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大相撲が八百長問題に揺れている。
最も、私は、今のメッキの剥げた大相撲に興味がない。
昨年の朝青竜、それに続く賭博問題、協会側の対応にほとほと失望していたからだ。
その場しのぎの対応にウンザリ気味である。
そして、どうやら今回もトカゲのしっぽ切りで終わりそうだ。
本来なら、記事自体を書く事自体が憚れるのだが、御友達プロガーが書いた記事を読み、それに触発されて記事を書こうと思う。
記事を書く前に自分と相撲の関わりについて簡単に書くと、個人的には相撲について詳しい部類とは思っている。
幕内力士を総て暗記できるほど相撲を見ていた時代があったからだ。
そして、将来有望な若手下位力士を見つけ応援するのが好きだった。
その中でも益荒男と安芸の島が好きだった。
(他には寺尾と小錦の取り組みも好きだった。あの寺尾の頑張りに応援していた。)
双方、伴に一芸に秀でている。
一芸と言うと何かの業みたいに感じるが、強いのだが弱いのだがわからないのだ。
益荒男は十両最多優勝の実績が示す通り、下位にいる時は強いのだが、幕内上位に上がると弱く格上にはまったく歯が立たなかった。そして、十両最多優勝の名に恥じず、何度も十両へ転落し格下には無類の強さを発揮していた。
逆に安芸の島は最多金星(大関、関脇、小結、所謂、三役以外で横綱から勝つと貰える弱者(?)の勲章)の名が示す通り、強い人には、その相撲が通じるのだが、なぜか格下からの取りこぼしが多く、関脇、小結にも中々定着出来なかった。格下に弱いのだが、なぜか全盛期の巨体力士、小錦に強くバッタバッタ倒していたのが印象的でもあった。小錦の苦手意識を感じる取り組みは見ていて非常に面白く感じたモンである。
が、安芸の島が2003年に引退して以降、相撲に興味と関心を持てなくなっている。
面白い取り組み、力士が少なくなったと感じるからだ。
何か作られた感を感じる力士だらけになったように感じてしまう。
これは個人の主観であるので仕方がないのだが、土俵から一生懸命を感じる力士が少なくなったような気がする。(まぁ、日本人自体が努力に否定的になったから、当たり前なのだが。。。)
私はスポーツ全般が好きだ。
寿命が短く、競争が激しい故に、密度が一般社会と比較にならないほどスポーツの世界は濃く感じる。
その濃さに感動を覚え、華やかな世界と、それを支える底辺を想い、その見えない努力、一生懸命に想いする。
勝負という一瞬の境目に、その人の一生懸命が凝縮した瞬間に、得体の知れないカルタシスを覚える。
例えムダでも、私は一生懸命に強い感動を覚える。
囲碁、将棋、歩く事、走る事、泳ぐ事、山を登る行為、柔道、剣道、スポーツだけではない趣味(アニメ、漫画、盆栽、演芸、園芸、、、)と呼ばれる世界全般の一生懸命に感動を覚える人は多いと思う。
その延長線で想いのこもったプログ記事にも強い関心を覚える。
特に伝えたいという想いのこもったプログ記事にだ。
無意味な事でも何か一生懸命に感動を覚える瞬間があると思うが、私は一所懸命が結実する仕合せな瞬間(その喜びを見るのが好き)を見たいだけかもしれない。
だが、その一生懸命が報われるとは限らない、それが人生とも思う。
そして、そこに自分の人生を重ねているのかもしれない。
ところで、今回の八百長問題、その一生懸命に疑問符が付く出来事だった。
しかも、金銭の授受の伴なった八百長である。
自分の生活を守る事を、利益を受ける事を目的とした金銭授受。
談合である。
今の所、相撲協会の内部問題であり、刑事問題に発展し難いが、警察は八百長と相撲賭博問題をセットに捜査を続けている。
刑事事件に発展をする可能性をもった事件でもある。
非常に生々しい話だ。
一般的に関係者が互いに賄賂を贈る事で、互いに、その地位を維持し始めたら、多くの場合、その世界の質は落ちるだろう。
大相撲は興業だから、八百長も是とする意見もあるが、それならば歌舞伎やプロレスを見れば良く、そして何より興業という中の八百長に彼らは一生懸命になっている。
今回の大相撲の八百長に一生懸命はあるのだろうか?
