廃墟・廃線

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 安島 太由佳さんの本で、鶉野飛行場の近辺に未だに戦争遺跡が多く残っているようなので探してみました。
 以前、話しでは、鶉野飛行場の近くに飛行機を隠した無蓋掩体壕があると聞いていました。
 しかし、調査や確認はしていませんでした。
 仕事でその近くまで来たので、調べてみました。
 しかし、前日の仕事の関係で2時間しか寝てなく、初夏を思わせる日差しで、探索開始からグロッキーな状態…。

 飛行場は、前回ととりわけ変化はありません。
 ここの、滑走路は北北東から南南西に伸びています。
 今回、滑走路の南側の神戸大学農学部の公道を抜け、道から私有地や大学所有地の中に、それらしきモノを探してみました。
 勿論、敷地内には、許可が無いと入れなので、見るだけになります。
 ネットで調べたら年に何回かは専門家の説明で回れるイベントがあるなので、次の機会には参加してみたいです。
 探索初めてから、さほど時間をかけずに道路脇に、コンクリート製の半地下の建物がありました。
 地下に続く入口と本体が残っています。
 その出入口は開いているので中に入れるのか覗いてみましたが、階段のところまでヒタヒタに水が溜まり、そこには大きな蛙が沢山住んでいました。
 よく見るとオタマジャクシも沢山泳いでいます。
 雰囲気から、夏でも水は引きそうな感じではありません。
 個人宅の敷地内のようで詳細に見て回わるろうとしたら、飼い犬が騒ぐので今回は早々に立ち去事にしました。
 体調が良い時に再訪しましょう。
 あとで友人から「戦闘指揮所跡」と聞きました。
 対空機銃座や弾薬庫、無蓋掩体壕も見たいと期待させられるエリアです。

 ここは、北条鉄道も近くなので、ひとつ列車を撮影してから去ろうとカメラを構えるとなんと、珍しく二両編成でした。
 そのうち、一両は年の3月末に廃止された三木鉄道のミキ300形でした。
 久しぶりに見ました。
 今はフラワ2001の3号機になっていました。
 
 今日は、「団体」の表示をつけて、定期便に増結されていました。
 団体専用機なのでしょうか?
 全国的に珍しくなった二軸DCフラワ1985の在籍に影響はないのか、これからも目が離せない鉄道です。


【GPS情報】
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=%2b34.52.59.56&lon=%2b134.51.49.81&fm=0&cp=mapmail_popup_nw

安島 太佳由さんの本 ケータイ投稿記事

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 窓社 安島 太佳由 写真集「要塞列島」
 角川SSC新書 安島 太佳由著 「訪ねて見よう!日本の戦争遺産」
 の二冊の本を衝動買いしてしまいました。
 戦争遺跡もかなり回りましたが、この本を見る限りまだまだ沢山あるようです。
 良い本ですが、遺跡の位置が今ひとつわからないのが残念です。

 この本を見て以前に訪れた和歌山県の友ヶ島ももう一度行ってノンビリ撮影したいとか思ってしったり、その手前の由良砲台も面白そうと考えてしまいます。
 高速道路が安くなるなら淡路島の生石山砲台や天理の大和海軍航空隊基地も行ってみたい。
 ワクワクさせられるので、是非見てもらいたい本です。

 以前に2007年3月20日六甲登山架空索道の登山口駅に訪問しましたが山上の施設にはなかなか行く機会が持てませんでしたが、この時やっと行く事が出来ました。

 ここには、六甲山を縦走する県道16号線から山上駅を結んでいた道路に架かっていた月見橋が残っていると聞きました。
 この月見橋は、実は神戸市内で一番、標高の高い位置にある橋だそうです。
 そう言った背景で用途廃止後も解体されなかったようです。

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 その山上駅は、六甲山郵便局の裏側にあったそうです。
 郵便局は、郵政公社になって改装されましたが、今も同じ位置に郵便局はあります。


