|
新型インフルエンザの死亡数を大々的に報道する日本のメディア。
確かに国民の大きな関心事の一つだと思いますが、もっと私は自殺者の事に関して報道すべきだと思います。
新型インフルエンザの年間の死者数より、今の日本における自殺者数の方が明らかに多いはずです。
(現状 新インフルエンザ8:自殺者30000)
なぜ、メディアは、国民は自殺者より新型インフルエンザを注目するのでしょう。
少子高齢化が進む中、
ここ十年間で中核都市分の人口が失われました。
もう少し、自殺者について、効果的な国家対策を行うべきだと思います。
ところで、なぜ、日本ではインフルエンザには敏感で、自殺者にこうまで鈍感なんでしょうか?
一つに、インフルエンザは誰もが平等に感染する災厄で身近なモノであるのに対し、
自殺に関しては誰もが陥る苦境ではないと思われているからと、私は考えます。
昨年の派遣解雇の際の安易な自己責任論。
確かに派遣労働者に、努力が足りないとの論は一理あると思います。
が、社会として彼らに助けの手を差し伸べるのは当然の事と思います。
リスタートし易い社会は、社会に活力を与えます。
新規の産業も興りやすいでしょう。
リスタートし難い社会は、社会が保守的になります。
新規産業も興りがたく、社会は縮まっていきます。
そんな当たり前の事が、当たり前に成らず、当事者の不幸を個人の責任と成す社会。
自分は安全圏で大丈夫だから、他人に苦労を強いる人々。
(あるプログで、大学全入(高学歴)は必要ない。低賃金労働者がいなくなって困るっと主張してましたが、自分は安全で、他人に苦境を押し付ける非常に不愉快な主張でした。また、それに多くの方が賛意を示すコメント、社会の分断を感じます。尚、この方々は基本、移民反対です。にも関わらず、移民と同じような仕事を日本人やらせる事に疑問を持たない不思議な方々でした。)
マスコミの公器としての役割を疑問視しましたが、
我々、日本人も共同社会の一員という視点が抜け落ちていませんでしょうか?
社会として何処まで、個人を援けるかは、議論が必要な事と存じます。
が、旧来型のセーフティネット(地域、家族、企業、社会)が壊れ始めている中、非常に不安定な状態であるのは確かです。
実質、崩壊した社会保障制度共々、共同社会の維持に関する負担の是非について国民的議論の必要な時期にきていると私は思います。
その一方で、政治は今回も逃げてしまいました。非常に残念です。
|