戦争

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一昨日のNHKスペシャル、1月からのシリーズ物日本人はなぜ戦争へと向かったのか、第三夜は“熱狂”は
こうして作られたでメディアを取り上げた。
 
番組の冒頭、新聞主要三紙の発行部数のグラフが紹介される。満州事変迄は合計して400万部余程度の
部数は、満州事変後に飛躍的な伸びを見せ、10年後の日米開戦時には800万部を超えていた。戦争は新聞に
とって販売促進には絶好のコンテンツだったと言える。勝利を次々と収める日本軍に将来の展望を見出そうと
したり、親族の安否を気遣う国民感情が、新聞購入に駆り立てたのだろう。満州事変発生時、政府は不拡大
方針を打ち出したが、関東軍は無視して戦線は満州全域に拡がり、新聞各社はどちらの支持をするかの岐路に
立たされたが、大半の新聞社は「満州は日本の生命線」と称し、関東軍を支持した。此処でメディアは致命的な
ミスを犯す。取材の中で満州事変は関東軍の謀略だったという真実を掴むのだが、その真実を伝えることなく、
日本の正当防衛とこれまでの論調を変えなかった。真実よりも国益を優先し、自らが国家的使命を果たす事に
よって国家に貢献したとして自分を正当化したと番組では断じている。それは満州国建国への賞賛や新聞社
132社によるリットン報告書への国際的抗議、国際連盟脱退論の展開によって表された。日本国民も熱狂的に
それらを支持し、国際連盟脱退を実行してしまった松岡洋右全権大使の帰国を歓迎する様は、本人も戸惑う程
だった。新聞各紙も稀代の英雄と祀り上げた。この様な社会環境において、時流に刃向かう様な批判報道は
不買運動という形で新聞各社に圧力が掛けられた。またその様な形での言論弾圧に対し、当事者の新聞社に
その認識は薄かった。最も譲っては成らない物をいとも簡単に明け渡してしまったのだ。強制される前に自己
規制を行う様になり、メディアとしての価値を失ったと言えよう。
 
当時、新聞と並んで力を持っていたメディアにラジオが有る。満州事変時には100万台程度だったが、日米開戦
時には700万台に達しようかという勢いで契約台数は伸びていた。ラジオは新聞と違って一社独占、日本放送
協会、すなわちNHKが運営していた。言わば国営放送なのだが、その組織のトップ、総裁には総理も務めた
近衛文麿氏が就いていた。彼は日中開戦にあたり、メディア各社に協力を要請、此処に政府とメディアが一体と
なっての挙国一致報道体制が敷かれた。また彼はラジオ放送による自らの演説、それに呼応する拍手や歓声を
日本全国に届け戦意を高揚させた。その手法はナチスドイツ譲り、番組では当時のNHKがナチスドイツの手法を
研究していたと明かす。組織体制や番組編成まで模倣していたとする。
ラジオ放送は音声のみであるが故に受け手の想像力を掻き立て、それは真実と違うものすら連想させる事が
有る。野球中継をテレビとラジオで同時に視聴すると、画面に映る平凡な外野フライがラジオではあわや
ホームランかの様な打球で実況されていたりする。実況者も見る物を含む感じる物全てを音声で伝えなくては
ならず、あのような大袈裟な表現になってしまうのだろう。
 
報道は作り上げる事は出来ても、真実は作れない。当時の中国の首都、南京が陥落しても日中戦争は終わる
気配を見せない。報道では連戦連勝でも、中国は屈せず戦争は長引き、悪化の一途を辿る経済に日本国民は
不満を募らせる。その不満は中国を支援する米英に向いた。対米強硬論も出る中、開戦に踏み切ったドイツの
快進撃の報が伝わると、陸軍とメディアと国民は日独伊三国軍事同盟を締結すべきとの主張に傾く。同盟には
反対だった外務省や海軍も世論の勢いに負け、近衛総理ですら乗り気では無かったにも関わらず、三国同盟は
締結された。同盟を良しをしない米国は態度を硬化し日米交渉が行き詰りを見せると、メディアは反米報道を
展開し、世論は日米開戦に傾いていった。結果、日本は米英との開戦に踏み切ってしまった。
 
