安全保障

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日本の保守派(従米派という名の依存主義者)を自認する方々の多くがアメリカ在りきの安全保障を語るが、その空虚さを彼らは気付いているのであろうか?
 
自立でなく依存を前提に語る安全保障が如何に寒々としたモノかなど、直ぐに理解出来るようなモノだが、彼らは声高に対米依存を主張する。
 
過度に安全保障を他国に依存した国が、その後、どのような末路を辿ったか、歴史を見ればわかるようなモノだが、彼らは歴史を学ぶ気がないようだ。
 
止むをえず依存しなくてはならない時もあるとは思うが、日本とは依存しなくては行けないほど、国力のない国なんだろうか?
 
完全な自立が難しい事はわかるが、自立へ向けた努力もなく、意志もない、依存心のみで安全保障を語る現実感のなさ(彼らはそれが現実と言う)に、私は違和感を禁じ得ない。
 
日本の自衛隊が張り子のトラであり、費用のムダである事を理解している日本人は少ない。
総てが米軍在りきの組織になっており、当にその点において思考停止状態になっている。
米軍の支援なしでは北朝鮮(通常兵器のみでも)にも勝てないだろうが、その危険性を考慮している政治家はどれだけいるのであろうか?
 
 
考えない。
表層のみで、その影響を、その将来を想定出来ない。
 
 
世界はアメリカの一極支配から多極に向けて徐々にシフトしている事は周知の通りだが、なぜ、日本の保守派はその現実を分析しないのだろう。
実際、アメリカの世界戦略は水面下で大きく変わって来ているのだが、保守派はその現実を知っているのだろうか?
 
サンデル教授の正義とは?というある種、中二病的な原則を確認し、それが称賛されるのも、アメリカが変調を来してきた一つの証左だろうと私は感じてしまう。
 
自身の正義の正当性にアメリカは疑問に感じ始めている。
だから、サイデル教授の問いかけが世に受ける。(日本も同じ)
その理由は冷戦崩壊以降の各種海外政策による失敗によるモノだろう。
 
自国の信じる正義を維持しようと、多大な労力(他の国からは大きなお節介の場合が多く、アメリカの自己都合の場合がほとんど)を払っているにも関わらず、世界中の国から嫌われている事にようやく徒労感を感じ始めたようだ。
 
これが曲がりなりにも成功しているのなら、彼らも世界の警察官を続けたかもしれないが、失敗しているのである。
 
自信の喪失。
故に正義とは?等を再確認したがるのだろう。
アメリカが自分探しを始める端緒に私などは感じてしまう。
 
アメリカが世界の警察官を維持できた圧倒的な軍事力、それを裏付けて来た経済が現在限界を迎えている。
(アメリカ経済が従来の軍事力を支えるホド、強くなく限界を迎えている情報を知っているハズだが、日本人は・・・)
今のまま推移すれば、アメリカは経済破綻(破綻というより調整が入る。安保を含む政策の見直しは必須だろう)をすると予想されているが、日本の記者クラブは一切、その事実を報道しない。
 
一番の理由はアメリカの将来的な公的年金責務によるモノだ。
 
50兆ドルを超えるとも言われている公的年金の支出にアメリカは耐えきれるのだろうか?
 
今の経済情勢下では己の生活と世界の警察官の維持。
そのどちらかをアメリカは選ばざる終えないだろう。
 
そして、私はアメリカが己の生活を選ぶと予想する。
 
アメリカは世界の警察官を辞めたがっている。(己の正義に疑問を持ち始めている面もあるが・・・)
その潮流はアメリカの保守化によるモノだ。
アメリカ本来の考えは、自分の身は自分で守る事である。
だから、あれ程、頑なに銃社会を維持するのだ。
 
伝統的な中立政策(自国の安全保障を担保する事を企図)に戻る事は容易に想像できる。
 
さて、これら情報を踏まえた上で日本のいる極東情勢は如何に推移するのだろう。
中国の軍事予算規模は2020〜2025年にはアメリカと肩を並べると予想されている。
(もう既に実質購買力でアメリカ経済を凌駕しているとの分析もある。)
 
極東で中国を念頭に軍拡競争をする余力がアメリカにあるのだろうか?
 