一応、ばれない程度の努力はしているが、目的の方向性が間違っているのは言うまでもないだろう。
俳優のウソや歌舞伎のウソ、そこに一生懸命を感じるが、大相撲の八百長に一生懸命があるのだろうか?
その一生懸命と大相撲の八百長。
比較されたら、おそらく、その業界の人達は怒るだろう。
懸命に頑張らなくても良いとい言う相撲ファンもいるだろう。
が、私は関係者が一生懸命になるからこそ、そこに輝き、価値を見出す。
一生懸命=情熱、パッション。
芸術品に迫力を感じる時がある。
あれに情熱という名の一生懸命を感じるからだ。
モノ作りに携わって思うのだが、設計、開発にも情熱がある。
その数値に真剣さがあり、その真剣さのやり取りに八百長はない。
もし、八百長があったら、私は失職しているだろうし、今の地位にいないだろう。
一生懸命故に、己に自負があるからこそ、誇りがある。
努力の感じない、誇りの感じない八百長に私は興奮を覚えない。
故に暫く大相撲を見ないだろう。
個人の主観で言うなら他の一生懸命、将棋の方が余程、私は面白く感じる。
あの張りつめた空間に、一方の日々の一生懸命を一方的に否定する勝負の非情さに、カルタシスを覚える。
一生懸命に価値を見出すのは日本の伝統文化だったと思う。
逆に強制しているぐらいだった。
懸命に生きるから、価値が生まれる事もある。
そこに価値があると感じる人もいるから木戸銭を払うのである。
俺、何ちゃって東大生、こんなにバカなのに高学歴だと自慢する御人が最近、増えたが、効率を重視するあまり、日本人は何かを忘れてしまったのかもしれない。
その延長線上に大相撲の八百長問題を感じる。
日本人が努力を否定し、安易な道に流れ始めた結果、その影響を相撲界も受けているのかもしれない。
彼らも日本人なんだから。
ところで、私の大好きな安芸の島は八百長問題について、こうコメントしたそうである。
「命をかけてきた者からいえば信じられない。八百長に関わった奴は腹を切って死んでもらいたい」と。
何だかんで言っても、安芸の島が相撲に携わる限り、私は私の主観で大相撲を眺め続けるかもしれない。
相撲界ガンバレ。
自己の可能性を信じない(努力を放棄する)子どもたち
もっと努力を評価すべきでは?
大学生の学力低下に想うー内田樹先生記事抜粋
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/12720298.html |
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難し事考えずに大相撲の復元力を期待しましょう。
相撲好きの皆さん、今は我慢です。
危機にこそ、チャンスがあります。
その危機を先送りした時、第二、第三の危機が起るでしょう。
昔、強い横綱が遥か格下の力士に負けた事があります。
横綱曰く、あいつの一生懸命に御褒美をあげたんだ。
西洋文化にはない人情相撲。
これが真の八百長と思います。
西洋文化由来のスポーツには人情はなく、逆に全力を尽くさない事が失礼にあたると考えられています。
スポーツマンシップに則り堂々と戦う。
それと人情相撲は別枠です。
そして、どちらにも一生懸命がある。
その一生懸命に価値があると思います。
手を抜く事に何の価値があるか?
2011/2/13(日) 午後 0:08 [ K9 ]
問題は一生懸命に出来ない年6場所に問題があるような気がします。
一生懸命になれるような体制作りをお願いしたいです。
最も、その体制づくりが難しくも感じます。
困った話です。
2011/2/13(日) 午後 0:18 [ K9 ]