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正義とは?平等とは? 序論
の続きである。
基本、平等の概念を説明しサンデルさんの『正義とは?』につなげる予定だが、この『平等』という概念と『正義』の概念は似ていないようで似ている不思議なコトバでもある。
なぜなら両者伴に『絶対』が枕ことばでついてくる事が非常に多いからだ。
そこに何らかのコトバを継ぎ足さないと、非常に危ういコトバになってしまう。
昨年、このプログを訪れた就活生さんも、年度によって違う厳しい就活は問題であり、平等ではないと主張していたが、本人がその意味を、危険性を何処まで意識していたかどうか。。。
平等というコトバは非常に強いコトバであり、どうゆう観点で平等(公平)であるベキかを彼は説明しなくてはならなかったと思うが、さて?
彼が私に投げかけたコトバは未だに私の記憶に残っており、記事を書く度に彼を意識してしまう。
ところで、
世界人権宣言では
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
と述べているが、
これは真実であり、事実何であろうか?
と、前記事において問いかけていたが、平等の観点で言うなら世は実に不平等であるのは間違いないと私は考えている。
人は生まれながらに不平等だ。
最初の不平等は、どういった親の元に生まれるかだ。
次の不平等はどういった容姿を、能力を、社会を、生まれた年が、回りが、回りが、回りが。。。
正直、不毛な話でもある。
ありていに言えば人(生き物)は生まれながらにして不平等なのである。
それに背を向けてはいけないだろう。
今の自分を受け止め、どう考えるか、それだけである。
社会(環境)を恨んでも何の得にならない。
社会を恨んで生活が楽になるなら、少しでも改善するなら私はその行為に対し大いに賛意を示したい。
が、回りを恨んだだけで成功したモノなど聞いたことがないし、見た事がない。
何かを恨んで這い上がった人は多いが、恨んだだけで終わってしまった人間の末路は非常に悲惨である。
(否定をエネルギーに頑張り続ける人は存外多い。所謂、もっと、もっと派。飢え続ける飢餓道とも言える。が、その成長は本人に大いなる活力を与える時もある。)
そも、世界は実に不平等なのだ。
逆説的に言うと、不平等が世界にとって自然なのである。
不平等とは多様性と言い直す事が出来ると私は思ってる。
世界は多様性に溢れているとは、世界が実に不平等である事と同義だろう。
平等でないから多様な考え、生命が生まれるのである。
世界がガラパゴスと同じ環境なら、私はガラパゴスと同じような生態系が世界に溢れると思うがどうであろうか?
一方で、多様性の否定につながりかねない平等とはあらゆるモノを、絶対の価値観で均す不自然な行為でもある。
本来、不平等であるべき世界で、無理やり平等であるベシと問いかけたのが共産主義である。
その不自然な世界は、自然では存在しえない状態である以上、その人工的な世界実現の為に共産主義国家の多くは実に抑圧的な方法で無理やり平等を実現する事になった。
平等というコトバに多くの人々は理想を感じ共鳴すると思う。
が、その影響に思いをはせず、単純に主張する平等とは実に危険なのである。
その考えは不自然な世界を実現する事になり、その不自然さの維持の為に多くの犠牲と労力がかかるだろう。
国土の均衡ある発展という不自然な平等思想の為に日本は実に多くの労力を払い、ついには破綻寸前だ。
同様に農家の問題も同じだ。
経営資本、経営努力、経営規模によらない平等を実現した結果が今の日本の農業である。
単純な平等実現は社会に多くの爪痕を残す。
一見すると素晴らしい行ないなのだが、本来、不平等であるべき世界を平等に均す事による歪みは巨大な反力として、その社会を覆う事になる。
では、平等は実現出来ないのだろうか?
