310hahaのひとり言

楽しいことがいっぱいあるといいなあ〜

父のこと

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素敵なお供え

父が亡くなって2ヶ月が経ちました。

さすがに病院に行けばまだ父がいるような気持ちはなくなりました。

母も様々な事務的雑用や遺品(大それた物ではありません。父関係の物ってことだけです(笑))の整理をしながら、自分の楽しみの時間もしっかり取り戻しているようです。



仏壇は隣り(母の所)にあるし、私もよほどのことがないと隣りには行かないしで、私の中からも父親という存在でなくなったわけではありませんが、日々の生活の中ではふと何かの時に思い出す程度になってきました。

そんな中、先日、関西の友達から父のお供えにと素敵なものが届きました。
イメージ 1素敵な和蝋燭です。

私が関西に行く時は、大抵、彼女の家に大阪住まいの娘共々泊めて頂くお宅なのですが、
彼女のご主人も1年前に亡くなり、お仏壇にはこの蝋燭があります。

行くたびに私が「すてき! 素敵!!」と言うのを気にしてくれて送ってくれました。

西宮にある和蝋燭屋さんのもので、HPを見ると、プリントものと手作りものとあるようです。
これがどっちなのか良く分かりませんが(手書きっぽいのですが・・・)、普通のろうそくよりはるかに高いです。当たり前!!(笑)

生前、仏壇の前で先祖に手を合わせるなんてしてなかった父ではありますが、私の友達の想いを込めたお供え物は、きっと喜んでくれている事でしょう。
母が、もったいない! と使ってない可能性大ですけどね(笑)


そして、またまた別のお友達からもお供え物が本日届きました。
イメージ 2「花とみどりのギフト券」ですって!!
こんなのがあるんですね。
私は花キューピットで直接お花を送る方法しか知りませんでしたが、これはいいですよね。
必要な時に、必要なだけ、好きなお花をお供えできます!!

こちらはまだ我が家にあります(笑)

この券のまま母に渡すか、私が好きなお花をチョイスして持って行くか、只今思案中です。

そうそう、この方のお母様も1年前に・・・。

お二人とも長い闘病生活や自宅介護の生活をされ、そして1年前に辛い別れを経験された分、私に寄り添おうとして下さっているのだと思います。感謝!!

それにしても、皆さん、とっても気の利いたお供えで、ただただ感心すると共に感謝です。

私は、自分がしてもらって嬉しかった事(贈り物)などは、極力、機会があれば真似するようにしています。

この2つのお供えも是非是非そんな機会があったら真似しようと思います。



今日頂いたレターパックには、他にも贈り物が・・・。

先日、上海に行かれてたんですが、そのお土産です。

イメージ 3たぶんティッシュカバーだと思うのですが・・・。
最初に見た時は、オレンジの鮮やかさに目が奪われ、手にとって見て、「これは何?」となった次第ですが、片側が開いていて、真ん中に切れ目があるから、やっぱりティッシュカバーでしょう(笑)
昔のティッシュの箱のように高さがあったら、もっときっちり入るのかもしれませんね。
我が家にあったのは、コンパクトな箱だったので、こうなっちゃいました(笑)

でも、これも素敵です。
リビングの一人掛けのソファーがオレンジですから、早速リビングのテーブルに置いています。
帰宅した主人が「これは??  大奥みたい・・・(笑)」ですって?!
総の感じからそう思ったかな(笑)

イメージ 4もう一つ、蘇州の絵葉書も入っていました。

「色合いが古くさい」とお手紙に書かれてましたが、何の何の・・・。
私、この色合い大好きです!!


お友達のお気遣いに心豊かにさせてもらった1日でした!

さ、寝よう!!
GW期間中の3日、我が家の面々は朝4時起き、5時出で佐賀に向かいました。

父が亡くなってひと月。

本来は四十九日の法要と納骨を、お墓のある佐賀のお寺で親戚の方々とする予定でしたが、母とお坊さんとで話し合い、連休中に三十五日の法要と納骨と言うことでやりましょうとなりました。

我が家の娘たちも、父が入院中の時からGWには帰省する事になっていたし、娘たちも含めて仕事している人にとってもその方がいいだろうということになったわけですが、連休中と言うことで当然渋滞を気にしなくてはなりません。

