船着場から真夏の日差しに曝されながら、フラフラと第二砲台跡から山道を登って行くと 友ヶ島灯台に着きました。

野生化した紫蘇の葉と蔦に覆われたレンガ造りの建物と右横には未だに使われている灯台が見えていました。

レンガ造りのトンネルは、とても戦後60年以上前に造られたものとは思えません。
レンガの目地がたいへん綺麗です。

トンネルの向こうにもレンガの壁が見えており、その先にもレンガ造りの施設が広がっていました。

その施設はレンガ造りのアーチが特徴的なもので、弾薬庫も 第二砲台にあったものと、大きさとも同じです。

こちらのは、ひとつずつでならんでありませんでした。
入り口や窓は厳重に塞いであり中の様子はわかりませんが、同じようなものと想像します。
しかし、野生化した紫蘇が大変はびこっています。

更に奥まで、レンガの施設は続いています。横に広い施設です。

蔦がぶら下がり、落ち葉が積もっています。横に何時の頃からか置いてあるドラム缶がありました。サビサビで中には何も無いです。

戦後に付けられたと思われるフェンスでトンネルでは直接移動できなくなっていますが、上からなら自由に移動できます。
隣と同じような構造です。

反対側から見たトンネルです。向こう側にも同じように続いていましたが、今回は暑さで正常な判断が出来ない状態で反対側に行く事を失念してしまいました。

こちら側にも厳重に封印された弾薬庫が有りました。

蔦と紫蘇に隠されて、ここでは静かに時間が流れているのでしょう。

その先は一回り小さなトンネルがありました。それを通り抜けて上に出ました。

溝のような塹壕を辿って行くとその先に丸い部屋のような施設がありました。

頑丈な鉄の扉は、半分開いた状態で錆び付いていました。

中には小さな窓と正確に三角に並べられた柱が残っていました。測距機器が並べられたのでしょう。床には中心点の印もありました。

窓は可動式になっていたようです。外を見ると真夏の太陽に照らされた地面が見えますが、昔は海が見えてたのでしょうか?

中はさほど広くなく大人が4人入ると狭いぐらいです。扉も立ったままでは通れないほど低いです。

天井には当時の木材が残っていました。円形に組まれた木材が美しい模様を刻んでいます。

屋根は既に盛り土と外装のコンクリートが剥げ落ち、骨材の鉄板が露出していました。

一枚物の円形の鉄板に補強の筋交が太いリベットで頑丈に止められていました。その向こうには当時見ていたであろう紀伊水道の海が見えています。

小高い丘にポッカリとこの施設は残っていました。背後の山に現在の関西国際空港の飛行機を誘導する施設がかすかに見えています。
2007年4月29日に再上陸して、第一砲台跡はこの灯台と同じ場所にあったのではと行き当たり、 友ヶ島の地図を探してみたところやはりそうらしいとわかりました。
灯台施設と思っていた物は第一砲台だったようです。
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