|
先程の篠山警察署の北側から広大な地域を占めて、ここにその歩兵第七十連隊」が置かれていそうです。 その広さは約35ヘクタールもあったそうです。地図を表示させるとそれとなくその広大な敷地がわかります。 ここに1000人規模の兵隊が集められたそうです。 基地は1906年頃から1945年の敗戦まで38年間もこの地にあったそうです。 当時の訓練は厳しいもので、ここで鍛えられた兵士は「丹波の鬼連隊」と呼ばれるほど勇猛果敢な兵士になったそうです。 大きな基地なのでたくさんの部隊があったようです。 パッと調べてみても、篠山連隊は、歩兵第七十連隊から歩兵第百七十連隊、歩兵第二百十六連隊、中部第六十八連隊、中部第百十連隊などとたくさんあったようで、ここから出征した将兵の多くが戦死したそうです。 これは割りと新しそうな石碑です。この部隊のみヤフーの検索では出て来なかったので特別な部隊かもしれませんね。 しかし、記事のアップ時に調べていくと、どうやら奥に旧兵舎の一部が見えるらしいので、次回訪問時には確認したいです。 |
戦争遺跡
[ リスト ]






微妙な位置にありますね。都市部でもないし海も近くない。
山・・・ですかね?
2008/9/10(水) 午後 2:32
どう言うわけか営門は各地に残ってますね。
戦争遺跡の謎の一つでもあります。
また営門の造りは函館重砲兵連隊のものとまったく同じです。
古写真で確認してみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/tusk380/830316.html
2008/9/11(木) 午後 0:38
ef_end_63さん>山と言うより田園ですよ。たぶん農業を手伝って農作物の増産とかやっていたと思います。
2008/9/29(月) 午後 10:59
銀きつねさん>たぶん当時はこういう規格があったのかも知れませんね。
似たものは、友ヶ島や西宮砲台跡にもありました。
2008/9/29(月) 午後 11:02
はじめまして。
戦争遺跡で検索していたら辿り着きました。
歩七十は私の祖父が一時期所属していたことも有り、思いい入れが深いこともあり、2008年4月に探索しました。
遺構としては営門が有名ですが、他に炊事場、ボイラー室(両方ともレンガ造り、三井ミーハナイト工場内)、東門、周辺土塁が完存しています。
一方、近年まで残っていた文中にもありましたが木造の兵舎、将校集会所、聯隊本部は残念ながら取り壊され、浴場も最近壊されてしまいました。
貴重な遺構だけに、何とか保存してもらいたいですね。
2009/6/21(日) 午後 11:33 [ - ]
kou*ok*nok*uha*120*さん>兵舎等は解体されてしまったのですね。
貴重な情報をありがとうございます。残っているものも早めに見ておくべきですね。
今度探してみます。
2009/6/22(月) 午後 7:16
祖父は、昭和4年に歩兵70連隊に入隊しました。最後は、168連隊砲中隊の中隊長として、メークテイラで戦死しました。今年の5月にこの地で、慰霊祭に参加し、連隊長の娘さんや戦友の方にお会いしてきました。この地では、歩兵80連隊もあり、一時期祖父も在籍していました。
2009/7/27(月) 午前 0:41 [ sup**soun*fac* ]