自国の安全保障さえ担保できれば、中国と妥協する可能性(極東での中国の覇権を認める可能性)は大いにあるだろう。
実際、それを見込んで米中は対話と対決を重ねている。
 
冷戦構造と違い、中国とアメリカは決定的に対決していない。
 
現在、アメリカは両天秤で極東での軍事的プレゼンを考えているようだ。
その動きが、フィリピンからの撤退であり、韓国からの撤退であり、グアムへの基地機能集約の流れなのだが、その流れを日本は見落とし過ぎていないだろうか?
 
そして、何よりアメリカの経済的な衰退は、私達、日本により困難な情勢をもたらす事を予見させる。
 
危機管理とはあらゆる自体を想定し、準備する事であると説明される。
その論法に従うなのなら、今の日本に危機管理はあるのだろか?
 
答えは否だろう。
 
そこに民主や、自民の政治家や、一部識者の思考枠の限界を強く感じてしまう。
 
保守派を自認する彼らは現実を見ない護憲主義者の空想を批判するが、私は未来を予測せず、危機管理が出来ていない彼らの想定能力の無さを問題にしたい。
 
危機管理とは想定能力の有無と言い直して良いのだが、その決定的な想像力なさが日本の問題の一つと感じてしまう。
 
私はアメリカ抜きの安全保障の愚かさを知っているが、日本の都合に関係なく極東からアメリカの軍事プレゼンがなくなる可能性を考えてしまう。
 
いつまでもいると思うな親とカネ。
(久しぶりに硬派にまとめた(つもり)の、この記事のお終いに相応しくはないが、今の日本に贈りたいコトバでもある。)
 
 
親(アメリカ)とカネ(日本経済)は永遠ではない。
 
 
 
 
ごますり相手は?アメリカ、日米軍事同盟万歳(笑)-管ちゃん編
ごますり相手は?アメリカ、日米軍事同盟万歳(笑)-自民党編
 
 
 
以下、富塚文太郎さんの転載記事です
 

日本再び太平洋で戦う?

 
昨年末のことだが、「msn産経ニュース」(12月31日)に、「自民が安保改訂を検討 双務的な日米同盟へ 在日米軍基地の提供義務は削除の方向」という衝撃的な見出しの記事が掲載された。
自民党の「政権復帰後に安保条約改定を米国に提起する方針を固めた」と「複数の党関係者が30日までに明らかにした」という。
 
この見出しで注意を引いたのは、いうまでもなく「在日米軍基地の提供義務は削除」という点である。
“遂に自民党も米軍基地の解消に乗り出す決意を固めたのか”と思ったのは一瞬のこと、本文を読むと、米軍基地については「別途定める駐留協定に根拠を求める」ということなのだ。
つまり、米軍基地提供の条項を条約本文から外すが、別途の協定でそれを定めるということなのである。
要するに、これは安保条約上からの“米軍基地提供義務隠し”らしい。
さらに驚いたのは、この安保改訂により、
 
日本を太平洋を舞台とする本当の軍事同盟に引き入れようとしていることである。
 
 この安保改定案では、日本の集団的自衛権の行使を前提に、「日米双方が太平洋地域で共同防衛義務を負う」ということになる。
すなわち、現行条約では、日米両国は「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め……共通の危険に対処するように行動することを宣言する」(第5条)と定め、日米両国の共同行動を「日本国の施政権下の領域」での武力攻撃への対処に限定しているのに対し、改定案では、その範囲を太平洋地域の「日米双方の領土に加え、『管轄下にある諸島』や域内の部隊、艦船、航空機に対する攻撃 も 共同防衛の対象とした」(上記産経ニュース)とのことだ。
 もしそうなると、太平洋のハワイ、ミッドウエー、グアムなどの米国領のほか、米国保護領である北マリアナ諸島(サイパン島が中心)や、かたちは独立国だが安全保障上の権限は米国が保持しているミクロネシア連邦(カロリン諸島)やパラオなどの諸島で起きた米国への武力攻撃、あるいは太平洋で行動中の米国の空母や潜水艦への攻撃に対しても、日本の自衛隊は米軍と共同で出動することになるわけだ。
 
