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9月28日、オバマ米大統領はイラン政府高官8人に経済制裁を科す大統領令に署名した。
果たして、主権国家の政府要人に対し、第三国が人権侵害を理由に、制裁という罰を加えることに正当性はあるだろうか。
主権国家への国際介入は歴史的には、力は正義という考え方に基づいて行われたケースや、対象国の介入要請・同意による対応がある。
また、1990〜91年の湾岸危機・湾岸戦争の事例のように、国連安保理決議に基づく国際的な合法行動がある。
今回の制裁理由はというと、米財務省のコメントでは「2009年6月のイラン大統領選挙依頼、イラン国内で続く深刻な人権侵害に対して(8人が)責任を負っている」とのことである。
そして、クリントン米国務長官は記者会見で、
①イラン政府の政治犯の即時解放、
②イラン政府が国民の権利と自由を尊重するよう求めた。
制裁の内容は、対象者の
①米国内の資産凍結、
②米国の個人や団体との取引禁止、
③ビザの発給禁止などである。
対象者8人には、ジャワリ革命防衛隊司令官、モスレヒ情報相、ナッジャル内相、マハスーリ社会福祉相(当時は内相)、モホセニエジェイ検事総長(当時は情報相)など、イランの治安関係責任者の名前が挙がっている。
ここで問題となるのは、介入理由である。今回は、先に挙げた過去のケースとは異なり、2003年3月のイラクへの米英の介入で問題となった、普遍的価値に基づく新しい介入である。
その普遍的価値とは人権、人道、大量破壊兵器の拡散防止などの価値観であり、対象国でそれが大きく侵害されている場合、「保護する責任」や自国の「安全保障」に基づき介入行動をとるというものである。
具体的に問題点を挙げると、
①主権国家内で起きた出来事を第三国が裁くという行為、
②普遍的価値といわれるものは本当に普遍的であるのか、
③措置が一方的に行われる場合が多い、などである。
確かに、イランでは2009年6月の大統領選挙後、反政府活動家への不当な暴行や拷問などによる犠牲者が出ている。
また昨年のベルリン国際映画祭で監督賞を受賞したアスガー・ファルハデー氏の映画制作が政府の圧力で中止されるなど言論への統制も強まっている。
しかし、イランと同様に人権侵害や自由化に規制をかけている他の国に対して、多数の政府要人に経済制裁をかけた事例はこれまでない。
そうすると、米国のイランの政府要人への制裁の目的は人権保護であるとの言い分に対して疑問が生じる。
当然ながら、今回の8人に対する制裁は、イランのウラン濃縮活動を停止させるための国際的な制裁強化との関連性があると考えられる。
また、外交政策では、目的達成のために多元的に方法を組み合わせることは常套手段である。
しかし、今回の措置が、今後の国際社会での秩序づくりにおいて問題を残す可能性がある。
それは、「人権侵害」があると認定できた場合、国際介入をするかしないかの基準が明確でないからである。
例えば、アラブの人々の中には、米国はなぜイスラエルによるパレスチナ人に対する人権侵害があるにもかかわらず、イスラエル政府要人への制裁を検討しないのかと考える人がいるかもしれない。
「保護する責任」という概念は、多くの犠牲者を出して国際社会が漸く手にしたものである。だからこそ、その使い方においては「正義」や「公正」といった価値観が重視されるべきではないだろうか。
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