戦後65年余り、今の日本のメディアと国民に戦前の様な傾向は無いだろうか。好例が小沢氏の政治とカネの
問題に関する一連の報道と国民の反応だ。小沢氏の秘書が逮捕されて以降、メディアは検察からリークされた
情報を真偽を確認する事もなく報道し続けた。確認していては他社に報道合戦で後れを取り、それは視聴率や
販売部数と言った数字に表れる。数字が取れない番組や紙面は打ち切られたり、制作スタッフが変えられたり
するとなれば、まず真実を見極める事よりも、視聴者や読者の関心を惹き、共感が得られる番組や紙面作りが
行われる。それらの報道に曝された国民は過剰に反応し、その国民感情に更にメディアは応えようとした傾向は
否定出来ないだろう。結果、最近の世論調査でも国民の過半数が小沢氏の議員辞職を望むという形で表れて
いる。小沢氏は強制起訴により刑事被告人となったが、検察は起訴を断念しているので、有罪の確率は低い
だろうし、そもそも裁判は開廷しておらず、検察が捜査で得た証拠、証言も開示されておらず、当然、判決も
示されていない。メディアは一部の新聞で議員辞職を主張するも、テレビは野党同様、説明責任を果たす様に
求めているだけだ。現段階で議員辞職を求めるのは時期尚早と言えるのだが、国民感情は収まらない。
 
当時も今も、メディア、国民共に何も変わっていない危険性を改めて感じるのだが、過ちは再び、繰り返される
のだろうか。

転載元転載元: 憂国烈士

日本とアメリカの対決は、日本の王道と、アメリカの覇道の対決であるべきだった。
 
日本陸軍の天才児、石原莞爾は、その著書、世界最終戦争論で日本の対米戦における戦略を述べている。
 
それは東亜の大同団結である。
(対西洋同盟)
 
それに対し、日本の取った行動は真逆だった。
 
朝鮮を併合し、中国に反省を促すとして、その首都を攻略し、さらに奥地へと兵を進める。
それで大東亜共栄圏を唱えるのだから、その矛盾は目を覆うばかりだ。
 
確かに朝鮮併合は合法だが、それは民族自決の精神に著しく反していなかったか?
中国は確かに残虐な行動(通州事件、文字通り日本人を虐殺した。日本人が中国人にしたとされる野蛮な行為、総てを実行)をし、日本の怒りを買ったが、それが中国の首都南京を陥落させ、さらに中国奥地に進む理由になったのだろうか?
 
 
上記、行動を説明せず日本の大東亜戦争を聖戦と呼ぶのは無理があると感じる。
 
 
日本は日露戦争に勝つまで、日本人の多くは大アジア主義だった。
 
だから、孫文を援助し、多くのアジア人留学生を受け入れ教育したのだ。(蒋介石もその一人)
福沢諭吉を始め、多くの日本人がアジアの真の独立を考え、日本と伴に、西洋列強の帝国主義に対決しようと、朝鮮における明治維新、中国における明治維新を夢見、それら各国が文明開化する事で実力を蓄え、日本と伴に手をとりあって西洋の覇道(帝国主義)との対決を理想としていたハズだが。。。
 
いつごろから、平等の関係が、日本を中心とした小アジア主義になり、ついには日本も覇道を志すようになってしまった。
 
以下、斉の桓公の逸話だが、
燕の国に山戎という異民族が攻め込んだ。
燕は斉に援軍を求めたので、桓公は出兵し山戎を撃退することに成功した。
燕の荘公は感謝して桓公が斉に凱旋するときうっかり国境を超えて斉の地まで見送ってしまったのである。
当時、自分の領地を越えて見送るのは天子の場合に限るとされており、諸侯同士では礼に反する行為であった。桓公は
「お互いに礼法に背きましたな。ではこうしましょう」
といって、自分の立っているところと、荘公の立っているところの間に溝を引いて
「ここを新しい国境としましょう。そうすればお互いに礼法守ったことになりますな」
と言った。これは斉側の領土の割譲を意味する。
このやりとりで中原の諸侯のほとんどが斉の傘下にはいったといわれている。
 
