郵便不正 法廷証言重視の原点へ 「調書裁判」の終焉
大阪地裁が厚生労働省の村木厚子元局長に言い渡した無罪判決は、検察側が描いた構図をことごとく否定した。「調書主義から口頭主義への転換」という裁判員制度の導入がもたらした刑事裁判の大きな変化を象徴するものとなった。
【フォト】厚労省文書偽造事件の判決公判に臨む検察側
逮捕当初、検察幹部は「証拠でがんじがらめ。有罪は確実」と強い自信をみせていた。「がんじがらめの証拠」とは、検察が描いた“ストーリー”に合わせて得た供述調書だった。
・ しかし、公判では相次いで供述を翻され、調書の証拠採用を却下。検察捜査に対する国民の信頼は失墜した。
判決で、横田信之裁判長は「異なる人物の供述調書が相互に符合した場合でも、客観的事実に合わなければ十分な信用性があると認定できない」と厳しく指摘した。構図に合わせた供述調書を作ることで事実を「作り上げる」検察の捜査手法の見直しを迫ったものといえる。
そもそも法廷のやりとりを重視する「口頭主義」は刑事裁判の原則でありながら、これまでは調書が重視されてきた。だから、公判供述が捜査段階での検察官調書と食い違っても、調書を信用して事実認定されることが多く、弁護士から「調書裁判」とも批判されてきた。
しかし、昨年5月から国民参加の裁判員制度が始まり、裁判官が調書を証拠採用する基準は厳格になった。「調書却下の例はここ数年、はるかに増えてきた」というのが現場の弁護士らの実感だ。
今回の公判でも、多くの供述調書の証拠採用が却下される一方で、元係長の上村勉被告が「調書は作文」などと拘置所で記録し続けた「被疑者ノート」は証拠採用された。
被疑者ノートは取り調べの可視化(全過程の録音・録画)を求める日本弁護士連合会が平成16年に作成、使用されている。
「不明なら、関係者の意見を総合するのが合理的では。いわば、多数決」。上村被告は逮捕の5日後、検事にこう言われて調書への署名を求められた−と記入し、法廷でも同じ証言をした。
取り調べ検事は否定したが、大阪地裁は5月の証拠採否決定の際、公判証言の信用性を認め、あらかじめ想定した調書への署名を強要する取り調べを批判。上村被告のすべての調書を証拠として認めなかった。
裁判員裁判の広がりで調書重視から法廷のやりとりへの移行が進むなか、今回の無罪判決は「調書裁判」の終焉(しゅうえん)を示唆したといえる。
【用語解説】郵便不正事件
障害者団体が発行する定期刊行物を支援者らに送る際の割引郵便制度を悪用し、定期刊行物を装った企業広告が格安で大量発送された事件が発端。制度の適用を受ける際に必要な厚生労働省の証明書の偽造にかかわったとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪で村木厚子元局長と元係長の上村勉被告、障害者団体「凛の会」幹部2人の計4人が昨年7月、起訴された。
郵便不正疑惑で収賄側(?)の村木局長に無罪判決が下された。
便宜上、収賄側と書いたが、収賄された事実がないので、正直、?な事件ではあった。
そもそも、この事件は、民主党議員(牧議員、石井一議員)逮捕を目的とした事件だったわけで、検察が想定してた収賄側は民主党議員だったようである。
その構図に従い、昨年の総選挙の前
(政治的意図がなく、こんな無茶な捜査が行なわれるとそたら、検察の組織的能力不足はある意味、相当深刻と感じる。
詳細を知ると、その杜撰な捜査に唖然とするだろう。
総てがだろうで始まり、願望で終わっている。(戦前における日本の対米戦における基本戦略と同じ)
そして、その願望の裏付け捜査を行なわなかったわけだが。。。
何か、短期間で捜査を行わければならない特殊な事情でもあったのかと思えるホド、杜撰な捜査ではあった。
正直、彼ら(検察)が、そこまで愚かだとは思えないのだが・・・)
に行われた無理スジな検察の捜査は、近年では珍しく破綻して終わった。
(最近、所々で破綻しているが。。。)
今回の裁判は検察シナリオに警鐘を鳴らした裁判とも言われている。