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 郵便局の前、県道16号線から月見橋方向を見ると太い杉の木や紫陽花等に視界が阻まれパッと見にはそんな遺物があるようには見えません。

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 しかし、少し県道から山に分け入ると杉の木立の中に月見橋が見えてきました。

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 思っていたより結構大きな橋です。
 デザインもなかなか凝っています。1944年に廃止され60年以上放置されたコンクリート製の橋はまだしっかりと残っていたのです。

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 橋の横からではやはり、橋の上には登れないので県道16号線側に回りました。
 すっかり県道との合流部分は崩れてなくなっています。
 県道側からは、まともに行っても藪漕ぎをしなければ、月見橋には近寄れません。空中橋状態です。

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 橋の欄干には、月見橋と書いてあります。間違いなくこの橋の事です。
 反対側の欄干は、撮影不可能なぐらい木々に埋まっていましたが、「昭和六年」と架橋された年月日が書いてありました。
 建設年月日から言うと、1931年ですから、77年前に建設されて、13年後には廃止になるとは短命な橋です。


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 県道側から山上駅の方向を見たものです。
 橋の長さは40mぐらい、幅は6m程ですか…コンクリート製です。
 表面はかなり傷んでいます。山上駅の昔は駅があったと思われる位置には別の建物が建っています。


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 その建物は、当時の山上駅の基礎の上に建てたものかどうかは、見ただけでは分かりません。
 その建物自体もかなり古く、今は誰も住んではいないようなのですが、倉庫として使われているような形跡があります。

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 橋の欄干の上にはドーム状の飾りが付いています。結構緻密な造りです。こちら側にはひらがなで「つきみはし」と書いてありました。


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 今度は反対側の県道側を見たものです。当時のものでしょうか?センターラインが薄っすらと残っていました。
 戦後、一時的には復活させようと言う動きはあったようですが、その為にラインを引いたとは思えませんが…
 
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 近寄って見ると今のものより若干細く見えます。資料で当時の写真を見てみると駅前まで自動車が入ってたみたいなので、その頃のものと思いたいです。


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 山側の欄干は大半が木々に埋まっていますがこの部分とかは、両側が見れますので当時の感じがわかるかと思います。
 コンクリートの表面が大きく、捲れている場所がありました。よる年月は確実に橋を蝕んでいます。


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 表層はタイル状の舗装がされていたようです。


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 欄干もコンクリートが崩れ鉄筋が見えてしまっている位置もあります。
 しかし、今ならまだ補修し保存する事も可能だと思います。
 神戸市内で一番標高の高い位置にある橋なのできちんと後世に残して欲しいです。


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 海側を見てみましたが、この日は天候が悪く視界が利かない状態でした。


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 霧が晴れていたらこの山の間から、海と街が見えているはずです。南側なので夜に月が昇れば名前の通り月見橋というロマンが味わえるでしょうね。

 六甲ケーブルも戦時中、さらに戦局の悪化で鉄材回収の対象になったのですが、殆どそのままの形で終戦を迎え、戦後再開したのと比べると、かなり対照的な末路です。
 その後のレジャーブームに阪神電鉄系のケーブルに輸送力で押されていた阪急電車は「ロープウエイなどは時代遅れだ、それよりも道を直せ」と言う小林一三氏の鶴の一声に、更に1938年の阪神風水害で壊滅的被害を受けそのまま放置されていた表六甲ドライブウエイの復旧を優先したため六甲登山架空索道は放置され、今は歴史の中に埋もれようとしているのです。

中竜鉱山跡

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 2005年に訪問した中竜鉱山跡の写真が出てきました。
 取りたい資格の勉強の為、撮影したまま未現像で放置していたものです。


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 3年近く放置していましたが、問題なく現像できました。その間にデジタルカメラがどんどん良くなって、私の愛機ニコンカメラはフィルムカメラを縮小し、事実上終焉を迎えたりで時代は変わりました。 
 中竜鉱山は、1987年に閉山した鉱山で、亜鉛や銀を産出していたそうです。
 施設は閑静な山間部にひっそりと残っていました。