 この新しい軍事義務は、いうまでもなく日本国防衛の行動、すなわち本来の自衛ではなく、米国領及びその「管轄下の諸島」を防衛する行動(米国と共同の)である。
 自民党がなぜこのように日米の共同軍事行動の範囲を拡大しようとしているのかというと、それは「相互防衛義務を負わない代償に基地提供義務を負う現行の日米安全保障条約の片務性を解消するため」(同上)だという。
ここで、このような現行条約における日米両国の“ギブ・アンド・テイク”の関係を図式化すると、「日本による基地の提供=日本のギブ=米国のテイク」と「米国による日本防衛の義務=米国のギブ=日本のテイク」とが釣り合うかたちになっている。すなわち、これは本来の「同盟」ではなく、「日米両国による日本国共同防衛の条約」である。
 しかし、近年、日米両国政府はこのような安保条約をなし崩しに「日米同盟」であると称する(詐称)ようになっている(当「診断録」12月13日号参照)。
これは、現行安保条約がすでに対等の二国間の軍事同盟であるかのように日本国民に思いこませながら、日本の軍事行動の範囲を日本防衛という限定されたものから、日本国外の広い範囲に拡大させようとする(自衛隊はすでにイラクへも派遣された)日米両国政府(日本の菅直人民主党政権を含む)の意図に発するものにほかならない。
 
 伝えられる自民党の今回の安保条約改定案は、条約の改定無しに現に進行しているこのような事態(それは現行安保条約の違反である)を、条約改定によって合法化しようとするものである。
 自民党はこうした自衛隊の国外行動を合法化するために、「個別自衛権」(自国を防衛する権利)だけではなく、「集団自衛権」(特別な関係にある他国への攻撃に対しても武力行使で対処する権利)も日本国憲法に抵触しないという解釈を明確化し(日本政府は従来はこれを違憲であるとしてきた)、そのことを法制化しようと企図している。
 そのことに向け、すでに自民党は昨年の参院選に際してのマニフェストで、「集団的自衛権行使を可能とし、安保条約の実効性を強化するために『安全保障基本法の制定』を明記」した。また石破茂自民党政調会長は、平成18年12月に「党国防部会防衛政策検討小委員会委員長として基本法の私案を策定。この中で集団的自衛権行使の条件を『わが国と密接な関係にある他国に対する急迫不正の武力攻撃が発生した場合』と規定」している(同上)。
 
 このように、もし次の総選挙で自民党政権(連立政権を含む)ができた場合には、日本は正真正銘の「日米軍事同盟」に引きずり込まれ、いったんことが起きた場合には、太平洋という広い範囲内で(中国の近海で行動している米国艦船への攻撃が発生した場合にも)、米軍に協力して軍事行動をできるようになる(また行う義務を負う)のだ。
 
こうした軍事行動は、憲法第9条を持ち出すまでもなく、敗戦後の日本再建に際しての立国の基本精神に反するものだ。それだけではない。自民党案によるこうした安保改正では、現行条約における“ギブ・アンド・テイク”の関係にも大きな変化がもたらされる。なぜなら、日米は太平洋地域の「日米双方の領土に加え、『管轄下にある諸島』や域内の部隊、艦船、航空機に対する攻撃 も 共同防衛の対象」(上述)とすることにより、相互に“ギブ・アンド・テイク”の関係に立つことになるわけだが、その上に、従来からの「米軍基地提供の義務」という日本の“ギブ”がそのまま残るので、これが完全な不平等条約になるからだ。
 
 念のために付け加えるが、私は現行安保条約における日米関係、すなわち「日本による基地の提供=日本のギブ=米国のテイク」と「米国による日本防衛の義務=米国のギブ=日本のテイク」とが釣り合っている関係をそのまま良しとするものではない。
上記の「診断録」(12月13日号)でも述べたが、私は日本は自力で自国を防衛すべきだと考えている。それは独立国として当然に担うべき権利であり、また義務である。それに対し、現在のように、自国防衛の重要な部分を外国の軍事力に依存し、自国内に外国軍の駐留を認めている状態は、真の独立国家の姿ではない。
 もちろん、いますぐ米国による軍事支援をなくせるとは私は思わないが、その方向を政府も国民もしっかりと持って日米関係(のみならず対外関係全体)を再構築していくべきなのである。
 
