友ヶ島

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 最初は、戦争遺跡としてアップしていましたが、あまりにも記事が多くなり今後も友ヶ島関連は増えていきますので独立して書庫を設けました。
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?H1>友ヶ島アーカイブ第四弾、火薬庫編

 暑さに負けて第一砲台から、売店のある所まで戻ったのがそもそも良くなかったようです。
 再び足元の良くない山道を登る事になりました。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_0?20070507223904
 登っていか程、山間に切り通しの石垣がありました。
 奥は直ぐに左直角に曲がっています。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_1?20070507223904
 クランク状の葛折りを進んで行くとこの様な建物跡が見えて来ました。
 造りが明治期の物なので昔の城のように白兵戦を想定した物なのでしょうか?


            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_2?20070507223904
  島で貰った地図には記載がありませんがここは、火薬庫のようです。
 何故か建物の4分の1程が残っていました。
 土壁に漆喰の純和風の造りで土蔵のような感じです。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_3?20070507223904

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_4?20070507223904

            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_5?20070507223904
 何故、建物の一部しか無いのかわかりませんが、建材が無いところから自然崩壊ではなく、人為的に取り壊されているように思えます。


            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_6?20070507223904
 残っている部分は土間になっていました。
 構造的に違っていたのでしょうか。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18909256_7?20070507223904
レンガ造りの基礎は高床式になっていました。火薬に湿気が来ないようにする為でしょうか?
 引き返して、次に進みます。

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?H1>友ヶ島アーカイブ第三弾、第一砲台&灯台編

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 船着場から真夏の日差しに曝されながら、フラフラと第二砲台跡から山道を登って行くと友ヶ島灯台に着きました。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_0?20070504220645
 野生化した紫蘇の葉と蔦に覆われたレンガ造りの建物と右横には未だに使われている灯台が見えていました。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_1?20070504220645
 レンガ造りのトンネルは、とても戦後60年以上前に造られたものとは思えません。
 レンガの目地がたいへん綺麗です。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_2?20070504220645
 トンネルの向こうにもレンガの壁が見えており、その先にもレンガ造りの施設が広がっていました。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_21?20070504220645
 その施設はレンガ造りのアーチが特徴的なもので、弾薬庫も第二砲台にあったものと、大きさとも同じです。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_3?20070504220645
 こちらのは、ひとつずつでならんでありませんでした。
 入り口や窓は厳重に塞いであり中の様子はわかりませんが、同じようなものと想像します。
 しかし、野生化した紫蘇が大変はびこっています。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_4?20070504220645
 更に奥まで、レンガの施設は続いています。横に広い施設です。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_5?20070504220645
 蔦がぶら下がり、落ち葉が積もっています。横に何時の頃からか置いてあるドラム缶がありました。サビサビで中には何も無いです。

            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_6?20070504220645
 戦後に付けられたと思われるフェンスでトンネルでは直接移動できなくなっていますが、上からなら自由に移動できます。
 隣と同じような構造です。

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 反対側から見たトンネルです。向こう側にも同じように続いていましたが、今回は暑さで正常な判断が出来ない状態で反対側に行く事を失念してしまいました。
 

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_8?20070504220645
 こちら側にも厳重に封印された弾薬庫が有りました。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_9?20070504220645
 蔦と紫蘇に隠されて、ここでは静かに時間が流れているのでしょう。

            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_10?20070504220645
 その先は一回り小さなトンネルがありました。それを通り抜けて上に出ました。

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 溝のような塹壕を辿って行くとその先に丸い部屋のような施設がありました。

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 頑丈な鉄の扉は、半分開いた状態で錆び付いていました。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_12?20070504220645
 中には小さな窓と正確に三角に並べられた柱が残っていました。測距機器が並べられたのでしょう。床には中心点の印もありました。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_13?20070504220645
 窓は可動式になっていたようです。外を見ると真夏の太陽に照らされた地面が見えますが、昔は海が見えてたのでしょうか?


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_14?20070504220645
 中はさほど広くなく大人が4人入ると狭いぐらいです。扉も立ったままでは通れないほど低いです。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_18738054_15?20070504220645
 天井には当時の木材が残っていました。円形に組まれた木材が美しい模様を刻んでいます。


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 屋根は既に盛り土と外装のコンクリートが剥げ落ち、骨材の鉄板が露出していました。


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 一枚物の円形の鉄板に補強の筋交が太いリベットで頑丈に止められていました。その向こうには当時見ていたであろう紀伊水道の海が見えています。


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 小高い丘にポッカリとこの施設は残っていました。背後の山に現在の関西国際空港の飛行機を誘導する施設がかすかに見えています。
 

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 2007年4月29日に再上陸して、第一砲台跡はこの灯台と同じ場所にあったのではと行き当たり、友ヶ島の地図を探してみたところやはりそうらしいとわかりました。
 灯台施設と思っていた物は第一砲台だったようです。
     

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友ヶ島アーカイブ、第二砲台編



 友ヶ島上陸し、西側奥に進むと第二砲台にたどり着きます。
 
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 島には、軽自動車サイズの道路が連絡道として残っており、その道を西に進みました。未舗装で所々コンクリートで補強してある足場の悪い道をしばしアップダウンしているとその先に第二砲台跡があります。

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 レンガ作りの重厚な入り口が開いており私を誘います。しかし、思ったより小さな入り口です。昔の日本人の標準的なサイズなんでしょうか?


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 中に入ると直ぐにT字路になっており意外に中は浅かったです。床の中央に穴を塞いだ跡がありました。
 これは、下から砲弾を上げていたシャフトで「揚弾井戸」と呼ばれてました。


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 左の方に進むとすでに崩壊しつつある要塞の姿が露わになりました。その先に砲座の固定ボルトが見えます。
 大きさからして対空機関銃の台座でしょうか?



