|
JR東海道線六甲道駅から東、大阪方面に進むと神戸市灘区と東灘区の境目を流れている石屋川と言う小さな川があります。 この川は天井川と呼ばれる川で、鉄道開通以前から、石屋川の東側にある住吉川、芦屋川と共に交通の行き来を阻害していました。 明治に入って大阪から神戸間に日本で2番目の鉄道を通す事となった時に、当時の蒸気機関車ではパワーが無く勾配に弱かったことから、この天井側を越えようとするとかなり困難が予想され、迂回しようにも、芦屋辺りからは、六甲山と瀬戸内海が迫り土地が狭くそれも適わないので、勾配を無くす為にこの部分にトンネルを開削してその下に列車を通すことになりました。 その中でも、最初に掘られたのが石屋川トンネルです。1871年(明治4年)7月に竣工し、3年をかけ1874年(明治7年)の鉄道開通で供用が開始されました。 当時の日本に技術ではとても手に負えず、設計はイギリスからの呼び寄せた外国人によって行われたそうです。 その地に行くと高架化されたJRの両脇にトンネルが通っており、そのうち南側のトンネルの右端に石屋川トンネルの石碑があります。 その石碑は灘百選の石碑のひとつで、以下の事が書いてあります。 石屋川トンネル(石屋川隋道) 明治4年に完成した日本最古の川底を通る鉄道トンネル跡。 石屋川は川底が高い天井川で、開通当時、東海道線は地平を走っていたので、川底の下にトンネルを造り、鉄道を不敷設しました。 昭和51年に高架化されました。 灘百選 当時のトンネルは、通常のトンネル工事と違い川底を開削する為、一旦、川の流れを仮の木橋で別な場所に変えてから、川を取り崩し、そこにレンガを積みトンネルを組み立てた後、再び埋め直し、川の流れを戻す事で作られたそうです。 これが当時の写真です。とても狭いトンネルですが、これが日本で初めてのトンネルだったのです。 しかし、東海道線の全通後の1894年(明治27年)には輸送量が増え、東海道線の複線化始まった時に、トンネルの下半分を掘り下げ、卵形だったトンネル壁面を垂直にする工事が行われたそうです。 それによって建築限界の拡幅を確保したのでしょうね。、このような、車両の大型化や複線化の為に行われた嵩下げ工事は鉄道用だけではなく自動車用のトンネルでも行われ、いまだに全国のトンネルではその痕跡は見ることが出来るようです。 話を戻して、石屋川トンネルはその後、さらに1919年(大正8年)には複々線化に対応するための工事が行われ、この時にオリジナルのトンネルは解体されて複々線を支える水路橋となったそうです。 したがって、この時に日本最初のトンネルは解体されたようです。 いろんな資料を探しましたが、当時の複線化の物や水路橋の物は発見できませんでした。 さらに後年1976年(昭和51年)にこの区間の高架化で切り替えとなり水路橋も不要となり使用されなくなったそうです。 その後、災害防止の為に石屋川の地盤強度を高める必要から水路橋は埋め立てられたそうです。 と、言う事は現在、碑文が立っているトンネルは当時の石屋川トンネル、水路橋とは関係ない物なのです。 石屋川トンネルや水路橋は現在の高架のちょうど真下を通っておりこの地図に引いた赤い部分が実際のルートだったのです。 少し上流に上ると、ちょうど石屋川トンネル(石屋川水路橋)の天井と思われる部分がありました。 そこの部分だけ、いつされたのかわかりませんがコンクリートで補強してあります。 これも、当時のものなのか、国鉄が高架にした時に川床破れを防ぐ為に補強されたものなのかわかりませんが、たぶんこの下になるのだと思います。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2008年04月15日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