これこそが東洋の王道だろう。
西洋の利害を中心とした覇道とは異なる思想。
この対決こそが、日本の勝利する手立てだったと信じている。
 
 
斉の桓公の行ないと比べ、日本の行ないは果たして王道と言えたのであろうか?
(朝鮮併合、対中21カ条、対中戦争など)
 
日本陸軍の天才児、石原莞爾は廬溝橋における日支両軍衝突に際し、以下のように戦線の拡大を反対している。
 
「日本は、今後支那と相携えてソ連に備えるという正しい認識の下に、昨年十一月の北京会談で国民政府の意向を知った。
直接話し合えば即時和平解決ができる。
 
もし戦争状態に入れば、長期戦となり、短期間に蒋政権が崩壊するなどという判断は誤りである
 
満洲事変後、蒋政府は抗日スローガンの下に鋭意新政権運動に力を用い、その兵備はドイツのゼークト参謀総長以下五十名の将校を軍事顧問として招き、ドイツ式戦力の向上に努力している。
支那は土地広大、かつ交通状態は近代装備をもってする行動には適せず、我が軍の行動半径は著しく制限され、また各地方が自給自足可能であり、持久戦に有利である。特に警戒を要するのは、ソ連の極東兵備の充実である。支那人の抗日戦意は日ソ兵備の主客転倒が最大原因である。
それ故に今日こそ日満産業五ヶ年計画を遂行し、国防力の充実を図り、ソ満国境にソ連を圧倒するだけの兵力を集中し得るようになれば、漢民族は必ず日本を信頼してくる。
それまでは隠忍自重して支那とは即時和平し、来るべき欧米特にソ連との戦争に備えるべきである。
 
支那がもしも徹底抗戦を続ければ、戦線は支那全土に拡大して、全面戦争になること必至である。
 
っと主張したが、
北京を追われた第二十九軍長の宋哲元から蜂起指令を受けた冀東自治政府保安隊により通州に居留する邦人三百八十五人のうち幼児を含む二百二十三名を惨殺した事(通州事件)により、石原の企図は頓挫してしまった。
 
筆舌に尽くし難い余りに猟奇的な支那人の虐殺行為が我が国の世論を激昂させたことで、石原は早期和平方針を達成できないと悟り、
「今のままでは日本は四つの島だけになるだろう」という予言を残し、関東軍参謀副長に左遷されたのである。
 
