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放射能に関する治験は未だ未だ少ないと感じるのは私だけでないと思うが如何であろうか?
閾値なんてコトバのまやかしが、放射能の分野で通用してしまうのは、結局の所、良くわかっていないと専門家自らが吐露しているのに等しいと考えている。
どういう生体システムで、放射能が影響を与え、与えないかが重要であって、統計学という、あらゆる因果を含んだ数値で議論するのは、本来、邪道であるとも思っている。
だが、それに代わり得る知己がないので、しょうがなしに正規分布(大多数)で割り出した閾値と言うコトバを使っているだけである。
(疫学の場合、因果に影響を与える条件が多種多様であるが故に、統計学が発達している。)
本来なら、小麦アレルギーのような知己により、放射能に弱い条件(非正規分布)をもった人(極少数)を見つけ出す事こそが重要なのだが、それが現在の治験レベルでは出来ていない。
現在の放射線レベルは、正規分布に属す大多数にとって良いのかもしれないが、非正規分布に属する少数に多大な苦痛を負わせる危険性を感じてしまう。
つまりは、小麦アレルギーのお子さんに、無理に小麦を食べされるような状態であろうか?
しかも、反応が遅行性故に、その危険に気付けない。
「 子 ど も た ちの基準が 年 2 0 ミ リ シ ー ベ ル ト 」に緩和されたが、
放射能に弱い人(非正規分布)が強い人(正規分布)に無理に合わせられるような危険性を感じるのは私だけであろうか?
ただ、一方で現時点の科学的な知己では非正規分布に対応できるような状態になっていないのは明白である。
では?どうするのか?
非正規分布に対応出来るのは、その国の国力、余裕に通じると思う。
それ故に少数に対応出来るような国づくりこそを目指して欲しいと私自身は望んでいる。
だが、対応するとい事は、時に無用な心配を起こす事になりかねない。
>神経質になって、恐怖心を抱いている方が、却って不健康な気がします。
っという事も踏まえて論ずる事が肝要と感じている。
科学に普遍性はない。(科学だけでなく普遍性ってあるんかいな?)
絶えず、例外が存在する可能性を感じてしまうのが、私の経験から言わせる知己であり、その例外に対応しようとする関係者の誠実な努力の存在こそが真の安心につながると思っている。
真の安心とは、おそらく信頼と言い直せるのだろう。
真の安心の為に、
その誠実な努力こそを関係者にお願いしたいモノである。
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2011年04月25日
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