?H1> 友ヶ島2007年4月5日、再上陸編

前の上陸から早2年の月日が経ちました。再び友ヶ島に向かいました。最高の天候に恵まれました。
友ヶ島については以前2005年8月16日にも上陸しています。

加太港から往復2000円の船代を払い、連絡船に乗りました。

120人乗りの意外に大きな連絡船ですが、以前と様子が違いました。どうも経営企業が変わったようです。

ダイヤは以前と時間は同じなのですが、火曜日と水曜日が運休です。つまり、月曜日の最終便に乗り遅れると木曜日まで帰って来れないと言う恐怖の連絡船です。
遅れないようにしましょう。

連絡船のデッキでは何かの番組の撮影をしていました。快走する船のデッキはけっこうな風が吹いていて、お姉さんは髪が踊って撮影に苦労していました。

到着しました。以前から約2年ぶりの上陸です。やはり春は暑くなくとっても良い訪問日和になりました。
以前に比べると、シーズンではない為か少ない人数でした。

今回は島の一番和歌山よりの彪島に行く事にしました。彪島までの道は、島の開発時から残っている軍用道路の切通を歩いていきました。

この日は島の桜も満開でした。とても綺麗だなと思ったりできる余裕はこの時までだったのです。

船着場から、彪島砲台跡に行く為に一路歩いていきました。けっこう険しい道でこの道を歩いていた兵隊さんは凄い体力と思います。
至る第四砲台跡の道標がありましたが、無視して進んでいくと小型タンクローリーのタンク部が放置してありました。ほとんど残骸と化していましたが、そばに同時に上陸した人が居ましたがその方が奥に何かの遺跡があると教えてくれました。
この方はその方面に興味がなく何かの遺跡としかわからないそうです。「防空壕のような…」その話しを聞いたので入っていきました。

その奥地にあったのはこのような円形の砲台跡でした。地図と照らし合わせて判断するに第四砲台の一部と思われます。
以前の訪問時には見られなかった初めての形式の砲台です。 トーチカ風です。

上部には中心点を伴った円形の窪みがありました。横には砲弾補給用の為らしい穴があります。

下部には 塹壕風の通路がありました。砲台に沿って円形に曲がっています。

砲弾の補給用の穴の反対側にはこのような部屋がありました。穴はけっこう小さい物で人ひとりどうにか通るぐらいです。
大砲自体あまり大きくなかったのかも知れません。

その奥には、謎の遺構もありました。三角点?測距装置でもあったのでしょうか?

更に彪島に向かいます。この先の地図がなかなか無くこの尺図の物しか出てきませんでした。

ここまで来るのにかなり体力を使いました。この先はこの馬瀬を歩いて彪島に渡らないといけません。
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