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AERA 10.03.15号 養老孟司 著
『もう過去しか見ない時代』
はやりのツイッターしかり、2ちゃんねるしかり、若い人が一日に何時間もインターネット漬けになっている現象は、もはや論じるに値しないかもしれない。
だが、インターネットがなかった時代からすると、とんでもなく大きな変化である。
情報社会になって久しいのだから、ますます当たり前のことだと笑われそうだが、私が大きな変化だと思うのは、インターネットによって若い人が『過去』しか見なくなったということである。
インターネットの中にあるのはものは、全部過去である。
誰かのつぶやきは過ぎ去ったことへの感想だし、たとえ未来の予測を立てたとしても、それを述べた時点で『過去にそんな意見があった』に過ぎない。
ウェブ検索するのは完全なる前例主義に則った行為だ。
インターネットの情報には最近のものも多いかもしれないが、ともかく過去は過去。
若い人がインターネットにどっぷり漬かるのということは、後ろばかり振り返ることにほかならない。
若い人には、『未来』がないという。
当たり前である。
インターネットには過去しかないのだから。
これだけ大勢の人が過去に浸りきっているのは、有史以来初ではないか。
新しいものは真っ暗闇の先にある。
いまやそんなものに誰も見向きしない時代になった。
それこそが情報化社会の本質である。
引用終わり。
ちなみに氏の若者へのアドバイスは以下の通り。
「自分探し」なんてやめろ、本当の自分なんてない。
身体を使え。
努力・辛抱・根性
自分の世界観が『変わる』ことに勇気を持ち、それを楽しめ。
100年たってもなくならないような、人間の生活に密着した普遍的な職業を選べ。
教養とは他人の心が解ることだ。
では、感想と言うか、こんな難しいテーマを選んでしまった理由を知りたいです。
AERAの走り書きに記事のテーマにするのは、文字数が足りない気がします。
仰る通り、情報とは過去であり、現在でもなく、まして未来でもありません。
当然、養老先生の各種書籍、及び、先生の書かれた今回の記事も過去です。
しかし、他の文字情報(過去)は否定せず、インターネットを否定するには、新聞、書籍、雑誌等の文字文化(従来)とインターネット(新規)の違いを言及しないと、極めてバランスが悪いと思います。
先生はインターネットを名指しで過去といいますが、情報は総て過去です。
先生の記事をそのまま、読むと情報に未来がないという極論に聞こえてしまいます。
確かに情報は過去ですが、情報を読み解く事で未来への指針を知ることも出来ます。
少なくても個人(社会)が未来において行く末を決める重要な判断材料になるハズです。
文字の獲得は人類の文化、技術を大いに進歩させました。
理由は過去の経験(知識)の蓄積によります。
だからこそ、教育で文字情報を読み解く読解力を教えるのでしょう。(他にも理由があるが)
養老先生が指摘したかったのは、情報(過去)にどっぷり漬かる事象でなく、『若い人』に未来を感じないということこそを仰りたかったのだと思います。
おそらく、インターネットで情報をにらめっこするのでなく、行動こそを起こせという事を仰りたいのだと思います。
情報社会によって全員が評論家になりうる時代、評論だけでなく実践こそを若い人に求めているのでしょう。
実践の伴わない情報(知識)は猫に小判です。
同時に
実践がない以上、真っ暗闇の先にある未来は掴めないでしょう。
知識も使ってこそですからね。
で、今の若者(私達)は情報の取得には熱心だけど、実践が少ないと言いたかったのかな?っと理解しました。
まぁ、若い方ほど、リスクをとらない印象がありますが・・・。
ちなみに彼らにも、彼らの言い分があるかと。
で、そのような世の中にしたのは、養老先生含む私達です。
後日、草食系やリスクをとらない若者の思考の理由(合理性)を評論(笑)したいと考えています。
実践の伴わない趣味の世界ですが、お付き合いして頂ければ幸いです。
序論は『ハッピーリスク』かな?
最近、長期連載記事になりそうなテーマを自ら選んで自爆している感がありますが・・・。
って言っても国母君に絡めた思考の積み重ね(連作記事)が終わってからですね。
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