もっとも石原自体は日中の早期の講和と連携を追い求め、その後も行動し昭和13年6月、戦争指導方針を作成し上梓している。
曰く、
 
「北支の軍権我に帰し進んで漢口を攻略し得たりとするも、蒋政権の覆滅は尚望み難く又、仮りに蒋政権倒壊するも全土抗日気運は断じて解消することなかるべく、辺彊尺寸の国土存する限り国民党を中心に長期に亘り我に抵抗すべきは疑を容れざる処たるべし。
蓋し斯る場合に於ける漢民族の抵抗の意外に強靱なるは歴史の教うる処なり。
 従って武力の絶対を盲信し即戦即決主義に依て之を屈せしめんとするは四億の民と近代的装備を持つ支那を土民国エチオピアと同視せんとするの誤謬を犯すものたり。
対支戦に於ては戦局は必ずや長期化し単に武力のみならず政治経済の綜合的持久戦となるべし。
 而して彼を徹底的に屈服せしめんとせば数十ヶ師団の兵力を数十ヶ年に亘って異境に須うるの難事を遂行し得るの自信なかる可らず。
若しこの覚悟なくんば仮令一時の戦勝を得たりとするも彼は十年ならずして国力を恢復し再び事を構うるに至るべきは大戦後の独乙の先例にみるも明かなるべし。
 今日政論家徒に積極的作戦を強調し武力の優越を過信するものは支那事変が持久戦の覚悟を要請するの根本義を解せざるものと云うべく為政者兵を絶域に須いて局地の捷報に国民を悦しめんとするものはその政治的弱体の曝露を覆わんとして無名の師に国力を蕩尽せんとするものと云わざる可らず。
斯の如きは独り国家百年の計を過るのみならず東洋の二大民族を駆って永遠の憎悪抗争に陥らしめ平和の招来を絶望ならしむるのみ。
真に日支の提携を齎らさんとせば卅年来の対支国策に於てビスマルク的転回を敢行し恩威並び行って相侶に協力すべきなり。
 ソ連の向背は未だ遽に逆賭し難しと雖もその参戦信ずべしとせば須らく速に支那と和を講じて之に当たらざる可らず。
幸に両三年彼起たずと推せば今日過剰の兵器弾薬を生産して之に備えるを姑く己め国防産業生産力自体の拡充に全力を傾注すべし。
一方に対支戦局を拡大しつつ他方又対支戦備に貧弱なる生産力の過半を奪われるる如きは前後の狼虎に餌を与えて庫中空しきに到るもの、斯の如くんば国防産業の確立も十全の軍力整備も到底之を期待し得ざるものと云わざる可らざるなり
 
と主張した。石原の戦争指導方針は卓見であったが、それに対し、
当時の代表的思想家、尾崎秀実は、
(朝日新聞記者、ソ連のスパイ、近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。)
 
石原の主張に逐一反駁を加えこれを完全否定するが如き対支強硬論を唱え、大衆を煽動した。
そして尾崎を最高政治幕僚としていた近衛内閣には、石原の正論は届かず、十二月、石原莞爾は失意のまま舞鶴要塞司令官という閑職に左遷されてしまった。
 
国民が論理もしくは合理より周囲の「空気」を重んじる日本においては、一般大衆を煽動し世論を醸成する支那問題の権威の「暴支膺懲論」が、陸軍首脳に提出された関東軍参謀副長の「日支提携論」を打ち破り、国策の決定に圧倒的な影響力を及ぼしたのである。
 
尾崎が東亜新秩序の意義、東亜協同体論、聖戦を強調する論文を次々と発表し、支那事変の拡大長期化を正当化したのは歴史が教える通りである。
 
さらに、石原は昭和十三年末の東亜新秩序声明においても、
欧米の圧迫を排し、国体の本義に基づく公正なる「東亜大同」の実現すなわち、
 
一、国防の共同
二、経済の一体化
三、政治の独立
 
を結成の基礎条件、「王道」を結成の指導原理とし、日本、満洲国、支那の三国を中核、その他の東亜地域を経済的相互依存関係の靱帯により日満支と結合した外郭として構成される「東亜連盟」の結成が国家の大方針として行なうべしと提言したが。。。
 
日本は。。。
 
昭和15年、石原は東条英機を批判して以下のように述べている。
 
「東條軍閥は石油がほしいので、南方諸島を取ろうとしている。
石油のないことは始めからわかりきったことだ。
何がない、かにがない。
だから他国の領土に手をつける、これは泥棒ではないか。
石油がなくて戦争ができないなら、支那事変は即時やめるがよろしい。
ヤツらのやることは皆これだ。
 北支に手を出したヤツらは北支は豊庫だと考えていた。
北支などは月経の干からびたお婆さんと同様だ。
何があるものか。それ南支、それどこだ、とやたらに手をつける。
 
