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いつだったか数年前に鳥取砂丘に行った時に砲台跡と言う表示を見つけました。 それは、このように道路標識に書いてあるのみで、他にに記述はありません。いったいこれは何なのか訪問してみました。 行く前にネットで検索してみたのですが探し方が悪いのかこれと言ったヒットがありませんでした。
太平洋戦争時のものなのか、それ以前のものなのかもわからずでした。
鳥取砂丘は日本三大砂丘のひとつで、山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されています。日本最大の砂丘とも言われ1955年に国の天然記念物に指定され、2007年には日本の地質百選に選定されたそうですが、この砂丘のどこに砲台跡があるのでしょうか? 既に、砂の下なんでしょうか?先ほどの看板から700メートルと書いてあるのでそんなに遠くではありません。 思ったよりさびしい境内です。この社務所に2人神社の関係者の方が居られましたが、なんと砲台跡があるのは知っていたようですが、行った事も歴史も知らないとの事でした。 「ちょっと調べないかんなぁ」そう言ってましたが、それで良いのでしょうか?一応は護国神社の方なのですから、知っておいて欲しかったです。 境内の左側には旧日本陸軍の九二式重機関銃や水筒といった1945年(昭和20年)の太平洋戦争の末期フィリピンのルソン島バレテ峠の激戦地において、鉄兵団が米軍と交戦したときに日本兵が使ったものが、収集され展示されていました。 車に戻ろうとした時に近所の方が散歩していました。砲台跡の事を聞くとかなり前に無くなったと教えてくれました。 太平洋戦争当時のもので、この辺一帯に砲台があったそうです。なにか残っていませんかと聞いたら、指差して「これ!」と言われたのが砂丘パレスの前のロータリー…確かにちょっと変な位置にはありますが灯台下暗しです。 このロータリーの枠が砲台の枠?と疑問がわきますが、よくブログに来てくださる気ままよろず日記のあつさんがそんなパターンの遺跡を見つけているのでそうかも知れない…気が付かないわけだ。 有島一郎と一里松で検索をかけると日本海新聞に以下のような記事がありました。 「一里松」守れ 鳥取砂丘旧砲台の有島歌碑移転へ 有島武郎の歌碑と一里松=鳥取市浜坂の旧砲台 鳥取砂丘の旧砲台(鳥取市浜坂)にある一本のクロマツ「一里松」を守ろうと、鳥取市は五日までに、作家・有島武郎の歌碑を移転する方針を決めた。歌碑が砂の流れを止め、隣接するマツを枯らせてしまう可能性があるためで、地元住民の要望を受け入れた。十月には歌碑を観光客にも見えやすい道路沿いに移転したい考え。 マツは高さ約八メートル、幹回り約三メートル。枝幅は東西に約十五メートル伸びており、地下約〇・五メートルで分岐しているため二本のように見える。樹齢は百五十年以上で、市の銘木・古木にも選ばれている。 「歌碑があるため砂がマツの根元に堆積(たいせき)し、呼吸ができなくなって枯れてしまう」。浜坂地区の住民で樹木医の吉岡武雄さんは訴える。以前は二十メートルほど離れた場所に別に一本のクロマツが生えていたが、枯れたために伐採され、一里松も葉の色が黄色味を帯びるなど衰退の兆候が現れているという。 クロマツの保全活動に取り組む地元住民の有志は、ことし三月と五月の二回、歌碑の移転を市に要望。市は今月二日、現地を視察し、高さ約三・五メートル、幅一メートルの歌碑が風を防いでいるため、マツの根元に約一メートル以上の砂が堆積している現状を確認した。 歌碑は一九五九年に建てられ、有島武郎が心中する約一カ月前に鳥取砂丘を訪れて詠んだ短歌「浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしき我を見いでけるかも」が記されている。市は歌碑を観光客にも見えやすいよう、マツの北側から南側の道路沿いに移す方向で検討している。と言うのがありました、その一里松のところが砲台だったというのです。 |
戦争遺跡
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