小沢捜査・秘書逮捕と同じように検察がシナリオを書き、無理矢理思う方へもって行こうとしてこのような冤罪事件が生まれたと言ってよい。
閑話休題
こう書くと、ご批判をうけそうだが、現在、小沢氏に問われている罪状は不動産を買った買わないの時期的ズレ(一カ月の記載のズレ)のみであり、従来は総務省の指摘で修正が認められている事項である。(年間数百件ある事例)
何より、その記載時期のずれによって、どの程度の利益が小沢氏にもたらされたか?一切、検察は説明しないし、大マスコミも同じである。
つまりは昨年の西松事件と同じ構図である。(苦笑)
実質的には法の恣意的運用を法の番人が行なう事に問題があるのだが・・・、その事を糾弾すると、小沢氏を擁護するのかとご批判を受けるが、その種の批判コメントはご容赦願いたいとも思う。
もし、批判するのなら、検察の行動が法律に合致しているかどうかであり、法の公平な適用をしているかどうかだ。
その点における批判コメントは大いに歓迎したいと思っているが・・・
政治資金で不動産を買う事に疑問を感じるのは正しい情念だと私も思う。
が、小沢氏以外に政治資金で土地を購入している政治家は与野党に多数(判明している議員だけで50人ほどいる)おり、何よりその行為自体を法律は咎めていない。
もし、小沢氏を始め、政治資金によって不動産を購入した政治家を責めるなら、その行為を否定出来ない法律でなく、その行為を否定する我々、日本国民の社会常識であり、つまりは日本の法によるモノと私は考える。
そして、日本の法(社会常識)を犯した彼らは選挙によって審判を下させるのだから、それで行うのがスジだとも合わせて主張したい。
もっとも、それが無理かも知れない事を承知での発言ではある。
しかし、現状のレギュレーションにおいて可能な手段であり、その可能であるハズの手段が実行されない事、それ自体が我々の判断の結果でもある。
その事実を無視して、ある部分を切り取って、都合よく現状の政治状況を批判するのは幼い理想論を振りかざすのと同じと感じる。
法の番人が法の恣意的運用を積極的に行い、その行為を我々は拍手喝采して応援する。
実に我々は愚かだ。
閑話休題終わり
小沢事件と同様、
政教分離ということで、公明党(創価学会)を追及した石井議員を逮捕のために、村木局長を陥れようと検察が謀ったとの陰謀説もあり、どうにも釈然としない事件だ。
この事件のポイントは
①構図(目的)があって、それに沿って捜査が行なわれていた点
②その構図に無理があったのにも関わらず、調書至上主義で公判に持ちこんだ点
③そして、その②が(珍しく)裁判で否定された点にある
私が着目したいのは①である。
この①が強すぎるが故に、②、③が起きたわけだから、この事件の真相、根本は①の解明だろう。
(詐欺としては詐欺で公判が進んでおり、村木氏のように政治的意図が感じない公判が進めれられている)
その①がどのような動機によって発せられたか、実に興味深く、その事実究明は、日本に相当な影響を与えると想像する。
タイミング良く、鈴木宗雄事件が一応の解決をみたが、その発表時期に疑問を感じる人が多いのも、また、事実だ。
本来、検察権力は政治権力と緊張関係にあるベキと考える。
(三権分立)
が、上記事件は、互いに政治権力と検察権力が利用し合っているようにも見え、危機感を感じる。
それ以上に、検察に法の恣意的運用を許せば、一体、日本は何をもって判断されるのか、判別の出来ない中国のような人治主義(法律の対象によって法律の運用が変わる不公平な状態)国家になるは自明の理なのだが、それに対する危機感は、残念ながら社会として共有はされていないようである。
もっとも、闇雲に①の真相を解明する事(推論、かもしれない)は、検察の信用を地に落とす事になり、結果的に、日本全体が被害を蒙るかもしれない。
その影響を鑑みると、何が良く、何が悪いか判断が難しいが、かと言って、検察の杜撰な捜査を許す事も出来なく感じ、最終的には日本の社会常識、(法)にすがりたいのだが、その法が崩壊しかかっている。
さて、どうなる事やら・・・
諦観の気分である。(申し訳ありません。)