?H1> 友ヶ島2007年4月5日、第三砲台将校住宅編

第四砲台から、淡路島方面つまり西に暫くダラダラした山道を登って行くとレンガ造りの切り通しが出てきました。
ここの島では必ず正面入り口には切り通しがあるようです。その先に先程の第四砲台跡にあった 将校住宅によく似た第三砲台跡の将校住宅が現れました。
2005年の訪問時に行けなかった場所です。

第四砲台跡の将校住宅より、こちらの方が少し大きいように思えます。
建物の傷み方は同じようなものです。ここも早いうちに補修すればと思うのですが、難しい問題のようです。

中にはレンガ造りの台所がありました。当時はガスレンジではなく炭か薪を使ったおくどさんだったようです。

トイレはもちろん汲み取りでした。便器が綺麗に残っています。

ここが将校の自室でしょうか?やはり綺麗に整備して、解説等備えるべきですね。

お風呂も薪焚の五右衛門風呂です。けっこう小さなお風呂で今の平均男性では入れ切れないかもしれません。

さらに奥には少し大きな部屋がありました。居間でしょうか?会議室?食堂?謎ですね。

窓は太い針金で格子がしてありますがこれは戦後にされたものでしょうか?

一番奥の土間の部分はこのような石の窓でしたが、よく見ると何か変です。

裏に回ってみると銃眼になっていました。よく江戸時代の城に見られるものと同じです。

それが私達の入ってきた入り口を狙っていました。でも、こんな島で白兵戦になるような事態では、この要塞どころか日本本土が終わってるような気がします。

この将校住宅の横にもう一棟レンガ造りの建物がありました。
これは、当時の発電所の跡だそうです。

小さな発電所です、中は既に蛻の殻です。当時の電気使用量ならこれで十分だったのでしょうか?

その横では立派な桜が咲いていました。昔の事を知らぬ人は居ても、桜は知っているでしょうか?

島内ではなんと 朝日放送の歴史街道の撮影が行なわれていました。
既にテレビでは放送されていますが、撮影カメラ一台の小さな撮影隊でした。

ここは最後の決めのシーンですが、なんとデレクターの一人が大きな声で決めの時に流れる曲を口で叫びそれに合わせてレポーターが動きます。
こんなけったいな撮影だとは思いませんでした。
廃墟に「タララ、ラッタンタンン〜♪」オジサンの声が響いていました。
時間がありません次に行きましょう。
|