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 こちらは選鉱所の建物のようです。しかし、その前に訪れた神子畑選鉱所よりかなり規模の小さいものでした。
 空模様が怪しくなってきましたが、その中で不気味な雰囲気を醸し出していました。


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 既にかなり建物は廃墟化が進んでおりコンクリートの骨組みが屍をさらしていました。


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 奥に見える建物の多くが木造です。


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 中には多くの機器が残っていました。しかし既に機器は錆び付き静けさが占領するばかりです。
 その奥に階段があったので、降りていく事にしました。

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 その下は、機器と通路てすぐに下に下りていくしかない状態でした。

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 一番下は、既にもぬけの殻となっており、その跡に水が溜まっているだけです。

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 上の階に戻り薄暗い施設を進んでいくと配電盤がありました。たくさんのスイッチがありますが、どれも既に死んでいるようでした。

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 これらが使われる事は二度とないのです。

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 光が入ってくる窓をから外を見ると、そこにはシックナーがありました。
 シックナーとは鉱石の選択する為に鉱石を洗う機械です。
 多くの鉱山や炭鉱に必ずと言っても良い程ある施設です。

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 中には巨大な十字状の回転翼があり、中をかき混ぜています。だいがいはその為にごった水が溜まっているのですが、既に時が過ぎて沈殿し表層は透明な水になっていました。

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 シックナーの上に行きたかったのですが、既に通路は朽ち果てて危険な状態で行けそうもありません。

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 ここで事情が出来たので、探索を諦めざる終えなくなりました。中竜鉱山の入り口に作られていたオブジェです。
 何を意味していたのか忘れてしまいましたが、鉄骨の名版は外国製の古いものでした。

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 閉山後、ここで「アドベンチャーランド中竜」と言う名で坑道の跡地、採掘現場を見学できるあまり類のない博物館となっていましたが、来場者数減少のため2006年に中止となり現在行動は閉鎖されていると聞きます。
 効率化のためにこの鉱山は、多くの通路が自動車や重機が通れる大きさに拡張されており、鉱山にありがちな櫓とエレベーターは見当たりませんでした。
 その見学坑道までは、普通のマイクロバスに乗って延々120mまで降りて行きます。
 職員は慣れているので、まるでラリーのようなスピードで走り結構迫力ありました。無くなってて残念な施設です。
 写真を整理していたら、2007年2月頃迄に解体された軍艦アパートの2006年夏ごろに撮影していた写真が出てきました。
 同年の9月10日に来ていますがそれよりは後日です。
 雰囲気的には軍艦島です。

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 軍艦アパートとは大阪市浪速区の市営下寺町アパートの事です。
 他に大阪市営日東アパートも軍艦アパートと言われているようです。私が撮影してるのは電気街で有名な日本橋の東側の軍下寺町にあるものです。
 存在自体は、1988年頃学生時代にきていますが、興味が無くその後すっかり忘れていました。
 再び思い出したのは近年、友人から解体の話が上がった事を聞いてからです。
 そこで、行ってみましたが既に閉鎖されており、外側からの撮影となりました。


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このアパートは、昭和の初め1931(昭和6年)に建てられた現存する日本最古の鉄筋公営住宅出そうです。
 もうひとつの大阪市営日東アパートは、これより少し後の1933年(昭和8年)の建設だそうです。



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2006年2月に住人が退去した後に一時は内部公開もしていたそうです。
 知らなかったのが悔やまれます。
 今の基準では考えられないような世界があったと思います。


 
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既に一階の窓や入り口は閉鎖され、内部も窺い知れない状態です。



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この入り口を何人もの人が出入りしていたのでしょう。



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隙間からカメラだけを入れて撮影してみました。奥にも同様な建物があります。
 この撮影からしばらくしてここは、解体され現在は更地が広がっています。

 

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