本当に日本自身が自衛(文字通り)する覚悟で進むとすれば、
 
現在はまだ自国を守りきれない国でありながら、日本の領域外の太平洋地域において(他国との同盟の下で)軍事行動を起こすなどといった無謀・無理を考えることはできないはずだ。
 そうした冒険主義的な軍事行動を(自民党が立案しようとしているように)軽々に容認するつもりになるのは、実は、自衛隊を米軍の指揮下で(傘の下で)行動する軍隊、すなわち米軍の従属軍と見なしている証拠である。

ここに、まさに自民党の体質と本音が現れている。
要するに自民党は、米国に従って日本の国際関係を律していこうとする“従米主義”の保守政党なのだ。
だから、私は大部分の自民党の政治家たちが言う“愛国”とは偽物だと思っている。
 
 こうした点で、保守的な、あるいは右派的な論客の場合も自民党の政治家たちと大差はない。
1月3日付の産経新聞は第3,4面全部(広告を除く)を使い、「目覚めよ日本 中禍を見抜け」(中禍とは中国がもたらす禍という意味で使われている−引用者注)との大見出しで、櫻井よしこ(評論家)、渡辺利夫(拓殖大学学長)両氏の対談を掲載していたが、そこでの発言に上記のような主張の特徴が端的に表れている。 
 桜井氏は対談の冒頭で、日本の「何が根本的問題でしょうか」という司会者の質問に対して、「普通の国家が備えている要件、外交力と軍事力を、戦後の日本が失ってしまったことに尽きる」と答えている(この点に関しては私に異存はない)。
ところが、そうした自前の外交力・軍事力をどう回復するのかについてはなにごとも具体的なことを語らずに、「端的に言えば憲法9条では国を守ることはできない」として、憲法批判に熱を上げている。
そして、結局は渡辺氏が言う「日米同盟がしっかりすることによって初めて日本がアジアに向けて凜たる国家であるということができる」という言葉に同調しているのだ。要するに、この両氏は従米・疑似国家主義とでも言うべき奇妙な立場(戦前の右派の論客にはあり得なかった)なのである。
 
 それはとにかくとして、伝えられるような安保条約改定案を自民党が提起することは、同党の正体と日米安保体制の問題点を明らかにすることに役立つので、その意味ではむしろ歓迎すべき動きかも知れない。
 
転載終わり

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返答挨拶で小沢抹殺を宣言した菅首相の異常さ

以下、1月5日の天木直人氏のブログです。
 
今年初めてのブログは菅首相批判からはじめたい。
それほど菅政権はひどいと思うからだ。
 
日本人が年の初めに行なう事は、その一年が平穏でよい年であるようにと願う事
であると相場が決まっている。
ましてや一国の首相の年頭所感表明である。国民のためを思い、国民のための
政策を語るのが当然であろう。
 
たとえそれが嘘っぱちだとしてもだ。
ところが菅首相の年頭所感表明は違った。
 
名指しして政敵を攻撃した。政敵の政治生命を叩き潰すと国民の前で宣言した。(私:素晴らしい拍手。
こんな総理の念頭所感表明は日本の政治史の中でも異例に違いない。
 
今年は日本国民にとってろくな年にならないだろう。
なぜ菅首相はここまで小沢一郎を目の仇のように攻撃するのか。
 
その鍵は「日米同盟の深化」にある。
本年の菅首相の最大の課題は、消費税でもTPPでも普天間問題でもない。
訪米して「日米同盟の深化」を宣言する事だ。
「日米同盟の深化」とはなにか。
それは日米安保体制に取って代わる究極の対米従属の固定化である。
 
国民がその実態を知ったなら到底認めがたいものだ。
戦後一貫して日本を苦しめてきた米国の日本占領政策が、このまま行けば今年
菅政権の下で完成することになる。
菅首相はその前に辞めるわけにはいかない。
 
米国は辞めさせない。
私:代わりがいますからね。前原ちゃんがいるから大丈夫。アメリカの意に添い日韓安保を提唱したのは最近の話、宗主国の為に皆で競い合っていますね。ガンバレ、ガンバレ
 
なんとしてでも米国は菅首相の手で「日米同盟の深化」という歴史的偉業をなし
遂げさせなければならない。
 
菅首相は自分の手でそれを達成したい。
そうすれば菅民主党の長期政権も夢ではない。
 
中曽根ー小泉と続いた対米従属政策が菅首相の手で完結する。
新年早々、異常なまでに小沢一郎を批判して、国民の目を小沢一郎の「政治
と金」の問題に集中させる理由がここにある。
 
