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先日の石屋川トンネルを見に行った時に、隣の住吉川の天井川の両サイドの遊歩道が「ダンプ道」と呼ばれているのを思い出しました。 社会科の授業で「山、海へ行く」のキャッチフレーズで行われた「神戸方式」「株式会社神戸」と呼ばれていた時代の事を習った時に聞いたのだと思います。 一つの事業で二つの土地を手に入れたとか、これからの自治体の進み行く姿とか散々もてはやされた時代のお話です。 今では、大半の自治体が赤字化の道をたどり、それはこの神戸市も例外ではありません。 それはさて置いて、1963年この住吉川の上流の渦森山の宅地開発を始める事になりました。 その土砂を住吉川の臨海部埋め立てに輸送するに関して輸送手段の問題が生じました。いろいろな案が出て、河川敷にベルトコンベアーを引く案も出たようですが、輸送量と建設費を考えたところ、ダンプによる人海作戦でピストン輸送される事となりました。 当時交通戦争とも言われた交通事故の増加や環境に与える影響が考えられ、都市部の道路を縦断するのははばかられたので、河川敷を整備し、そこにダンプを通らせる案が浮上し住吉川の両岸が整備され、ダンプはそこを走行する事になりました。 一説によると、ダンプ道は6年間使用され延べ190万回往復した話もあります。 この削られた山は1974年に渦森団地となりました。 運ばれた土砂は主に神戸市東灘区の魚崎浜町通称「第三工区」となりました。 このダンプに行き交ったダンプ道は1977年頃に再び遊歩道として開放され今日に至っているそうです。 まずは海側からたどって行きます。ここは住吉川の河口で、六甲ライナーの南魚崎駅が見えています。 河川の両側が盛り上がりが、河中から地上に車が上がっていた事を物語っています。ここからダンプは、第三項句のほうに土砂を運んでいったようなのですが、地元の人から定かでない話しを聞きました。 その方、60歳後半ぐらいの男性の話なのですが、この六甲ライナーのルートはベルとコンベアー方式にしたときの計画線上だと言うのです。 確かにここの以外の開拓地である鶴甲山や高倉山の土砂採取はベルトコンベアー方式が取られ、この渦森山もその公算が強かったと思いますが、そうだったのでしょうか? またこの方は、この魚崎南駅のこの場所から、土砂の一部を艀にを移し変えて運んでいたと言われました。 河中から上がってこの場所までなだらかな傾斜ですし、横にはべるとコンベアー計画線と言う六甲ライナーの橋脚があります。 確かにそれっぽく思えます。 さて、それでは河口から上流に向かうことにします。上流側にはまず大きな障害物である国道43号線と阪神高速3号神戸線が通る住吉川橋あります。 さらにその上流は阪神電車が通っています。住吉川橋から上流を見たものですが。 ちょうど上と同じ地点の住吉川橋から撮影した当時の写真が手に入りましたが、この当時はまだ何も無かったのですね。確かにダンプが通っていた事がわかります。 |
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この写真が見られて感激です。貴重な画像ありがとうございました。
2008/9/7(日) 午後 11:48 [ cur*ys*hnit**l ]
curryschnitzel さん>そう言ってくださってありがとうございます。このシリーズは誰も書き込み無いので見てくれてる方誰も居ないと思っていました。
なので続編もあるのですが、止めていました。喜んでいただきありがとうございます。
2008/9/8(月) 午後 11:10
いやーびっくりです。こんなのあったんですね。このへんに10年近く住んでますが、聞いたことないです。
2008/11/8(土) 午後 10:57 [ som*eil**ypnoti*ue ]
sommeil_hypnotiqueさん>ダンプ道はまだ公園の中の記念碑等に記載がありますが、鶴甲のベルトコンベアー関係は本当に皆無です。
神戸大学の敷地にあるようなんですが…
2008/11/11(火) 午前 0:09