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今年の春に母が亡くなり、父も老人ホームに入居する事になった。 まだまだ元気でゴルフなどしてるのだが、もしもの事を考えて自立型のホームに入居する。 それに伴い私の実家は取り壊し、更地として売られる事になる。 私にとっては生まれ育った故郷なのだが、父にとっては会社に行けといわれたから住んだだけの場所。 家を建てた後も単身赴任などが多く、それほど思い入れのある場所でもないらしい、単なる「赴任地」。 私も今は会社に言われた別の町にアパート借りて暮らしているので、帰って維持する事は出来ない。 本や食器など両親がこれまで集めてきたいろいろなものがあるのだが、これも処分せざるを得ない。 本などなかなか貴重なものもあり引き取りたいのだが、アパートの一人暮らしでは引き取りようもない。 結果、家も取り壊し集めてきたものも全て処分、全てを失うより他にない。 [[attached(1,center)]] 帰る家がなくなるというのは、私にとっても大きい。 都会のアパートの一人暮らし、それを支える収入が一時的にでも途切れれば、帰る場所がない。 住む場所を失い家財も処分、カメラは燃えないゴミで撮り貯めた写真は燃えるゴミにでもするしかない。 とりあえず実家に引き払って庭に畑でも作ってしのぎながら再起を目指す、そんな事はもう出来ない。 全てを失うリスクがすぐそこにある、綱渡りの、崖っぷちのの生活。 そしてそれを支える収入源は、赤の他人の気分一つでいつ失われるかわからない。 先祖代々の家に住み物置整理すると色あせたおじいちゃんの写真、そんな物語は私の周りには全くない。 考えてみれば、実家にも両親の残したものはいろいろあるが、祖父や祖母の面影は全く見当たらない。 先祖代々の土地に縛られるのも、もちろん厄介ではある。 しかし、何も持たない都会の根無し草、根っこのない生活、これもまた寂しい。 帰る場所もない崖っぷち、一生懸命残した趣味も財産も、自分と一緒に全て消え去り何も残されない。 川端康成の「雪国」、あれは都会に破れた人間の物語だっただろうか。 だけどあの主人公はまだ恵まれている、都会で破れても「帰る田舎」があったのだから。 帰る場所がない、全てを失う場面がすぐそこにある生活。 何も残す事ができない、自分と共に残してきたもの、集めてきたものも全て消えてしまう生活。 根っこがない、逃げる場所がない都会の漂流生活。 [[attached(2,center)]] それでも私や父はまだ幸せなんだろうか。 退職金で老人ホームで趣味をしながらのんびり暮らす事ができる。 私もまあ実際、最悪の場合にはちょっと位親のす脛かじってなんとかなりそう。 うちの父は年功序列、終身雇用の世代。 そこらの普通のおっちゃんが1千万円とか平気で持ってる、恵まれたごく短い時代の人間。 このお金が、老人ホーム、ニート、就職浪人、いろいろな形で高齢化とか就職難とかを裏から支えてる。 でもそんな時代はもう終わった、これからの人間には、そんなお金はない。 帰る土地も支える金もない、何もない都会の根無し草生活、これから一体どうなっていくのだろう。 なんの根っこもないままがけっぷちの綱渡り生活を、続けていくしかないんだろうか。 支えるものもなければ残せるものもない、そんな刹那的な根無草生活が「普通」になってくんだろうか。
常に滅亡を間近に見ながら暮らして行くのが、「当たり前」になってくんだろうか。
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日本という国の空虚感、アイディティの喪失。
がむしゃらに働き、気付いたら、何か暑い夏の日に忘れ物をしたような感覚。
ぽっかりと空いた感じが日本を覆っているが、その空間を埋めるモノはなんだろう。
若者を中心に都会でなく地元で働きたい人が増えている。
60%弱が親元で働きたいんだそうだ。
だから、地方の田舎で農家を始める若者が増えている。
パラダイムシフト。
何かの変化の兆しを感じる。
2010/8/25(水) 午後 10:42 [ K9 ]
いつもながらどもです。
「がむしゃらに働き」
それと特攻に私は同じ精神と結末を見ます、今の時代。
2010/8/26(木) 午後 10:56
Yadaさんへ
>いつもながらどもです。
ココロに響く心情の吐露に共感を覚えました。素晴らしい記事を有難うございます。
>「がむしゃらに働き」
それと特攻に私は同じ精神と結末を見ます、今の時代。
ある種の空しさを皆さん感じているようです。
そして、その空しさを放置するような事はないと思っています。
時代の変化を感じている今日この頃です。
さて?どうなりますでしょうか?
2010/8/28(土) 午前 11:42 [ K9 ]