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 この崩壊は、戦後に行われたGHQによる爆破処理の為なのか、度重なる台風などの自然崩壊なのか…60年の月日は何も語ってはくれません。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_6?20070416220705

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_7?20070416220705
 砲台の至る所にこの対空機関銃の台座らしいボルトの金具が見られます。古い砲台の為か上空からの攻撃に対する防御は低く航空機からは施設は丸見えになります。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_8?20070416220705
 反対側に内部に通じる入り口がありました。左右対称の造りなら崩壊部もこれとは対称形の物があったのではないでしょうか?立派な入り口です。
 

            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_12?20070416220705
 この入り口は直ぐに行き止まりでした。小窓から外の日差しが差し込んで薄暗く中を照らしていました。
 床には堆積物が溜まって見えにくくなっていますが、床には円形の穴の跡があり、ここにも現役時には揚弾井戸と呼ばれる砲弾供給用の穴があったようです。

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 いよいよトンネル横の階段を下りて、地下構造部に進みます。台風が運んだかかなりのゴミが溜まっていました。使われていた頃はこの階段を多くの人が行き交ったんでしょうか?

            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_13?20070416220705

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 側の階段から。地下に降りました。奥まで人が擦れ違うのもやっとの通路が続いています。
 床には、台風に吹き飛ばされて来たのか発泡スチロールの屑が散乱しています。振り返ると悪夢に出てくる通路のようです。

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 その通路の壁にはあつさんのブログで紹介された 矢筈山砲台跡等で紹介された施設の入り口によく似た弾薬庫の入り口がありました。
 同世代の他の戦争遺跡の弾薬庫の入り口はこれに似たものが多いので基準規格として批准されているのでしょうか?

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_16?20070416220705
 中に何故かベッドの残骸がありました。これは当時の物とは関係無いと思いますが不気味です。そのままでは運び込むのも難しいぐらい大きいので中で組み立てたのでしょうか?
 撮影会か何かの跡かも知れません。


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 外を見ると、夏の日差しが眩しい…

 
      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_18?20070416220705
 南側、奥に行くほど崩れてきています。何も知らないと地中海風の建物に見えてこないでしょうか?

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 更に奥は崩壊がひどく進む事が困難になります。引き返すことにしましょう。自然崩壊ではここまで破壊は難しいような気がします。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_21?20070416220705
 壁のアーチ部の下にはこのような穴が有ります。これは大砲発射時に過熱した砲身を冷やす為の水を汲み上げていた井戸だそうです。
 島では水の確保が大変だったと思います。
 
            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17762173_22?20070416220705
 レンガと石の施設にも、時間が経つと共に生命の息吹が芽生えてきていました。二度と死の世界にならないように…

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 ここからの海の眺めは最高でした。それでは次の施設に向かう事にしましょう。

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友ヶ島アーカイブ第一弾、上陸編


 2005年08月15日、終戦記念日に和歌山県の友ヶ島に上陸しました。
 ここで、友ヶ島について簡単に説明すると、江戸幕府の頃から大阪湾に出入りする船舶を監視する役目を負っていたらしい。その頃の遺構は、あまり残っていないようですが、大阪城を築城した当時の石切場は残っているようです。
 明治21年には島は陸軍の軍用地となり、国を守るために対岸の加太町深山に兵隊が住む兵営が作られ、ここ友ヶ島と加太町深山に砲台が築かれました。
 その後、この一帯は由良要塞地帯として、太平洋戦争が終わるまで一般人は近づくことも禁止されていました。
 終戦後は、各砲台は取り壊され、進駐軍がしばらく演習地として使っていましたが、後に返還されその後、瀬戸内海国立公園の一部となって以後からは、観光地として開発が進められました。
 友ヶ島は、小さな島々から構成され、それをまとめて友ヶ島と呼ばれているそうです。
 その内、中心の沖ノ島と虎島の要所には第一砲台から第六砲台まで6つの砲台が築かれています。 太平洋戦争中は約かなりの兵隊が駐屯していたらしいです。
 砲台跡はレンガ造りで鉄筋コンクリートの丈夫な土台や弾薬庫は残されたままで見学することができます。特に有名な第三砲台跡は大規模で、弾薬庫が残されています。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17352677_6?20070409213523
 この当時は有限会社友ヶ島汽船で上陸しましたが、2006年11月で運航を廃止しています。
 現在は、友ヶ島汽船株式会社になっています。
 この日も大変暑かったのを覚えています。


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 桟橋の袂にあった砲弾です。
 口径が12インチの砲弾だそうですが、インチ表示と言うところから旧式な物だとわかります。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17352677_8?20070409213523
 中に入って直ぐに目についた建物です。
 何の建物なのか説明がありません。友ヶ島の地図によると陸軍所轄との記載がありました。
 レンガ作りの立派な建物です。


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 建物の周りには、何故か野生化した紫蘇が沢山群生していました。
 厳重に封印されています。
 

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17352677_10?20070409213523
 建物の隙間から、カメラを入れて内部を撮影しました。
 木材が所々炭化しているところから、火災があったみたいですが、それが原因で閉鎖されたのでしょうか?
 位置的にも良い場所にあるので、整備して資料館にでも転用して欲しいです。
 現在、島には資料館はありませんから、尚更そう思いました。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/1004894/img_1004894_17352677_11?20070409213523
 火災の被害にあっても、ビクともしないレンガ作りです。
 島内で使用されているレンガは、材料を運び込み、この近くに窯を作り焼いて作ったそうです。
 窯の跡もあるらしいので、次回の課題ですね。

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