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私のブログによく来てくださる。あつさんが2007年7月30日にこの鯰田駅に訪問され、跨線橋の事について、つい最近造られたものではないかと言われていたものがかすかに写っています。 この頃から既にその位置にあった物のようですが、窓のデザインが違うので付け替えられたものかもしれません。 |
廃墟・廃線
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本来は、神戸市兵庫区材木町の兵庫運河に架かる和田岬回旋橋を見に来たのですが、側にあるクレーンに目が移り後になってしまいました。 JR和田岬線は、和田岬にある三菱重工神戸造船所や三菱電機神戸の方が利用する通勤路線と言っても過言ではなく、列車も朝夕の数本しか走りません。 過去にはオハフ61等の旧型客車でDD13のプッシュプルによる運転を行っていたり、近畿で最後の通勤型気動車キハ35による運行でわりと有名でした。 現在は電化されこれまた珍しくなった103系電車による運転が行われています。 |
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兵庫県神戸市兵庫区材木町界隈に兵庫運河が有ります。昔は神戸の玄関口のひとつとして栄えたようですが、現在はどうなっているのかと訪れてみました。 こちらが在りし日の兵庫運河です。当時は、水面積が日本最大級の規模の物だったそうです。 兵庫運河の歴史は、鎌倉時代に遡ります。当時この近辺は「兵庫津」と呼ばれ港を中心に栄えてたようです。その頃からこの地は難所で船の被害が大きかったようです。後年、兵庫出在家町の豪商?神田兵右衛門によって兵庫運河の築造が計画されました。 その計画は明治期に入ってから着工しましたが工事は難航し、数年後に船舶の避難地として先に新川運河だけが完成したそうです。 その後、八尾善四郎などの尽力により、和田岬を迂回するバイパスとして明治中期に兵庫運河全体が完成しました。 開削から100年余りが経った兵庫運河は、それ自体が多くの歴史資源でもあるのです。 いろいろ残っています。先に紹介した和田岬砲台や兵庫突堤の引込み線もその一部です。 兵庫運河は、主に3つの運河から成り立っており、兵庫?新川?苅藻という3つの運河の総称です。 大正から昭和初期の頃に栄えた賑わいは現在なく、一部の企業が細々と利用するにとどまっています。 また、材木業者が最近まで貯木場としてこのように使っていましたが、廃業し長らくこのままの状態で放置されていました。 1995年に、市民に親しまれる兵庫津の歴史散策道として「新川運河キャナルプロムナード」が神戸市により整備されました。 それにより、兵庫運河は当初の目的から、大きく転換されました。 浜山小学校前の運河は、かつてその貯木場として使われてきましたが、現在では、運河水面をレガッタなどの水上スポーツや地域イベントの場として活用できるように、整備されました。今後は新たな街の魅力として再生されると思います。神戸新聞2005/03/12 神戸新聞2006/08/19 今回は上の貯木跡地とJR和田岬線の船が通る時に回転し、船を通した和田回旋橋を見にその名の通りの材木町に行きました。 JR和田岬線はJR兵庫駅からJR和田岬のひと区間だけの路線ですが、工場地帯との通勤路線でJR西日本のドル箱路線でもあります。 他に近くには2003年ワールドカップの会場になったウィングスタジアム(今年からホームズスタジアム通称ホムスタ)もすぐ近くにあります。 |
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1994年頃の撮影じゃないかと思いますが、ネガには「嘉穂郡 漆生西地区」と言う書き込みしかありません。 実際どうなのかわかりません。ご存知の方はいないでしょうか? 以前にこのブログで紹介した古河鉱業「大峰炭鉱・万歳坑」のこの写真右側またはこの写真左側の設備に似ているのですが、上の崩れた鉄骨の部分、下半分の構造がとかが違うような気がします。 通りがかりにあった元何かの変電所のような施設です。 かなり古い施設です。この当時は山下工業という会社が倉庫として使っていたようです。 映画「エルム街の悪夢」的な建物だったのが気になって撮影した物です。 今、この会社は存続してるのでしょうか?場所が知りたく検索してみましたが、あまりに特徴の無い社名も相成って解りませんでした。 垂れ込める雲がますます「エルム街の悪夢」ですね。 それから、いかほども離れてない所に炭坑の坑口のようなコンクリートの遺物がありました。夏草に囲まれわかり辛いです。 この部分が道路から見えていました。 草に覆われていますが、変形した十字架のような形態で、ふさがれた入り口が二箇所、角が丸く下に続いて行く感じの端っこが対角線に二箇所あります。 |