大手メディア、解説者が小沢報道に終始し、小沢批判を繰り返す理由がここにある。
小沢つぶしは米国、菅民主党、大手メディアの合作だと言われるゆえんである。
国民はごまかされていてはいけない。
小沢一郎が好きか嫌いかの問題ではないのである・・・               
 
転載終わり
9月28日、オバマ米大統領はイラン政府高官8人に経済制裁を科す大統領令に署名した。
果たして、主権国家の政府要人に対し、第三国が人権侵害を理由に、制裁という罰を加えることに正当性はあるだろうか。

主権国家への国際介入は歴史的には、力は正義という考え方に基づいて行われたケースや、対象国の介入要請・同意による対応がある。
また、1990〜91年の湾岸危機・湾岸戦争の事例のように、国連安保理決議に基づく国際的な合法行動がある。
今回の制裁理由はというと、米財務省のコメントでは「2009年6月のイラン大統領選挙依頼、イラン国内で続く深刻な人権侵害に対して(8人が)責任を負っている」とのことである。
 
そして、クリントン米国務長官は記者会見で、
①イラン政府の政治犯の即時解放、
②イラン政府が国民の権利と自由を尊重するよう求めた。
制裁の内容は、対象者の
①米国内の資産凍結、
②米国の個人や団体との取引禁止、
③ビザの発給禁止などである。
 
対象者8人には、ジャワリ革命防衛隊司令官、モスレヒ情報相、ナッジャル内相、マハスーリ社会福祉相(当時は内相)、モホセニエジェイ検事総長(当時は情報相)など、イランの治安関係責任者の名前が挙がっている。

ここで問題となるのは、介入理由である。今回は、先に挙げた過去のケースとは異なり、2003年3月のイラクへの米英の介入で問題となった、普遍的価値に基づく新しい介入である。
 
その普遍的価値とは人権、人道、大量破壊兵器の拡散防止などの価値観であり、対象国でそれが大きく侵害されている場合、「保護する責任」や自国の「安全保障」に基づき介入行動をとるというものである。
具体的に問題点を挙げると、
①主権国家内で起きた出来事を第三国が裁くという行為、
②普遍的価値といわれるものは本当に普遍的であるのか、
③措置が一方的に行われる場合が多い、などである。

確かに、イランでは2009年6月の大統領選挙後、反政府活動家への不当な暴行や拷問などによる犠牲者が出ている。
また昨年のベルリン国際映画祭で監督賞を受賞したアスガー・ファルハデー氏の映画制作が政府の圧力で中止されるなど言論への統制も強まっている。
しかし、イランと同様に人権侵害や自由化に規制をかけている他の国に対して、多数の政府要人に経済制裁をかけた事例はこれまでない。
そうすると、米国のイランの政府要人への制裁の目的は人権保護であるとの言い分に対して疑問が生じる。
当然ながら、今回の8人に対する制裁は、イランのウラン濃縮活動を停止させるための国際的な制裁強化との関連性があると考えられる。
また、外交政策では、目的達成のために多元的に方法を組み合わせることは常套手段である。

しかし、今回の措置が、今後の国際社会での秩序づくりにおいて問題を残す可能性がある。
それは、「人権侵害」があると認定できた場合、国際介入をするかしないかの基準が明確でないからである。
例えば、アラブの人々の中には、米国はなぜイスラエルによるパレスチナ人に対する人権侵害があるにもかかわらず、イスラエル政府要人への制裁を検討しないのかと考える人がいるかもしれない。
「保護する責任」という概念は、多くの犠牲者を出して国際社会が漸く手にしたものである。だからこそ、その使い方においては「正義」や「公正」といった価値観が重視されるべきではないだろうか。