どの位の渋滞になるのか分からない上に、我が家の車にはETCなるものが付いていませんから(笑)、ETC割引の恩恵にも与れず・・・。

ならばいっその事、下道で行こうとなったわけです。

高速のように渋滞にはまってしまったら大変!とはならなくても、下道とは言えどうなるか分からないので、早〜〜く出て、早く着いたらその時はその時と、5時出なんて事に・・・(笑)

これが予想外にスムーズに事が運び、8時には佐賀市内に着いてしまいました(笑)

行きは主人が、帰りは次女が運転と言うことで、免許を持たない私と長女は助手席専門。
行きは私が、帰りは長女が・・・。

道中も色々ありましたが、今日は、父が生前ずっと言い続けていた「親戚や知人を招待しての料亭での宴会」の実現の様子を少し・・・。


父は、2年前に長崎から北九州に引越してきた時から、自分の誕生日に長崎や佐賀から交通費・宿泊費もすべて自分持ちで親戚や知人を招待して、北九州の料亭で(父の言葉をそのまま使うと高級料亭(笑))祝いの席を・・・と言ってきました。

引っ越して来てすぐの誕生日は、そんなのは呼ばれた方も困るから と説得しようとしたのですが、何を言っても納得せず、挙句には誰も来なくても俺一人でもやる!とまで言う始末。

仕方ないので気の済むようにと、父がご案内のハガキを書いて出そうとするのも止めず、別便で私がお詫びとお断りをしていただくお願いの手紙を出しました。

当然、出席のお返事はなく、我が家で家族揃ってのお祝い会をして何とかおさめました(笑)

次の年(昨年)も、何とかごまかして、またまた我が家で母の満での喜寿のお祝いと、父の数えでの米寿のお祝いを家族揃ってやりました。

そして今年。

正直、年初めからその話題が出なかったわけではありませんが、既に少し弱っていた父にはもう、料亭で・・・という元気はなく、それでも入院して回復し、退院してきた時にはもしかして・・・なんてビクビクも・・・(笑)

そう、今年の3月30日は本当に米寿のお誕生日だったのです。



残念ながら、その日の父は、病院のベッドで昏睡状態。
それでも3月30日は明らかに意識していたかのようでした。

あれだけ皆を招待して料亭で・・・と拘っていた父の思い。

病院で治ってもいないのに、招待するための準備をしなくてはいけない!と勝手に退院すると大騒ぎをしていた時、私が「このまま帰っても死ぬかもしれないよ」と言うと、「死んでも構わん。俺がいなくても遺言でやればいい」なんて訳のわからないことを言う始末でした(笑)

親戚等を招いて料亭で・・・という意味では、見事にその通りになってしまいました(笑)


イメージ 1まずは納骨。
実はこのお墓は街中にあり、父の妹の住まいから見えるんです。
話には聞いてましたが、お墓に来て見てびっくり!!
本当にそのビルがはっきり分かりました(笑)
父が入院中も、そして今も毎日、叔母はお墓を見てお祈り下さっているとの事です。


納骨後、本堂で35日法要。
今は、どちらのお寺もそうなのかもしれませんが、なんと椅子が用意されていました。
実は、なかなか正座の出来ない私と妹は、「お焼香に立つ時、どうする?」と心配していたのですが、心配する事はありませんでした(笑)

また、お経の本?を皆に渡され、お坊さんと一緒に読んだり、また讃美歌みたいに歌う時もあったりと、なかなか面白かったです。
(教会に初めて来られた方も聖書を読み、讃美歌を歌い・・・ですから、ああ〜こんな思いだろうなあなんて想像しながら・・・)
特に、歌う時は、楽譜があるわけでなく、詩?を見てお坊さんの抑揚に合わせて歌うわけです。
これがなかなか難しい(笑)
お坊さんの声もさほど大きくない上に、上がるのか下がるのか伸ばすのかなど、予想しながらですから・・・(笑)
法要後、妹は「楽譜が欲しいよね」と。
教会で賛美リードをした事がある娘たちは「賛美?リードが要るよ!」なんて言ってました。

キリスト教だって最初はきっとあんな風に、口伝え、聞き覚えだったんだろうなんて考えながら、音探しを楽しみました(笑)

法要が済み、いよいよ料亭に移動して・・・。

父の姉とかもいますので、階段を上がってのお部屋は止めようと、予約の時に1階を希望しました。
ところが1階は大広間のみ。
それでも区切って使用可能との事だったので、そのお部屋をお願いしました。

