戦争遺跡

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鶉野飛行場跡

 中学校から高校に上がる時にこの近くにある農業高校が進学の候補に挙がりました。
 もちろんそんな頃に、インターネットはありませんが、飛行場跡があるという話しを聞いていました。
 他に、旧軍の演習地や弾薬工場跡もあるらしいのですが、忘却のかなたに行っていました。

 それから数十年、滋賀県八日市の掩体壕(未編集)、大阪府八尾市八尾空港の偽装掩体壕(失敗)の取材した後に、それを思い出し、北条鉄道に訪問した折に行ってみました。



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 その飛行場の名前は、鶉野飛行場です。
 、北条鉄道法華口駅からそう離れていない場所にあります。
 法華口駅は、ローカルな駅で駅舎は木造の無人駅です。
 ここに使われていないホームがありかなり昔は施設が大きかった名残があります。
 1958年以前までは、列車交換設備と貨物側線があり、ここから、飛行場跡の隣にあった軍需工場に向かって引込み線があったそうです。
 その引込み線跡は、今となってはわからなくなっています。




 
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西宮市の鳴尾の飛行場は戦後なくなりましたが、当時の滑走路跡が戦後も、付近の田園地帯に残っているそうなので見に行ってきました。
 元を正せば、伊丹空港も八尾空港も太平洋戦争の時代のものですが、この鶉野飛行場は、当時のままの形で残っているのです。

 
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この飛行場は、ミッドウェー海戦での大きな負けを境に、日本海軍がパイロットを短期間に多数養成するために作ったものの一つです。
 1942年(昭和17年)12月ごろ着工し、百戸以上の民家を立ち退かせて、近隣住民や当時日本に連行された朝鮮人労働者らを大量動員し、翌年10月に突貫工事の果てに完成させたそうです。
 その翌月、パイロット志願の兵士を訓練する姫路海軍航空隊がここに設立されたとの記述があります。


 
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現地に行くと、滑走路を横切る道路がありそこから簡単に入れるようになっていました。
 滑走路自体には簡単なロープで遮ってありますが、横切る道路のガードレールが邪魔で実際には固定翼機は着陸できない現状となっています。

 
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現在は陸上自衛隊の演習地扱いとなっており、禁止行為とされている事柄があるようです。


  
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それでも、滑走路を髣髴させる直線状の道が伸びていっています。


 
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ここは、当初は土を固めただけの滑走路だったそうです。
 1944年頃にコンクリート舗装になり、長さ1200ⅿ 幅60mの滑走路田の大きさがあったそうです。
 今の飛行機ではかなりつらい長さだと思います。ちなみに神戸空港は倍以上の2500mあります。
 一方、滑走路の南西側に川西航空機(現・新明和工業)の工場が建てられ、戦闘機「紫電」「紫電改」を組み立ててたそうです。
 滑走路は練習飛行のほか、ここで完成した戦闘機の試験飛行や搬出にも使われたようです。
 西宮の鳴尾にあった飛行場も、阪神電車武庫川線で南に下った先にも川西航空機(現・新明和工業)の工場があったそうで同じような境遇だったと考えられます。



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それにしても、意外に立派な滑走路です。今にもどこからか飛行機が飛んできそうな雰囲気です。



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誘導路の中央の西側に「平和記念の碑」が建っていました。綺麗な国旗が掲揚してあるので毎日管理している人がいると思います。


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碑文によると、その後、戦局がますます悪化し、南の海では特攻が始まり、同航空隊でも1945年に特攻隊「白鷺(はくろ)隊」を結成。ここで訓練を受けた63人の若い兵士が、各地の航空隊へと赴き、沖縄近海の米艦目掛けて突っ込み、散っていったそうです。
 飛行場周辺には、戦闘機を米軍の目から隠すための掩体(えんたい)壕を多数造ったそうですが、この日は確認する事が出来ませんでした。
 やはり戦後取り壊されたのでしょうか?以前一基だけ残っているような話しを聞いたのですが…


