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頑張れ、その言葉は、バブル崩壊以前から徐々に、そのイメージが悪くなり、今や使い方が難しい日本語になりつつあると感じる方は多いと思うが如何であろうか?
古くは、40年前、アニメの主人公である鮎原こずえが、頑張れなんて言葉、気軽に使わないで下さります?
っと言っているらしいので、昨日今日の話しでなく、長い時間をかけて徐々にネガティブイメージが浸透して行ったようである。
日本人が頑張れを嫌い始めた理由はイロイロあるとは思うが、一つに頑張れを言われた受取り側に私はこんなに努力しているのに、未だ努力しなさいと、努力不足を指摘されたと感じ不快に感じる事であり、また、努力ではどうにもならないと本人が感じている時、頑張れは困るだよね的な状態のようである。
他人の見えない苦労はわからないのは確かにその通りだが、頑張れは本来、そんな重いモノでなく、あともう少し、若しくは内容でなく本人の努力に対する純粋な応援や賞賛だったわけで、使い手側に悪意はなかったと思われる。
その場合は良い意味での頑張れになるのだろう。
そして、英語のDo your bestのようように、その結果は問わず、その努力の如何に関わらず、良くやったね、だったのだと思う。
しかし、近年の頑張れの使い方は、努力の中身と、場合によると、その結果のみで言われるようになって来ており、非常に使い方が難しいというか、相手を批判し易い言葉になりつつあると感じている。
所謂、あいつ頑張ってないの登場だ。
この場合、このコトバは文字通り相手の努力不足を責めるコトバである。
人事を尽くして天命を待つモノに、その人事の尽くし方を詰るのである。
そもそも人事の尽くし方自体、定量化出来ないものだから、互いに主観的な話しであり、それを当時者でない第三者が批判するのに使い始めたのである。
努力は偉大であり、あらゆる困難にうち克つ力があり、同時にそれはある種の犠牲を必要とするモノなので、その犠牲に対し努力するかしないかは、おそらく自己責任で決めるモノと思われるが、その判断自体に回りがケチをつけ始めたのである。
今のあなたの境遇、その他モロモロはあなたの自己責任だ。
自己責任で頑張るのは当然だ。
助けを、回りに求めるのは論外だ。
あなたの過去の努力不足が原因だ。
だから、頑張れ。
私達に迷惑をかけるな。
悪意をもった頑張れの登場である。
こんな使い方がいつ頃か増えて行き、努力不足というより、自己責任、つまりは結果責任を責めているわけで、内容に関らず結果が悪ければ、本人の努力不足だから、本人が自己責任の範囲で頑張るしかないだろう的に使われるようである。
要はプロセス無視の結果至上主義である。
派遣解雇の掲示板での議論がプログ開設の動機なので、この手の努力不足を詰る自己責任論と、最後に本人の責任で頑張れは、聞き飽きるほど聞いたので、この悪意ある頑張れも、日本にかなり定着していると感じる。
結局、日本人に相手を思いやる気持ちがなくなり、自分に被害が及ぶ事を恐れ、相手に頑張れと言う場合もあるようであると感じている。
本来、結果を問わず相手の努力を賞賛し、あと少しだよね的な頑張れが、いつ頃か、結果を問い糾し、相手の努力不足を詰り、もっと、もっと頑張れ的な使い方が多くなった事で、この頑張れの印象が大分、悪くなったような気がする。
そもそも、コトバとは時代、環境に応じて変化するのだから、特段気にする必要がないのだが、結局、思いやりのエッセンスがないコトバは如何に良いコトバでも、その輝きは消え悪意だけが残るのだろう。
そんな気がする。
逆に悪意味のコトバも、思いやりさえあれば、良いコトバになるのだろう。
ツンデレがそれか?
ふっと思った。
多分。。。
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