私は絶対の平等はありえないと思うが、相対的な平等の実現はあり得ると思う。
相対的な平等。
つまり公平の実現だ。
地方対策も平等でなく、公平の立場に立てば、やりようがあると思う。
その公平とは、ある基準で平等に均すことを指す。
例えば、給与を年齢により上げていく年功序列の給与形態は、年齢の観点で言えば平等であり、公平だが、そこに成果や時間の観点がなければ不公平でもある。
1時間で10行なえる人。
10時間で1しか行なえない人。
そこには明確な差がある。
その差をいろいろな基準、観点で公平に遇するのである。
成果だけで給与を決めるのは、ある面において公平だが、成果とはいろいろな要素によって成り立っている。
その多様な成果を多様な基準で給与を決めるのを公平な処置と言うのだと思う。
それを年齢だけで決めていた時代はある種、非常に不公平な時代であったと私は考える。
同様に法の下の平等と一般に言われるが、運用は法の公平な適用である。
法の平等な適用とは実は、実に歪で危険な行為なのである。
その意味で、共産主義と同じなのだが、それを理解できている人は少ないかもしれない。
理解出来る人が少ないからこそ世に単純な平等を求める声が絶えないのだろう。
法の下の「平等」とは,絶対的・機械的平等ではなく,相対的平等を意味する。
つまりは公平だ。
だから、法の番人は公平をもって行なうのである。
平等をもって法を執行するなど聞いた事がないと思うが、それは上記背景による。
では、なぜ法の平等な適用が出来ないのだろう。
例えば、殺人事件があったする。
一方は強盗殺人、欲を背景に行なった事件である。
一方は殺す気はなかったが、誤って殺してしまった事件、もしくは痴情の縺れによるモノとしよう。
ここで強盗事件には情状酌量の余地なしと判断し判決を下すかもしれないが、誤って事件を起こした場合は情状酌量の余地あるとして判決の結果が変わるかもしれない。
同じ結果(殺人)に対し違った判決を行なう事。
これが公平な法の適用、公平な裁判である。
一方、平等な観点で裁くと、同じ結果、人を殺したという事実に基づいて判決を下す事になり、両事件とも同じ判決になる。
法の平等な適用とは、人を殺したという行為のみに準拠し、平等な処遇を行なう事を指し。(動機等を鑑みない)
一方、法の公平な適用とは殺人に至った背景、理由、動機等様々な事を鑑み公平な処遇を行なう事を指す。
相対性を意識しない平等とは実に冷酷であり非常であり、融通の効かないモノなのである。
公務員が行なう法律の平等な適用が、時に実に非常で残酷であり、融通が効かなくなるのは上記背景からである。
では?公務員はなぜ?公平な法律の運用をしないのだろう?
これがサンデルさんへの問いかけでもあるが(氏の問題点でもある。最も氏も気付いているだろうが・・・)、もう少し他の観点で平等、正義を読み説いてから言及したいと思う。
最終的に、この問いかけに応えるつもりだが、この問いに応えらると思った人は一度、是非、考えてみて欲しい。
私は平等で、正義で語られる世界に対し忌避感があるが、一方で公平のみで構成される世界にも疑問がある。
公務員が法の公平な処遇をしないのは、それなり理由があると私は考えている。
これがサンデルさんの公平に準拠した正義の限界でもある。
機能性社会の限界、効率の限界(みんなの党の限界)である。
公平、効率の観点は必要だが、おそらく公平、効率という機能評価のみで社会の価値観が統一された時、その社会は無機質になるのだろうと予測する。
その弊害こそを私は危惧している。
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2011年01月20日
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●●●「季刊ココア共和国第5号」のおしらせ ●●●
2011年1月12日(水)
こんにちは。 秋亜綺羅です。
各地に出現している、 正義の味方、 タイガーマスクさんですけどね。
マスコミや政治家までが、 これを美談にしてるのって、 へん。!
親が子を育てるときに教える基本として、 ひとを殺さないこととか、 盗みをしないとか、 麻薬に手を出さないとか、 いろいろありますけれど。 …
だれがくれたものか分からないものに手を出さない。 というのは、 かなりの基本ですよ。 それを、おとながこぞって喜んでいる。 へん。!
いまの世の中の雰囲気だと、 自分ちのポストに 「伊達直人」 と書かれた封筒があって、 毒入りチョコレートが入っていたとしても、
「あ。 タイガーマスクのおじちゃんが、 僕にも来た!」
と言って、 食べちゃいますよ。
すくなくともマスコミさん、 すくなくともプレゼントをもらった施設の責任ある方々、
「いいことですね」 とか 「ありがとう」 と喜んでばかりいないで、
「感謝します。 が、 名乗り出ていただかないと、 子どもたちに渡せません」
くらいは、 必ずコメントするべきでしょう。
このままじゃぁ、 屋上からばらまかれた1万円札を、 喜んでひろっていることと区別がつきませんぜ。
それから、 自称タイガーマスクさん。 ランドセルなんかあげるの、やめましょうね。
ランドセルはもともと施設の公的資金で買う予定のものですから、 子どもたちにしてみれば施設からもらうか、 よくわか〜んないヒトからもらうかだけの違いです。 ぜんぜん喜びませんよ。
ランドセルを買わずに済んだ分が、 子どもたちの喜ぶものに使われるのであればまだしも、 公的なお金って、 そんなに自由に使途を変えれませんもの。
みなさんの参考書である梶原一騎の 「タイガーマスク」 では、伊達直人は お菓子や、おもちゃなどをあげていますよ。 普通の家庭にはあって、 施設では味わえないものはなにか。 少年時代施設にいた伊達直人は知っていたのですね。 もちろんいまは時代が違うから、 お菓子ではないかも、 ね。
子どもたちが喜ぶと思って、 善意をかたちで表してくれるのは、気持ちはとてもよくわかるのだけれど。 …公的な予算をちょっとだけ援助している、 それだけの行為になっていませんでしょうか。 全国の伊達直人さん、 気をつけて。
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