そして国民に向っては、今次事変は『聖戦』だといっている。
これを他民族は何と思うか。
聖戦とは泥棒の戦いとしか思わない。
 
またしきりに『皇道宣布』と声を大にして叫んでいる。これでは皇道とは侵略主義と誤解されるではないか。
 支那事変が始まって以来、日本のやっていることは大家の亡びる時とそっくりである。
大家の亡びる時は、あれに手を出して失敗し、これにも手をつけて損をし、といったように自信も信念もなく、やたらに手ばかり広げ、ついに倒産してしまう。
 ヤツらは今南方に手を出そうとしているが、日本海軍には日本本土防衛計画はあるが、南方地域防衛の作戦計画はない、南だ、北だ、支那海だといって諸方面の防衛に当れば、本土はガラ空きだ。オレの言う事を聞かぬと、今に船がなくなるぞ。そして日本の都市は丸焼けになるぞ。必ず負けるぞ。」
 
 
石原莞爾は、東亜諸民族の全能力を綜合運用して対米最終戦争に必勝の態勢を整える「昭和維新」の断行を力説しながらも、一九四一年時点での日米開戦には猛反対していた。
なぜなら日本は開戦劈頭に西太平洋の制海権を掌握すれば、アメリカ本土からの補給を喪失したフィリピンを容易に占領し得るが、広大なアメリカ本土の東海岸にあるアメリカの政治経済の心臓部を攻撃破壊することはできず、必然的に長期持久戦に陥り国力の消尽を余儀なくされる。
そしてアメリカ本土の巨大な人的物的資源および経済力の支援を受けるアメリカ軍が日本の国力の消尽に伴い弱体化する日本軍に反撃し日本本土周辺の島嶼群を占領すれば、日本の本土は狭い為に、日本の政治経済の心臓部はアメリカ軍の作戦半径から逃れることはできず、空襲を受けて徹底的に破壊され、日本は継戦能力を喪失しアメリカに屈服せざるを得ない。
空軍の大発達とくに決戦兵器が実現し、日本軍が容易にワシントンやニューヨークを空襲し得る戦力を具備しない限り、日米戦において、アメリカは自国の滅亡を危惧することなく日本に決戦戦争を強制し得るが、逆に日本は重要資源と戦略縦深を欠く経済小国でありながら国家の存亡を賭け全力を挙げて持久戦争を戦わねばならず、我が国は自国の地理条件によって極めて困難な戦争指導の遂行を宿命づけられていたからである。
 
石原の「日本の都市は丸焼けになるぞ、必ず負けるぞ」という予言と「現在はたとえ踏まれても蹴られても戦争をしてはならぬ」という固い信念は、世界最終戦論から導き出された合理的な結論であり、石原莞爾は理想主義者であると同時に日米間に厳然として存在する国防地理の非対称性を見据える現実主義者だったのである。
 
 
これだけの傑物が日本の戦争指導層から弾かれていた悲劇。
この石原の理想(情熱)と現実(冷静)が当時の日本人にはなかったのだろう。
 
そしてソ連の回し者の尾崎に日本は扇動され、日本の愚かな行為は聖戦となり、日中は泥沼の戦争を続ける事になった。
日中戦争を正しい事と思っている方が、現在においても多くいる事から見ても、尾崎の 弁舌の巧みさは今なお色褪せないようだ。

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「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の略称で,1941/11/5の御前会議の直後,天皇の意図を汲んだ東條首相が,下僚に対して研究することを命じ,同月15日の連絡会議で決定されたもの.

要点は,以下の通り.

1. 主要資源地域と主要交通線を確保して,長期自給自足体制を整え,また,適宜,米海軍主力を誘致,撃滅すること

2. 英国を屈服させるため,
・豪・印と英国の連絡を遮断し,ビルマの独立を促進してインド独立を刺激すること
・ドイツ,イタリアは近東,北アフリカ,スエズ作戦を実施し,インドに対し施策し,対英封鎖を強化して,状況が許すようになったら英本土上陸作戦を実施すること
(※ドイツ・イタリアの与り知らないところで勝手に決めているんだけどね,これ)

3. アメリカの継戦意思を喪失させるため,以下の措置をとること
・フィリピンの現政権を存続させて取引材料とし,対米通商破壊戦を徹底し,中国,南洋資源の対米流出を禁絶し,対米宣伝・謀略を強化し,米豪関係の離隔を図る.
・ドイツとイタリアは,大西洋,インド洋でのアメリカに対する海上攻勢を強化し,中南米に対する軍事・経済・政治的構成の強化を図る
(※ドイツ・イタリアの与り知らないところで(以下同文)