戦後最大の外交敗北は

尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる9月30日の衆院予算委員会集中審議で、自民党トップバッターの小野寺五典元外務副大臣は、この事件への政府の対応を「戦後最大の外交敗北だ」と批判した(各紙、10月1日)。
 この発言は恐るべき無知の露呈で、外務副大臣(安倍改造内閣及び福田康夫内閣で)の経験者もこの程度の歴史認識しか持っていないのかと一驚した。
 戦後日本外交の最大の敗北は、吉田茂首相(現在の自民党の前身の一つ、自由党の総裁)による、サンフランシスコ条約(「日本国との平和条約」、1951年9月8日調印、52年4月28日発効)締結に際しての「千島列島の放棄」(同条約第2条c)であろう。この権利放棄が、それ以後におけるわが国の「北方領土問題」についての立場を決定的に苦しいものにした。
 それに次ぐ日本の外交的敗北は、鳩山一郎首相(元日本民主党総裁、55年の保守合同で自民党初代総裁)による「日ソ共同宣言」(1956年10月19日、モスクワで調印、同12月12日発効)の合意に際しての 、「歯舞群島及び色丹島の引き渡し」の条項(同条約第9項)である。これにより、対日二島返還で領土問題を解決しようとするソ連(現ロシア)の方針に有力根拠を与えることになってしまった。
 
 ここで、第2次大戦終結に伴う、日本の領土問題に関する国際取り決めの推移の要点を振り返っておこう。
 こうした取り決めの直接の出発点は、連合国が日本政府に「戦争の終結」の決定と「全日本国軍隊の無条件降伏」を迫った「ポツダム宣言」(1945年7月26日、原署名国は米国、中華民国、英国。後にソ連が参加。日本は同8月14日にこの受諾を通告)である。
 この宣言は第8条で、戦後における日本の領土について、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及ビ四国並ビニ吾等ノ決定スル諸小島ニ極限セラルベシ」と指定した。問題は、この「諸小島」の範囲をどう決定するかということで、それは連合国と日本の平和条約の課題として残された。
 この平和条約は、連合軍(実質的には米軍)による日本占領の時期に、サンフランシスコにおいて、全連合国との「全面講和」ではなく、「片面講和」(当時は単独講和といわれた)として結ばれた。
 
 この平和条約が「全面講和」とならなかったのは、1949年に北京で成立した新中国政権(中華人民共和国)を米国や日本が承認していなかったために(それまでの国民党政権は台湾に逃避)、サンフランシスコ講和会議に出席すべき中国政府を北京、台湾両政府のいずれにするかについての連合国間合意が成立しなかった(英国はすでに北京政権を承認)ことによる。その結果、この講和会議は対日戦争の一主役であった中国の代表が参加しない不正常なものとなった。
 またソ連、ポーランド、チェコスロバキアの東側3ヵ国は、サンフランシスコ会議には参加したが、中華人民共和国の会議への不参加を理由に会議の無効を主張し、署名を拒否した(当「診断録」10年8月15日号参照)。
 このような「片面講和」のひずみを是正するため、その後「日ソ共同宣言」(上述)や「日中共同声明」(日本側代表は田中角栄首相。1972年9月29日)がソ・中両国との間で合意された。 
 
 さて、サンフランシスコ条約においては、ポツダム宣言第8条に述べられた戦後日本の領土について、第2章「領域」第2条で次のように決定した。
 (a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
  (b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 (c)日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。 
 (d)〜(e)は省略
 (f)日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 
 このサンフランシスコ条約(以下ではサ条約と略す場合がある)の領土条項については、念のために、広く次の諸点についてコメントしておく。
 (a)について。日本は独立する朝鮮に対し、済州島、巨文島及び鬱陵島を放棄することを受け入れたが、竹島については権利を放棄していない。
 (b)日本は台湾及び澎湖諸島(台湾西方海上)を放棄したが、尖閣諸島の放棄はしていない。なお、放棄した台湾等の帰属先については。この条約は定めていない。
 (c)日本は千島列島を放棄した。地理的には千島列島とは、通常は国後、択捉から占守島(しゅむしゅとう)に至る列島を指す。したがって、(歯舞、色丹島に加え)国後、択捉島を含む諸島を「北方領土」と称して(南千島とは言わないで)ロシアに返還を求める日本の立場は、サ条約を無視していることになり、国際的にははなはだ弱い(この点は後でも述べる)。なお、サ条約は、日本が放棄する千島列島と南樺太の帰属先については述べていない。
 (f)について。新南群島とは現在の南沙諸島のこと。そして、サ条約は日本が放棄する南沙、西沙両群島の帰属先についても決定していない。ここに、この両群島の領有権をめぐる今日のASEAN諸国と中国の対立の一原因がある。
 
