廃墟・廃線

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1989年に廃止された宮田線跡を訪問したものです。1994年頃だったと思います。
 宮田線は、筑豊本線の勝野駅から筑前宮田駅までを結んでいた路線です。
 全長はたった5キロ少々、駅数は3駅と言うローカル線です。

 宮田線は、筑豊地区有数の炭鉱であった貝島炭鉱からの石炭積み出しのため、1902年に開通しました。 
 当初は筑豊本線の貨物支線とされましたが、1912年に勝野〜桐野(後の筑前宮田)間で旅客営業を開始する
のと同時に、1904年並びに1910年に開業した支線とともに桐野線(きりのせん)として独立しました。 

 そして1937年に、終点の桐野駅が筑前宮田駅と改められ、線名も宮田線と改称されようです。
 その後、貝島炭鉱とともに繁栄を極めたらしく、最盛期には駅から専用線が伸びていました。
 ところが、国の石炭政策が代わり、貝島炭鉱は終焉を迎えました。それとともに宮田線も貨物輸送を失い、
また町の衰退、人口減少、交通機関の自家用車化と共に旅客輸送も減少し、ついに廃線となり、今はその跡だけ
が残っていました。


 営業車で走行中、線路跡と緑色の小さな鉄橋が目に入りました。
私をトワイライトゾーンへと呼んでいるようです。

           https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/21349/img_21349_6920542_1?20061123203245.jpg
 廃線跡をたどって行くとその先に、出て来たの謎の建造物…

           https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/21349/img_21349_6920542_2?20061123203245.jpg
 コンクリート製の粗末なものです。ケーブルの中継施設でしょうか?
 この辺りに他には何も無かったように記憶します。いったい何なのでしょうか?


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/21349/img_21349_6920542_3?20061123203245.jpg
 線路跡は更に続いています。元の踏切の所に粗末なポイント小屋らしきものが残っていました。
 昔は、雨の日も灼熱の夏日も頑張っていた保安員が居たのですよ。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/21349/img_21349_6920542_4?20061123203245.jpg
 筑前宮田駅に着きました。この頃はまだ状態よく残っていました。駅前のワーゲン社のサンタナが時代を感じさ
せます。
 5気筒エンジンですよ。ホンダ車にもありましたが、中途半端なイメージのエンジンです。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/21349/img_21349_6920542_5?20061123203245.jpg
 今にも列車が来そうな雰囲気の駅舎でした。模型のジオラマにも使えそうなローカルな駅舎です。


      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/79/28/jzs133b/folder/21349/img_21349_6920542_6?20061123203245.jpg
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 広いヤードにポツンと小さな駅舎、まだ枕木が残っていました。線路が残っている所が最後期の旅客扱い時の
物のようです。

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 ホームにはまだ駅名が残っていました。蔦の絡まる様子が年月の過ぎ去りし時を刻んでいます。


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 石炭を扱っていた当時の巨大なヤードが広がっていました。今とは貨物の輸送体系が違うのでこのような巨大
なヤードが必要だったのです。


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 ヤードの片隅には石炭の積み込み施設のような跡が残っていました。

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 ヤードに残されていた三輪車…
 過去の賑わいは記憶の彼方に消えていったようです。

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 ヤードの先に、貝島炭鉱があったそうです。末期には日本では珍しい露天掘りをやっていたそうです。この際
に多くの炭住や旧式の採炭施設は取り壊されたとか…
 今、露天掘りには水が貯まり巨大な池と化し、広大な空き地が広がるばかりです。

国鉄有馬線

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 大正時代に、名湯で有名な有馬温泉に向かって当時の国鉄福知山線三田駅から分岐して伸びていた国鉄有馬線の跡のです。
 現在の神戸電鉄(こちらの方が後)とは別のルートで大正2年有馬軽便鉄道として計画されたもので、地元の名士、道場出身の県会議員、山脇延吉氏が後押しして創設、翌年有馬鉄道株式会社に変更の後、大正4年に、有馬〜三田間12.2キロの単線で完成した。
 当時の駅は有馬、有馬口、新道場、塩田、三田の5駅で、完成後は当時の鉄道省に線路を貸し、有馬鉄道は線路、駅舎等の施設を所有し、貸し出すという形(現在の神戸高速鉄道と同じ体系)で運用すると言う画期的な経営体制で発足。
 蒸気機関車や客車、貨車の運用は鉄道省していたらしい。大正8年に国策により政府管理下になり「有馬線」となる。
 太平洋戦争が激しさを増した、昭和18年6月30日で不要不急路線として有馬線は休業となり、終戦後昭和25年ごろ再開せずに廃線になり今に至った不運の路線です。
 今なら、観光や新興住宅の通勤に活躍できたのにと思います。
 この有馬線の設備(線路や鉄橋)は軍事目的のため篠山線(福知山線の篠山口と篠山)建設のため転用されたようです。
 なお、福知山線複線電化時に残存していた路線の一部が、下り線として転用されてます。線路跡はかなり追跡可能で、残存物も各地に見ることが出来ます。20数年前に私は自転車で走破したことがあります。
 今回は一部だけの公開です。ネガを発掘次第詳しく載せます。

またひとつ… ケータイ投稿記事

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有馬温泉の近くにある遊戯施設の前を久しぶりに通るとブルトーザーの音がしてなんやら工事をしていました。
ここにも再開発の波がきたのでしょうか?
ここは、バブル時に建設されゴルフの打ちっ放しや魚釣り、キノコ刈りなどしていましたが、その後閉鎖されました。
後年、高台にある事を良いことに産業廃棄物の不法投棄をし、検挙されたりしていましたが、神戸の震災で搬入路が崩壊したので放置されていたものです。
以前見に行った時は原野に池が残り野生化した鯉が生き残っていました。
植物がはびこる中、ゴルフ関係の建物等確認していたのですが、どうなったでしょうか?
暫く様子見ですね。

速報! ケータイ投稿記事

芦屋市○池にあるユニセフ会館が今年いっぱいで解体らしいですよ〜

廃墟旅館

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 神戸の有名温泉地、有馬温泉に残る旧有馬時代の旅館(民宿)です。有馬温泉は今でこそ保養地、観光地で有名ですが、昔は小さな旅館、民宿が立ち並び温泉を楽しむと言うより、連れ込み宿的な宿が建ち並ぶところだったらしいです。
 今は、そういった旅館はほとんど無くなり、大手ホテルと、保養施設、そして在りし日の旅館たちの建物の石垣が残っているのみです。
 私が知る限り最後の旧有馬時代を偲ばせる物です。内部探索はしていません。できれば見たいものです。

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