4. 戦争終結の機会をトラエルタメ,常に戦局の推移,国際情勢,敵国民心の動向などに注意して,以下の時機を窺うこと
・南方作戦の主要段落
・対中国作戦の主要段落,特に蒋介石政権の屈服のとき
・欧州戦局の変化の好機,特に英本土陥落,独ソ戦の終末,対インド施策の成功
 そして,戦争終結の斡旋を南米諸国,スウェーデン,ポルトガル,法王庁などに期待し,これら諸国に対する外交・宣伝を強化すること


この構想の問題点としては

・自給自足体制の確立を維持するための方策を重視することなく,逆に米海軍主力の誘致導入という,短期決戦の方策を強調していること.
・蒋介石政権の屈服を方策として挙げているのは本末転倒.
 米英と開戦するハメになったのは,日中戦争解決に行き詰まって南方進出に戦略転換を求め,仏印に武力進駐したことであり,蒋介石政権を早期に屈服させることができるのであれば,そもそも戦争になどなっていない.

・最も実現可能性のある英国打倒にしても,日本ができることは東亜の英根拠地撃滅と,英豪連絡線遮断ぐらいで,あとはドイツ頼み.にも関わらずドイツとの間で大戦略を調整することはなく,日本側の一方的願望を書き並べているだけ
そして、
・アメリカは長期戦を戦い最後に勝利することに政戦略の基礎を置いていたので,開戦初期の日本の作戦的勝利によってアメリカが講和に応じることはありえず
(当時状況下における対米戦争=破滅、アメリカは日本の占領を最終目的としていた。実際、日本の海軍戦力が壊滅したレイテ決戦以降において日本は講和を求めた動きをするが総て黙殺されてる。)
しかも,その斡旋を期待する国が小国であって,大国同士が存亡を賭けて戦っている戦争を調停できたとは思われない。

 このような非現実的な構想が策定された背景として,軍の
「民主主義国民はいざとなれば強いのだとなす今日の世論は軽薄である.
 すべては作戦である.
 作戦さへうまく行けば,民主主義国民は真先に参るものと信ずる(『石井秋穂大佐回想録』;石井大佐は起案当事者)
という低レベルな認識があったのではないかと,黒野は示唆している.

 詳しくは『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐著,文春新書,2002.5.20),p.220-225を参照されたし.

 願望を並べるだけなら,いくらでも「自主的に」行うことはできる.
 しかし,この構想を見ても,どれだけ願望を並べても防衛は可能とはならない,ということが良く分かるだろう.
 そして太平洋戦争以前の戦略も,これとあまり大差ない「願望を並べただけの代物」であり,「防衛」と呼ぶにはお粗末な構想だった.
 
 
 
また、「対米英蘭戦争指導要綱」では以下の通りである。
 
・戦争目的は「帝国の自存自衛を全うする」
 
・対米英蘭戦争は長期戦になるだろうから,万般の施策を長期戦の基礎に合わせる必要があるが,なお,あらゆる手段を尽くして短期解決の道を講ずる(?)

・先制奇襲によって戦争を開始し,迅速な作戦によって米英蘭の根拠を覆滅し,戦略上優位の体制を確保すると共に,主要資源地域と主要交通線を確保して,長期自給自足体制を整える.
この間,適宜,米海軍主力を誘致,撃滅する(?)

 
・経済戦では,中国の資源の活用と,南方資源の流失を防止

・外交戦では,ドイツを対米戦に参戦させ,日本の南方作戦間は対ソ戦の勃発を避け,ドイツとソ連を講和させて枢軸側へ引き入れ,ソ連をインド,イラン方面に進出させる
(……無理がありすぎる)

・思想戦については,米国与論を刺激してその海軍主力を極東へ誘致し,また,米国の極東政策の反省を促し,かつ,日米戦争が無意義なる与論を刺激する.
さらに,東亜の諸民族を白人の支配から解放して,大東亜共栄圏を建設することを呼びかける.
 