 このように、日本は1952年の対日平和条約において千島列島の放棄という重大な過失を犯した。第2次大戦の終結に際しての国際交渉と国際関係に関する優れた研究である「ヤルタ−戦後史の起点」(藤村信、岩波書店、1985年)は、このことについて次のように論じている。
 「サンフランシスコ条約で千島全島の放棄を承認した日本は、それ以後、『四つの島々は日本固有の領土であったから千島諸島には含まれない』という苦しい論理を発見し、《北方領土》という、世界の世論にアピールするには説得力の弱い、概念の不明確な言葉をつくりだして、四つの島々の返還を求める運動を展開しています。しかし、これも矛盾した用語であって、『固有の領土』というからには千島の全島を含めなければならないでしょう」。
 この藤村の説明には若干の補足が必要だろう。
 
 藤村が「『固有の領土』というからには千島の全島を含めなければならない」というのは、1875年(明治8年)の日露両国の「樺太・千島交換条約」により、平和的に(つまり戦争の結果としての獲得物ではなく)、千島全島が日本領土となった事実を指している。
 したがって、従来の日本政府(主として自民党政府)は二つの矛盾を犯していることになる。
 すなわち、その第一は、サ条約で全千島を放棄しておきながら、あとになって南千島の国後、択捉を「固有の領土」だと主張して千島列島から除外しようとしていることである。
 その第二は、「固有の領土」の返還を求めるなら、なぜ全千島の返還を求めないか、という問題である。
 
 サ条約で日本が放棄した千島列島とはどこかという問題については、当時の西村熊雄外務省条約局長が同条約を批准するための衆院での審議(1951年10月)に際し、放棄した千島列島には南千島(国後、択捉島)が含まれると答弁している。
 そうした日本の主張が変化するのは、日ソ国交回復のための交渉が鳩山一郎内閣の手で始められた時(1955年)以降である。すなわち、交渉の始まる頃から、保守合同後の自民党内から「四島返還論」(北方領土返還論)が台頭し(55年11月には四島返還が自民党で党議決定された)、鳩山首相の対ソ交渉を制約した。この要求にソ連は反発、それが主因で国交再開交渉は難航した。
 その結果、到達した結論が、平和条約の締結を先送りしての、「日ソ共同宣言」(1956年)の合意であったが、この宣言は第9条で次のように述べている。「ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソビエト社会主義共和国連邦との平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」。ここで、ソ連が「返還」と言わず、「引き渡し」とした点にも注目する必要がある。 
 
 その後の日ソ交渉は、曲折を経たが、依然として領土問題が最大の障害になって今日まで妥結に至っていないことは周知の通りである。「四島返還」を主張する日本の立場にとっては、やはり「日ソ共同宣言」における歯舞・色丹返還の条項が弱みとなっていることは否定できない。当時の日ソ交渉では、むしろ領土問題をすべて未解決事項とした方が望ましかったと思う。
 しかし、問題の発端は、なんといってもサンフランシスコ平和条約において日本が認めた「千島列島の放棄」である。この時の吉田政権の無思慮、その結果としての国益の毀損あるいは外交的大敗北(主としてソ連に対する)を、今日あらためて検証する必要があろう。
 なお日本共産党は、千島列島は「1875年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約により、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定」しており、したがって「四島返還」だけを求める日本政府の方針は大きな誤りで、「全千島の返還」を要求すべきだと主張している(しんぶん赤旗電子版、10年1月27日)。そうした要求の実現は不可能に近いと思うが、要求の論理としては最も筋が通っている。
 
 以上のように、戦後の日本はその建て直しの出発点において、吉田内閣の手で外交上の「大敗北」を招き、それによって戦後の日本の国際的立場を弱める大原因をつくってしまった。
 始めに紹介した自民党の小野寺五典元外務副大臣は、そういうことも知らずに、尖閣諸島問題で逮捕した中国漁船船長を釈放したこと(それで政府が尖閣諸島についての日本の領土的主張を引き下げたわけでもない)をもって「戦後外交最大の敗北」との非難を大上段で政府に浴びせた(私もTVでその場面を視聴した)。“無知なる者は(心臓が?)強い”、ということか。(この項 終り)

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