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その記念碑の横に何やら鉄の管と石のローラーが置いてありました。
これは姫路海軍航空隊で使われた水道管だそうです。

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加西市田原町からここ鶉野まで3000ⅿに渡って敷設されたものの一部で口径は8インチのものだそうです。
 一本が400mの規格の鋳鉄管でつながっていたようです。

 
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鋳鉄管には年号は刻印されており、皇紀2603年(1943年)、普通管である事の「フ」の刻印、水道慣用を示す「水」、製造元の刻印などが確認できます。
 よく残っていたものですね。

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この石のローラーの記述がないのですが当時のものなのでしょうか?よく学校とかで見かけるのは鉄製で、石製のものは珍しいとは思いますが…



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この先にあった川西飛行機工場跡は一部が空き地になっているようですが、いまだに航空機関連の部品作っているようです。
 終戦間際は、この滑走路の為にこの辺りは、爆撃や機銃掃射に何度も見舞われ、犠牲者も出たそうです。
 二度とこのような悲劇は繰り返さないように祈ります。
 

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こういちさん、おはようございます。
各所に痛みは見られますが
戦時中に使用された滑走路がそのままの姿で残っていたとは驚きです!
石製のローラーと鋳鉄管の残骸は痛々しく感じましたが
誰も盗んだりしないのでしょうが
意外にも無造作に置いてあるのだと思いました。
ポチ凸

2009/3/3(火) 午前 8:31 S-TEC 西野

鶉野飛行場跡、以前、北条の法華口駅修繕に行った時、ステーションマスターが場所を教えてもらいました。
かなりハッキリと残っていて、今でも不時着出来そうな感じですよね!
掩体壕も多数あるようですがどこかはわかりません…

2009/3/11(水) 午後 4:37 [ - ]

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ほんとに驚きます。こんなにきれいに残っているなんて。周りに点在している防空壕にも感動します。是非このまま保存してもらいたいです。

2011/5/29(日) 午前 8:25 [ gor**08 ]

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gor**08さん、そう思います。一般人立ち入り禁止区域にはもっと大掛かりな遺跡があると聞いてますので保存して欲しいです。

2011/5/30(月) 午後 8:16 こういち

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姫路海軍航空隊のあった川西航空機鶉野工場は姫路製作所で製作された紫電 紫電改を組み立て試験飛行していた。 20年3月には 試験飛行で失敗し 北条鉄道の列車転覆事故(11人が犠牲)を起こしたことがあった。
憲兵が軍の機密だ 調査の必要なし と言ったというが 国家の犯罪だろ。
今 民家の庭にある防空壕が公開されている。

2011/10/10(月) 午後 11:34 [ o*o***a**o*de ]

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o*o​***​a**​o*d​eさんいらっしゃいいませ、防空壕公開されてますね。まだ行って無いのですよ。
「 国家の犯罪だろ」との事ですがそれが許されていた時代なのです。異を唱えるほうが犯罪だった時代の話しです。
再びそんな時代にしない為にも注意が必要なのです。

2011/10/11(火) 午前 10:18 こういち

記事をたまたま拝見出来て有り難く思います。私の祖父 石橋清六 海軍特務中尉は鶉野飛行場で最後の警衛司令を務め、米軍に引き渡しをした話を懐かしく思います。父は霞ヶ浦で終戦を迎え、曾孫2人はそれぞれ、海上自衛隊00航空基地、 航空自衛隊00基地の旧海軍航空隊基地で任務に励んでいます。平和を祈る気持ちを家族で引き続き持って行きたいと思います。有難う御座いました!

2012/1/17(火) 午後 9:30 [ gen*x_u** ]

gen​*x_​u**​さん、初めまして、この飛行場に御関係ある方なんですね?
もっと、いろいろなお話しをお伺いしたいです。このまま、埋れさすのにはもったいない遺跡と考えています。

2012/1/26(木) 午後 11:58 こういち


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