(ルーズベルト大統領は,日本が南進して東亜を制覇して国力を増大させることは,アメリカの死活的利益を侵害することであり,アメリカの安全保障を脅かす行為であると考え,日本との戦争になる可能性があることを認識した上で,アメリカの強硬な姿勢を示すことにより日本を屈服させようとして,実質的には石油禁輸を意味する在米日本資産凍結を命令したというのに反省などしないだろう。)



戦略というよりは願望寄りのものになっている感が否めない.
願望では防衛は達成できないことは,改めて言うまでもなかろう.
 
この「対米英蘭戦争指導要綱」の問題点だが、
日本は当時,日中戦争を戦いつつ,北方からのソ連,西南方からの米英蘭豪の脅威に直面していたのだから,戦争指導構想はこれら6ヶ国との戦いの枠組で考えるべきだった.

・そもそも開戦を決断するに至ったのは,大東亜共栄圏建設を目指して,6ヶ国と対立を推進してきた結果であり,自存自衛,すなわち石油さえ購入できれば戦争目的は達成されたとするのは,それと矛盾する.

・要則において長期持久戦でありながら,実行において短期決戦を追及するのは,長期戦の本質を見失っている
(見失うことになった最大の問題点は,「長期戦の準備もできていないのに,アメリカと戦争になる可能性が高い国策を遂行してきたこと」)

・長期自給自足体制を確立するとうたっているにも関わらず,日本に輸送するための船舶とこれの護衛が重視されておらず,実際に準備もできていなかった.

・本戦争の本質がアメリカの継戦意思を放棄させることにあったにも関わらず,思想戦のくだりについては,アメリカの国家体制,国民性への無知が見られる.
 
 
しかし、日本は太平洋戦争に際し,アメリカや周辺国と残らず敵対するような戦略を立てたのだから凄まじい。
そして、一番の問題は
米英との長期戦争に対する勝算,又は終結の目算が,明確に描かれていなかったことに問題があったのだろう。
 
願望で戦争し、現実に負けたのが日本である。
 
太平洋戦争前,日本では継戦能力をどのように見積もっていたのか?ですが。。。

永野軍令部総長の「戦争持続力二年」説

1.対米戦においては彼我の国力,兵力及び戦略態勢などからみて,我が方から兵を進めてアメリカを屈服させることは至難であり,戦いは持久戦になる可能性が大きい.
2.その場合,日本が50%以上の勝算をもって戦いを行い得るための対米7割兵力を持することは,日米両国の建艦能力からして2ヵ年が限度である.
 即ち,米国で第2次,3次,4次のビンソン案が議会を通過すれば,日本が国家財政の許す最大限度において海軍拡張を行っても,昭和18年後期になれば,対米兵力比は大約半量に低下する.
3.石油問題は開戦理由の中の決定的なものであるが,開戦に踏み切っても,占領地の生産が順調に行けばともかく,戦闘による施設の破壊,内地への海上輸送の不如意等を考慮すると依然不安定要素として残り,この面でも長期を見通すことは困難である.

 従って,当初2年間にいかなる成果を挙げるかが重要な鍵となるのであって,それ以後については何とも言えない.
(良く戦争の決断をしましたね。(苦笑))

山本連合艦隊長官の「1年半」説 (主に彼我の航空戦力に関する考察を論拠とする)

 米国は日本の10倍以上の生産能力をもっており,日本海軍特に航空軍備の実情をもってしては一戦を戦い得るに過ぎず,従って経戦能力はせいぜい1年半である.
 

