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エジプト情勢が俄然動き始めた。
一時、デモ鎮静化に伴い証券市場や銀行、商店等も、カイロ市内で開店したが、今はクローズしている。
今週の月曜日、2/7までは間違いなく終息方向だったにも関わらずだ。
どうも、ここ数日で、
エジプト情勢は新たなステージに突入したようである。
当初、エジプトのデモは何の政治勢力も絡まない大衆の自発的な声。
日々の生活への不満から起きたモノであった。
同時に群衆による同時多発的に起きたデモである為、全体を束ねる指導者が無く、その方向性を失い失速気味でもあった。
生活出来ないほどの状態でない為、生活不満が理由であるが故に生きる為に生業に戻ると予想していたが、ここに来て様相が変わってきている。(政府も上手く、デモによる経済失速不利益を喧伝していた)
デモ当初、生活不満が原動力であるが故、その影響力も限定的であり、サウジ等のもっとも抑圧的で豊かなアラブ諸国には波及せず、生活不満の強い中国等(イランも含む)の国への影響の方がむしろ、強いと私は考えていた。
実際、中国は影響の波及を警戒しエジプト情勢をホボ遮断している。
が、今や、本当にアラブ世界に影響を与えそうな勢いである。
さて、鎮火しかけていたエジプト情勢がなぜ?再点火したのだろう。
どうも大衆の中から指導者が生まれつあるようなのである。
ワーイル・グネイム氏、今や、エジプト市民の反政府運動の代表的な人物の1人となりつつある。
同氏は今回の抗議活動初期にインターネットを通して市民活動を支援したため、エジプト政府に身柄を拘束されていた(1月27日〜2月7日)。
同氏がエジプト市民の心を揺さぶっているのは、支援により身柄を拘束されたからだけではない。
釈放された後、同氏は出演したテレビのインタビュー番組で、一連の反政府運動で市民に死者が出たことを聞かされ、「犠牲者の父母たちに申し訳ないと伝えたい。でも私の過ちではない。これは、権力を握り、それにしがみつこうとした連中のあやまちだ」
と涙ながらに語った事にある。
このゴネム氏の素直な心境の吐露が、デモ疲れしたエジプト市民に強い共感を呼んだのだ。
テレビ・インタービューにおけるゴネム氏の言葉と涙は、抗議活動が長引く中で疲弊していくエジプト経済と日々の暮らしの中で、疑問が生じ始めていた反政府運動の連帯意識に、新たなエネルギーを注ぎ込んだのである。
2月8日付けロイター通信はこの点について、エジプトのウェブサイトに、「ゴネム氏の涙は何百万人もの国民の心を動かし、彼らの政府に対する考えを変えた」とのコメントをしている。
さて、ここに正義が生まれつつある。
但し、力のなき正義だ。
生活不満だけを訴えるのでは正義は弱いだろう。
が、ゴネム氏の涙には正義を感じざる終えない。
その結果、権力を保持し続けるムバラク大統領への批判が強くなったの間違いない。
そして、増え続ける死傷者(死者300名超)は益々、その正義の裏付けになるだろう。
が、彼らの正義には力がない。
正義なき力は無力である。
その多くは混乱を呼ぶだけであろう。
にも関わらず、世界が注目し、政権側はその扱いに憂慮している。
力の在りか。
軍は中立を表明しているが、地方ではデモ隊に暴力をふるう警察に対し、黙認した話もある一方で、政府擁護デモ隊が反政府デモ隊を襲うのを止めたりしている。
彼らの真意は何処にあるのだろう。
そして、ムバラク政権は失いつつある正義を確保するのに懸命だ。
正義なき力の行使は暴力である。
その力の行使に政権側が躊躇している状況。
これが新時代なんだろう。
以前なら、躊躇なく弾圧していたデモを力で制圧できない。
《プラハの春や天安門等、その事例は枚挙につきない》
この正義の新しい発露が新時代の息吹なのかもしれないが、さて。。。
大衆の声なき声が力になり得る時、世界は変わるのかもしれない。
エジプト情勢が俄然動き始めた。
今後のエジプト情勢は、中東だけの事象で終わらない可能性を、広がりを見せ始めている。
そして、デモによる長期化はどちらも望まないだろう。
存外、終局は近いような気がする。
エジプト情勢が気になる。
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2011年02月11日
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