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?H1>友ヶ島2007年4月5日、第三砲台将校住宅編
第四砲台から、淡路島方面つまり西に暫くダラダラした山道を登って行くとレンガ造りの切り通しが出てきました。 ここの島では必ず正面入り口には切り通しがあるようです。その先に先程の第四砲台跡にあった将校住宅によく似た第三砲台跡の将校住宅が現れました。 2005年の訪問時に行けなかった場所です。 |
友ヶ島
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最初は、戦争遺跡としてアップしていましたが、あまりにも記事が多くなり今後も友ヶ島関連は増えていきますので独立して書庫を設けました。
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構造が同じで、さらに荒れた感じが放置された事が原因のようにに見えていたのです。降り積もった落ち葉がさらに、それを感じさせます。 しかし、たった2年少しでここまで荒れるものなのか?それになんとなく反対側にあるような気がしました。 そこで、携帯電話にて更新してないホームページを呼び出して見てみますと、やはり構造が違います。 やはり第三砲台跡ではなく第四砲台跡であると言う判断をしました。 こんな所で携帯電話で見れるなんで便利になりました。 その横には鍵穴状の小さな枠がありました。対空機銃用なんでしょうか?鍵穴の歯の部分は穴になっており垂直に地下施設につながっています。 落ちたら危ないので、気を付けましょう。当時は給弾の為のものだったと思います。 |
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?H1>友ヶ島2007年4月5日、第四砲台将校住宅編
本島へ戻り第四砲台の一部を掠めて、戻る途中、脇道を見つけましたので入っていきました。 するとこのような基礎が残っていましたが何の基礎かわかりませんでした。 当初ここを第四砲台とは思わずに、以前に訪問した時に全部見れなかった第三砲台の将校住宅と思い込んでいました。 のちにレポートしますが、あまりにも第三砲台の将校住宅に似ていたのでそう思い込んでしまいました。 台所は、流しはコンクリートなので残っています。茶碗や湯飲みが割れるのはこのコンクリート製や石製の流しで多く発生しており、金属(主にステンレス)の流しはこの辺りが生産性も相成って後の時代中心になっていくのです。 |





