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<写真は京郷新聞から>
「韓国通信 第1号 2007年5月20日」
◆ 光州民主化運動の意味とアジア平和
光州民主化運動27周年を迎えた。
例年のように記念行事があちこちで開かれているのだが、今年は特にその民主化精神が分断の歴史を越え南から北へ、北から南へと、朝鮮のありとあらゆる地域まで伝えられているようだ。
何年間を待ってきただろうか。
56年間途切れた南北の鉄路がまた繋がった瞬間、朝鮮の天地は泣き叫んだ。
喜びの極点か、悲しみの極点か。
五月のそよ風は朝鮮の上空を通り、南から北へ、北から南へいつものように吹いているのに、なぜ人間だけが往来できないでいたのだろう。
一つの国土なのに空に飛行機は飛べなく、鉄路の上に電車は走れなかったのだ。
しかし、今回38度線を通過した南の列車はソウルから北の開城まで一気に走り、朝鮮天地が同じ血脈であることを如実に証明してくれたのである。
あまりにも近い我々の国土ではないか。
冷戦時代の歴史は同じ国土を二つに分割させ、帝国主義は朝鮮民衆に過酷な犠牲を齎した。
日本帝国の植民地支配がその前兆であったに間違いない。
日本帝国がアメリカに降伏し、解放を迎えたといえ、36年間の植民地支配で国権を回復できなかった朝鮮は、「アメリカは南を、ソ連は北を一定の期間統治する」という信託統治の状況に陥れられる。
しかしそれがアメリカとソ連に東アジアでの利権争いを煽り立て、この両帝国の企みとイデオロギーの争いで南北はついに同じ民族を大量に殺害する朝鮮戦争を起こしてしまうのである。
悲劇はそこから始まっている。
いち早く日本の植民地支配を警告し、当時「時代閉塞の現状」を主張した石川啄木のような良心的な作家の声に全ての日本人は耳を傾けるべきであった。
かつて石川啄木は「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」と歌ったことがある。
そこに日本帝国による朝鮮侵略に対する深い悲しみと自己省察の意味が込められているのはいうまでもない。
「いま、啄木祭が各地で復活し、多くの市民が参加するようになったこと(伊豆利彦「日々通信」第255号)」に対して心から敬意を表したい。
石川の精神が日本の現代を生きる全ての人に伝えられ、平和と共存の意識に決意を固めることを何より切望するからだ。
時代は離れているとはいえ、石川の精神が今日多くの日本良心に受け継がれているのを歓迎してやまない。
5・18民主化抗争27周年の記念行事参加のため光州を訪れた和多春樹氏は次のように述べている。
「東アジアの地域ほど戦争だらけの地域は世界のどこにもない。1894年日清戦争から1975年ベトナム戦争の終戦まで80年間絶えず戦争を続けてきた。それゆえこの地域は単に平和という言葉だけでは満足できない。和解しないと共生はできない。加害者は謝罪し、犠牲者の悲しみと痛みは治癒されなければならない。」
これは決して韓国の状況だけを念頭において語ったものではなかろう。
韓国の独裁政権は政権維持の手段としてイデオロギーの旗をあげ、民衆を抑圧したのであり、光州民主化運動はその冷戦時代の歴史とイデオロギーの抑圧を克服しようとする民衆の叫び声であった。
ところで、今日本は教育基本法を改正し、国家教育を強制しているのは勿論、本格的に憲法改正の段階に入り、民主主義とアジアの平和を脅威しつつある。
靖国神社の春季例大祭に合わせ供え物を送った安陪首相の二律背反的行為を疑わない旧植民地国家の国民は一人もいないだろう。
「まさにわたしの精神、気持ちの問題だ。わたしの政治的な意思表示とは別の話だ」と弁解しているようだが、外祖父岸信介と父安倍晋太郎の血統を受け継いでいるだけに言動を慎むべきではないか。
漱石は一世紀前、「三四郎」で靖国神社境内にある大村益次郎の銅像をあげ、「あんな銅像をむやみに建てられては東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者の銅像でも拵らえる方が気が利いている」と日本政府の国家主義政策を非難していたのだが、今も大村益次郎の銅像を建てるような政策や「国家の為めに人間を教育する」教育方針が安部右翼政府によって何の抵抗にぶつかることなく、着々と行われている。
これなら戦争を許可するという内容の憲法改正も無理なく、もう実行されそうだ。
どうこの難局を打開していくか。
如何に韓日民衆が連帯し、日本右傾化に立ち向かうことができるか。
「安倍首相が<戦後レジームからの脱却>を標榜して、教育改革だの、憲法改訂だのをごり押しに推し進めていること、愛国心を強調し、日米同盟の強化、共同自衛権の確立の名のもとに世界のどこへでも出撃する体制への移行をあせっている状態に(伊豆利彦)」憂慮の視線を送らずにいられない。
光州市民は命を掛け、独裁政権に闘争し偉大なる民衆勝利を獲得し、民主主義を守った。
友達が拘束され、家族や親戚が特殊部隊の銃で撃たれ、剣で刺される現場を離れずたたかった。
婦女子は海苔巻き飯を作って、トラックに乗って激烈に抵抗する青年らに配り、学生らは石をなげながら武力で光州を鎮圧しようとする軍部勢力に抗戦した。
死亡者が続出する状況にも彼らの武力に屈せず、自由・正義・民主を叫びながら死んでいった市役所の市民軍のことを想起すると、胸が裂けるような思いがする。
しかし、そのようにたたかったからこそ韓国に民主主義は到来した。
民主政府の誕生は、光州市民の抗争による触発と、それに刺激された国民の民主化への願望が成し遂げたものである。
それゆえ光州市民は当然韓国の民主主義を勝ち取るに先駆的な役割を果たした民衆の主体としてのプライドを持っている。
民主化抗争の期間中、一件の強盗事件も起らなかったという事実はそれほど高い市民精神を持っていたことの証拠である。
和多氏は「韓国は光州抗争を通し、経験した民主化、人権に関する考えをアジアに広めなければならないという道徳的な責務がある」と強調したが、光州民主化抗争の精神をアジアで共有する日は果たしていつ来るのだろうか。
光州民主化運動の意味を噛み締めながらアジアに平和が定着するよう祈りたい。
発行者 金 正 勲 http://kjh.rakurakuhp.net/
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