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以前和田岬砲台に訪問した時は、仕事の関係で訪問したので外部のみで内部は見れませんでした。 その後2005年に内部の一部が崩落し公開が中止とり、今日まで来たのですが、その後補修されまた公開されているようだとの話しを聞き再訪しました。 和田岬法谷の詳細については三菱重工のサイトを見ていただくとして、簡単に概略として、江戸末期の1864年(元治元年)に建設されたそうです。 当時、外国艦船の来航に伴い、沿岸の防衛の為作られたそうです。この趣旨は友ヶ島と同じですね。 設計は勝海舟だそうです。視察や用地選定、建築の指揮は、他に笠原長行、坂本龍馬らも取ったらしいです。 和田岬砲台の完成は1864年から約一年半だそうですが、当時からこの砲台に関しては効果は疑問視されていて、同類の西宮砲台や今津砲台は、もう少し時間がかかっています。 三菱重工の正門で、見学許可をもらい、案内嬢と共に砲台に向かって徒歩で進みました。 工場内は機密に関する部門もあり撮影は禁止です。従わない時は、見学中止や保安部による職質もありえるそうです。 そう言えば、以前仕事で訪問した時も工場内で、スピード違反の取り締まりやっていました。 案内嬢から、正社員3000人、関係職員4000人合計7000人の大所帯であるという説明や、工場は東京ドームの170倍、甲子園球場の190倍の敷地と説明を受けながら砲台まで来ました。 和田岬砲台はその雄姿を見せていましたが、なんか様子が変です。 碑文は、相変わらず書き直されておらず、西宮砲台の事は無視されたままです。西宮砲台は1884年(明治17年)に火災のため内部の木造構架を焼失し、外側の石槨部分のみ残っていましたが、1922年(大正11年)に史跡に指定され、1934年(昭和9年)室戸台風による被害のあと屋根の復元工事をしたそうです。現在も1974年頃に鉄骨による石槨の補強工事をされ残っています。 |
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