたのでそう思い込んでしまいました。

平屋瓦葺レンガ造りと言ったら良いのでしょうか?丈夫な造りの為かまだ原形を保っています。しかし、倒壊の可能性があるので立ち入り禁止のロープが張ってありました。
将校住宅と言ってもこれ一棟しか見当たらず、そんなに大きくないのでこの砲台の一番えらい人の住宅だったのでしょう。

中は荒れ放題なのですが、未だに漆喰の壁が残りメインの梁や柱はまだしっかりしています。今なら修理は可能な筈なんですが、支援は無理なんでしょうか?

屋根の一部が崩壊始めています。しかし屋根の残っている廊下部はまだ床材もしっかり残っていました。

台所は、流しはコンクリートなので残っています。茶碗や湯飲みが割れるのはこのコンクリート製や石製の流しで多く発生しており、金属(主にステンレス)の流しはこの辺りが生産性も相成って後の時代中心になっていくのです。

当時の窓は、もちろんアルミサッシは無いですから、木枠だったのでしょうか?今は全く無くなっているのでわかりません。

奥の床の間は、床が抜け腐っていました。屋根と窓があればここまで腐らずに残せたのではないでしょうか?残念でなりません。
その隣から。いよいよ砲台跡に進みます。
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これはスゴイ!自分が見た砲台跡は台座とか弾薬庫とか、砲台に直接関係あるものしか残っていませんでしたが、この住宅は貴重ですね!離島故、家族と住んでいたとは思えないので、将校たちが共同生活をしていたのでしょうか?ここの砲台跡も楽しみにしています!
2007/7/18(水) 午後 11:16 [ Kitaro ]
あつさん>ありがとうございます。
この島はかなり貴重だと思いますが、やはり、予算と言う壁があるのでしょう。
この先も続けていきます。
お楽しみに〜
2007/7/19(木) 午後 3:27