イメージ 2区切って・・・と言っても舞台の前に金屏風が置かれていただけで、広〜い部屋の真ん中にテーブル席が1列用意されていてビックリ(笑)


イメージ 3



イメージ 4残念ながら遺影での参加になりましたが、父にもビールを・・・(笑)
お葬式の後にも家族で北九州の料亭に行ったのですが、その時は散々食べてしゃべった後に、「アッ、おじいちゃんの写真も持ってくればよかった!  あんなに料亭料亭って言ってたのに・・・」と悔やんだ面々ですから、今回は忘れず・・・と言いたい所でしたが、母は車に乗せたまま(笑)
慌てて取りに行くという一幕もありましたが、念願叶って、

親戚・家族と料亭で・・・です!!(笑)



色々、わがまま言い放題、し放題の父ではありましたが、最後の最後までその思いを貫いたという事は凄い!!(笑)

遠いとこから気持ちだけの参加ではありましたが、満足してくれたかな?

なぜ てんとう虫?

毎日更新を目指した?はずが・・・(笑)

母は葬儀後の様々な手続きや雑用で忙しそうです。

私は・・・。

私は、気がついたら(笑)年度が替わっていて、それに伴う色々な資料作りで四苦八苦。

早め早めにしてればいいのですが、ついついまだ時間があると後回しにしていたら、ある意味予定外の事が起きるもので・・・(笑)

父の所為にしちゃいけませんね。

教会の音楽委員長としての報告書作り(計画総会は先月に終わっているので今回は報告のみ)と、地方連合の教会音楽委員長としても報告書と計画書作りで悪戦苦闘してました。

昨日は、1日PCと格闘の末、完敗!!

夜に大阪の娘に丸投げして完成してもらいました(笑)

感謝!感謝!!



で、今日、父が入院中に携帯で撮った写真を整理、要はいらないものを消去していたら・・・。

イメージ 1てんとう虫を発見!
これは父が入院した時に作られた入院患者名、入院日、担当医名の書かれたカードです。
その右横に貼られていた「てんとう虫」


ずっと気になってました。
妹と「何の意味があるんだろうね」と協議した事も・・・(笑)

担当医ごとに違う? 
それじゃ、幼稚園の先生みたいですよね。ちゃんと担当医の名前はあるし・・・(笑)

内科とか外科とかで分けてる?
う〜ん、それも書いている・・・(悩)

男女で分けてある?
じゃあ、なんでてんとう虫?  それに、女性は何?(笑)

な〜んて色々想像しましたが、全く分からず・・・。

どなたか分かられますか?  看護師をされてる方は分かられるのかな?



大分経ってから看護師さんに聞いてみました。

「転倒」にかけて・・・だったんです(笑)



どうやらおとなしくない人にはつけられるみたいです(笑)

父は、入院時、身体に付けられた点滴などチューブの類は無理やり引き抜き、おまけに弱って体力がないのに立とうとしたりしていました。

勝手に動いて転倒して骨折でもしたら・・・と言うことです!!

看護師さんは目が離せなかったんです。

そう、問題児でした!(笑)

そういうちょっとお困り者には付けられていたようです。

それも、これは黄色いてんとう虫!

イエローカードもあれば、当然レッドカードもあるそうです。

あの頃の父がイエローだったら、赤いてんとう虫の方ってどんな方だったんだろう・・・。気になるなあ〜(笑)

私が看護師さんに聞いた頃の父は、もう自分の身体もなかなか動かせなくなっていたので、看護師さんはとっても恐縮して、
「今はもう必要ないんですよ(笑)」と言われました。

記念にあのカードをいただいてくればよかったなあ〜。


北九州戸畑にある某総合病院の病棟に行かれる事がある時は、どうぞ探してみて下さい(笑)

父は、天国でも黄色いてんとう虫のレッテルをはられてるかな?(笑)
随分更新をしない間、気にかけていただいていたようでありがとうございます。

この間の事を詳しく・・・の前に、

ご報告です。



父は、徐々に徐々に呼吸の間隔が長くなりながら、4月2日午前3時11分にとても穏やかに息をひきとりました。

思い続けた米寿の誕生日を迎え、盛大にはお祝いしてあげられませんでしたが、病室で母と3人でお祝いし、その夜から徐々に徐々に血圧や呼吸が乱れる回数が増えていきました。

それでも、日によっては目を開けていて、亡くなる前日も目を時々開けてくれました。

母が耳元で呼んだ時には、しっかり「目を開けた!」と騒いでおりましたが(笑)、私はその時はいなかったので確認できず・・・(笑)



