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村木厚子さんに関するマスコミ報道と朝日の新聞大賞受賞について
「願望」に引きずられていく記者の判断
元特捜部検事の [link: 郷原信郎 ]弁護士が「マスコミ市民」2010年12月号の対談で、興味深い見解を述べている。 (1)郵便事業が民営化され、大量に発送される郵便のディスカウントが必要なのに、郵便法が硬直化して現状に合わない。 (2)その法律と現状のギャップを埋めるため、偽障害者団体の証明書発行は常態化していた。 (3)そうした新しい時代の経済状況を検察は理解していなかった。 「(大阪地検特捜部は)『そんなことを軽々に郵便事業会社側がやるわけがない、まして厚生労働省の担当の課長 や係長が簡単に不正な証明書などを出すわけがない、これは異常な話で、特別な取り計らいがあるのだ、つまり有力な政治家が口利きしたからそうなっているのだ』という『古典的な政治家関与ストーリー』をつくり上げてしまったのです」(郷原弁護士、前掲書より) この見解は、記者の私も首肯できる。こういう「ストーリー」を検察が描いた場合、記者は「なるほど、郵便法という法律があるのだな。それに違反していることは動かしがたい事実だ。法律の専門家である検察が言っている」と、まず自分の取材の方向性が正しいことを確認する。 取材プロジェクトのゴーをもらう際、上司は「検察(警察)はどう言ってる?」と必ず聞いてくる。ここで「検察も事件にするつもりです」という一言は絶大な力を持つ。今後ニュースが飛び込んで来たときも、無理を聞いて紙面を都合してもらえる。 記者には「調査報道(あるいは1面トップで報じた事件)が国会議員や高級官僚に波及してほしい」=「事件が大きくなって自分の手柄も大きくなってほしい」という「願望のバイアス」がかかっている。検察が「これは政治家が関与しないと起きないような特別な取り計らいだ」と見ているのを知れば、「やった! 検察も同じ考えだ!」と小躍りして喜ぶはずだ。 だが、冷静になってよく考えれば分かるのだが、調査報道をした新聞社も、検察も「事件が大きくなれば自分の手柄も大きくなる」という点で利益が一致しているのだ。 現実は「郵便法という法律が民営化した郵便事業の実態から乖離している」であっても、その選択肢は次点以下に置かれる。判断が「願望」に引きずられてしまうのだ。 記者クラブを肯定する言い訳によく新聞社が言う「捜査機関のチェック」をするのなら「実態に合わない郵便法こそ問題ではないのか」「その郵便法で被疑者を逮捕する検察の捜査には無理があるのではないか」という記事を書くのが本来の仕事だ。が、もともと検察と利益を同じくする新聞には、そんな発想は生まれない。 彼らは「癒着している」つもりなどない(むしろ逆)。が、組織として元々利益が一致しているので、どうしようもなく発想が同質化する。 そうやって、実際には「厚生労働省のノンキャリア係長が雑用として処理するほど常態化した郵便法違反」が、「局長も関与しているはずだ」「国会議員も関与しているはずだ」と、どんどん現実を逸脱して膨らんでしまう。これが検察と報道の「暴走」の実態だったのではないか。 こうして検察と新聞が「情報のキャッチボール」をするうちに、「手柄を取りたい」というお互いのバイアスが現実認識を二重三重に歪めていく。利益を共にしている新聞が、検察をチェックできるわけがない。その集積としての結果の醜悪さは、もうご存じの通りだ。 朝日新聞は新聞大賞受賞に大はしゃぎ
朝日新聞社は、検察の「村木局長冤罪事件」に加担した経緯と責任を検証しなくてはならない。内部調査班を編成し、当時の記者たちを取材しなくてはならない。検証結果の公開は必須だ。地検担当デスク、社会部長、編集局長など、責任者を処分することも必要だろう。
加担したと言われるのはイヤだろう。が、少なくとも、会社案内で認めているように、タレ込み電話を受けて記事化し、事件を「掘り起こした」のは朝日新聞ではないか。 それが「フロッピーディスクの証拠偽造事件をすっぱ抜いた」「その記事が新聞協会賞を受賞した」とか大はしゃぎの狂騒で、うやむやにされている。全く、どうしようもなく下らない話だ。 朝日新聞が「新聞協会賞を受賞しました」と1面で報じていたのには呆れた。ふだんは新聞協会賞など社会面ベタからせいぜい3段だ。一体、なぜこんなにはしゃいでいるのか。「これで責任をごまかせた」と喜んでいるようで、みっともない。 こんなのは「マッチポンプ」ですらない。マッチで放火してポンプで消すならマッチポンプだが、朝日が付けた火を消したポンプは、検察の取り調べに屈服しなかった村木厚子氏であり、その弁護団なのだ。朝日は「無罪でよかったですね」という記事を載せてごまかしている。 そもそも「新聞協会賞」を出す「日本新聞協会」は、記者クラブ系メディアの最大勢力である新聞の業界団体なのだ。朝日に限らず、どの社も「報道と 検察の共存共栄モデル」でさんざん利益を享受している。一例を挙げれば、検察OBでもある緒方重威・元公安調査庁長官が逮捕された朝鮮総連ビル詐欺事件は、2007 年6月の毎日新聞の特報が端緒だった。 そんな、みんな同じ手口でやってきた顔ぶれの並ぶ新聞協会が、「いやあ、よくやってくれた朝日さん。これでボクたちの過去の責任は不問にできる」と喜んでいることなど、見え見えではないか。そんな記者クラブ系利益団体が出す賞の、どこがそんなにうれしいのだ。 検察は、まだ特捜部の解体や取り調べの可視化など、本格的な改革に着手する可能性がある。しかし、検察と共存共栄関係にあった新聞をはじめとする記者クラブ系メディアの暴走は改善の「匂い」すらしない。いい加減にしてほしい。 転載終わり コメントの仕様がありません。
日本のジャーナリズムは終わっています。おそらく昔からでしょうが・・・
そして、その情報を信じる私達も終わっています。
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