4月2日、昼過ぎにいつものように病院へ歩いて向かっていました。

病院の隣りの建物まで来た時、母から電話があり、父の血圧と脈が・・・との病院からの連絡があったとの事。

私は目の前でしたから、ドキドキしながら、そして「待っててね!」と心で叫びながら病室へ向かいました。

母に連絡下さった看護師さんが、あまりにも早い私の登場にビックリされていましたが(笑)、私の心の叫びが届いたのか、幾分落ち着いたようで、看護師さんたちもさほど慌てる事もなく・・・。

しかし、そういう状況ですから「病院内のどこかにおられた方が・・・」とのお勧めで、まずは談話室で母を待ち、時々、病室の入口のガラス越しに父の様子を見ることにしました。

一旦落ち着いたと言う事で、母が泊まる用意をしに帰ると言い、病院を出たら、また病状が・・・。

慌てて母に戻るように電話したら、また落ち着いて・・・。



いつも父は自分の思い通りにならないといけない人だったので、今思うと私と母が揃って最期の時を看取らなくてはいけない!との父の強い思いがそうさせたのかもしれません。

と言うことで、私も母も身動きがとれず、かといって感染力はほとんどないだろうと言われる結核菌でも、見つかった以上はずっとそばにいることも出来ず、ただただ母と談話室で先の分からないまま待つしかありませんでした。

消灯時間が過ぎ、談話室の灯りも消さなくてはならなくなってからは、手術のご家族が手術中に待機される部屋にお布団をお借りして待機。

母は、部屋に入るなり電気を消して「寝れる時に寝ないと・・・。あなたも休みなさい。」と言うと、あっと言う間に寝てしまいました(笑)

なかなか寝付かれず、娘や妹とメールをしながら過ごし、1時頃までは記憶にあります。

その後、部屋の電話がけたたましく鳴り、病室に行くと、穏やかに呼吸をする父がいましたが、明らかに呼吸の間隔がどんどん長くなります。

そして、とうとう・・・、でも本当に息苦しくではなく、ろうそくの火がだんだん消えて行くようにして旅立っていきました。



私も母も泣き叫ぶ事もなく、

「よく頑張ったね。おつかれさま。」と・・・。




それからは、もう時間に身を任せて、やらなくてはいけないことをこなしていくだけでした(笑)

父たちが北九州に引っ越して来て2年。

父は北九州には知り合いがなく、また親戚もほとんどが佐賀ですので、お葬式は家族葬としてこじんまりと、でも心を込めて妻、子供、孫で送ってあげることにしました。

イメージ 1
本当は、妹も私も祭壇ってイメージではなく、たくさんのお花で飾ってあげたかったのですが、何しろお葬式等を出した経験のない私たちですので、イメージだけ先行しても斎場では出来る事と出来ない事が・・・。

その上に、お墓のあるお寺は佐賀のお寺で、そこのお坊さんが来て下さるという事になったので、斎場の方と打ち合わせをする前にはなかなかお坊さんに私たちの思いを伝える事もできず、結局仏式の極々普通の祭壇になってしまいました。

一瞬の内に色々な事を決めなくてはならないので、オーソドックスな葬儀ではなく、自由葬のようにしたいのであれば、事前調査がとてもいると言う事が分かりました(笑)

父の姉は90歳、妹は86歳。どちらもご高齢ですし、お一人で北九州までと言うのも難しいし・・・。

佐賀の親戚に関しては49日の法要と納骨を佐賀のお寺でして、その際来て頂くということになったので、本当に身内だけ。

それでも、お通夜には、うちの教会の牧師と役員のお一人、そしてすべてが終わってから連絡しようと思っていたグローリー・リンガーズの方が3名も来て下さりびっくり!!

どうやらうちの教会経由で分かられたようでしたが、父も私の交友関係がわかって安心したかな(笑)

来ていただいた方だけでなく、気にかけて下さった方々、皆様に心からお礼申し上げます。



私はこの間、予想外のことが色々起こって驚きましたが、クリスチャンではない父にも主が伴って下さり、守り、導いて下さったと信じられることを経験させていただきました。

また、本来は、この11日は京都教会でのハンドベルコンサートでしたが、メンバーの骨折で延期となったことに始まり、来週はライブに行くために東京に、再来週は結婚式のために大阪に行く予定があり、そのことも全て守られ、父の配慮?、人徳?…(笑)

いえいえ、全て神様の御手の中のことで、何一つ漏れることがない ということにただただ感謝です。

また、私事だけでなく、土日にかかったこと、また、弟が6日から中国出張になっていたこと、その他、すべてがベストタイミングだった事に、皆が驚いています。



父の年齢も年齢でしたし、私は神様が父との時間を下さったので、心の準備をしながら過ごしてきた気がします。

今は、淋しさとか悲しさとかよりも、父があの自由がなくなった上に辛く苦しい治療から解放され、穏やかに旅立てたことへの安堵感の方が大きいです。

ただ、朝、一日の段取りを考える時にはまだ病院行きが頭にあること(笑)、また、夜中に電話がかかるんじゃないかなんて思ってしまっているので、きっと実感がないのかもしれません。その分落ち着いてます。

イメージ 2米寿のお祝いで作った家族写真?と父が愛用していた帽子等を一緒に納めました。


さあ、この間に出来なかった事、たまってしまっている事をしなくては・・・。

そして、また目指すは毎日更新かな?(笑)

楽しいことがいっぱいだといいなあ〜。
 

神がかった?(笑)なんて言うと大げさですが、執念で自分の米寿の誕生日を迎える事ができた父。

ビックリしたり、喜んだり、ホッとしたり・・・。

でも、この日をもし意識していてここまで頑張ったとするならば・・・と考えると、昨夜寝る時は、なんとも言えない気持ちになりました。

嫌な気がしたとか、予感が なんて感じではないのですが、妙に意識してしまっていつもとは違う事をしてしまいました。



父が入院するまでは、就寝時、携帯はリビングに置きっぱなしだった私。

入院してからは、マナーモードにして枕の下に置くようになりました。

でも、昨夜に限っては一度マナーモードにしたものを解除して、べッド横のテーブル?に置いて休みました。

ブログ更新はしたものの、睡魔に襲われ(笑)、いただいてたコメントに返事をすることもなく寝たのが12時半過ぎ。

自分では随分寝た気がしたのですが、突然「アメージング グレイス」がけたたましく鳴りました。1時過ぎ。

もうビックリです。

母からで、父が12時頃から血圧が下がり、脈も乱れる時が・・・との事でそばに付き添われた方が・・・と病院から連絡をもらったとのこと。

「ああ〜、やっぱり・・・・」



主人に送ってもらって、厳重なマスクをして母と病室に入った時の様子は、穏やかに呼吸をし、薄目を開けていました。

いつものように手を触ろうと思いましたが、「外から来た私達の手の方が冷たいよね」と思い、「ごめんね、冷たいよ」と言いつつ触ったら、父の手の方が冷たかったんです。

それで状況を把握したって感じ。

夜中なので耳の遠い父にいつものように話しかけるのは遠慮しつつ、耳元で少し話しては、左右それぞれの手を母と撫でていました。

1時間毎に、血圧と指先で酸素量を測り・・・。

明らかに父の体力は落ちています。

本当にたま〜になんですが、つばや痰をつまらせてむせる時の力が、明らかにこれまでとは違います。力なく、必死で肩を動かしている様子を見ると、思わず、

「神様、その時はすべてあなたの御手の中にあると思います。でも、どうかこれ以上辛く苦しむことなく、その時まで穏やかに過ごせますようにお守り下さい」と祈るしか・・・。

幸い、70まで下がった父の血圧は、3時間後には100辺りまで上がり、指先の酸素も95〜100と安定したので、母だけ先に帰しました。

ただ、そういう状況だったので、看護師さんと相談して、厳重なマスクをしたまま私は病室にいることに・・・。

これが息苦しいんです(笑)

口と鼻をしっかり覆うもので、眠たいのと息苦しいのとで時々意識が・・・(笑)



朝、9時過ぎに担当医が来られ、安定した事、また父の結核菌は感染を広げるほどの力はないと思うがやはり長時間はいない方がいいとの事で、家に帰ってきました。

戻った事を主人にメールをしたら、

「当分は何かあったら飛び出せる体制にしていないといけませんね。休息が取れるときに取っておく方が良いでしょう」と返事が来ました。

と言うことで(笑)、
今日は、主人が夕食が要らない予定ですし、午前中はしっかり寝直し、午後はリビングでゴロゴロして過ごし・・・(笑)

今夜もドキドキしながら過ごす事になるかな。

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