これに対する,鈴木企画院総裁の継戦能力見積り

1.国力の源泉となる要員及び国民の精神力についてはいかなる事態になっても不安はない.
2.国力の物的弾力性は帝国自体の生産力と日本の勢力下にある満州,支那,仏印,タイの生産力並びに現有備蓄に依存するほかない.
 従って今日の如く英米の全面的経済断交状態が続くときは国力の弾発力は弱化するばかりである.
3.最も重要な液体燃料については,民需において極度の戦時規制を行っても,翌年6,7月頃には貯蔵皆無となる.
 それ故,左右(戦うか否か)を決し,確乎たる経済基礎を確立することが帝国の自存上絶対必要である.
4.戦争になれば輸送力その他の関係からわが国の生産力は一時総じて現生産力の半ば程度に低下することが予想される.
 従ってこの生産力低下期間を努めて短縮するとともに武力戦の成果を直ちに生産に活用するよう企図する必要がある.
5.南方諸地域の要地を3〜4ヶ月の間に確実に我が領有に帰すれば6ヶ月内外から石油,ボーキサイト,ニッケル,生ゴム,錫等の取得が可能となり,二年目位からは完全にこれが活用を図ることができる.
 もっとも武力戦のことであろうから,時に予想に反することもあるので,これに処する方法を予め研究しておく必要がある.
6.高級石綿,コバルト等2,3の物質は南方地域を領有しても取得できないので,これが代用化について研究の要があるが,概ね見通しはついている.
7.日本の場合,国力の消長がひとえに国外からの物資輸入にかかっており,従って戦争遂行上の重要問題は船舶の問題であり,しかもこの戦争は,それ自体作戦用として多大の船腹を必要とするものである.
 
 
 
上記、認識において痛いのは、物理的国力差を国民の精神論で埋める事を公式に認めており、そして、日本の海上輸送力が決定的に足りないも関わらず、南方からの資源輸入を目論んでいる点です。
船舶の問題を言及しておきながら、その解決策がないという状態で戦争突入を支持しているのですから。。。
 
日本の船舶輸送力の3、4割が外国船籍でしたから、その事実を知りながら、総て精神論で片を付けているようです。
基本、論理的に破綻していますが、日本が負けを覚悟で戦争するわけに行きませんので、イロイロと、その理由づけに苦労しているようですね。
 
もっとも上記、
対米見積もりも、一部陸軍の認識では
『アメリカの将校は西洋人で下士官は大部分が土人であるから、軍隊の上下の精神的団結は全く零だ。』
『戦は勝ちだ。飛行機や戦車や自動車や大砲の数は支那軍より遥かに多いから注意しなければならぬが、旧式のものが多いのみならず折角の武器を使うものが弱兵だから役には立たぬ、従って夜襲は彼等の一番恐れる所である』
等、「これだけ読めば戦は勝てる」で述べていますので、その認識にずれがあったようです。
 
 
戦争を始めるのは割合、簡単ですが、終わり方は非常に難しいです。
その終わり方を想定せず、
それ以後については何とも言えない.
で始めた戦争ですから、1945年の8月15日は約束された結末だったかもしれません。
日本の大東亜戦争を俯瞰した時、その敗戦理由の最もたる理由は、アメリカと戦争した事と思います。(Why1)
対米戦争時における国力差は前記事に書いた通りです。
 
では、なぜ?勝ち難いアメリカと戦争したかと言うと、アメリカの各種嫌がらせに、日本人が我慢できなくなったのが大きな理由と考えています。(Why2
では、アメリカがなぜ?嫌がらせをしたのでしょう?
 
それは日本のとった行動が、基本、アメリカの神経を逆なでする行為だったからです。(Why3
 
日本側の理由として、日本なりの主張があり、アメリカに依存する状況からの脱出を試みたかったようですが、それはアメリカにとってアメリカに対する挑戦状と思われたでしょう。
 
当時、日本の南進に対する牽制目的で日独伊三国同盟を結んだ松岡外相は、ソ連を含んだ対米同盟を目論んだ形跡がありますが、その効果は見事に逆効果でした。
 
抑止力どころか、敵として完全に認識されたようです。
 
私の曽祖父が松岡外相と昵懇にしていて、対米牽制の同盟を結んだこと自体がアメリカの機嫌を損ね、さらなる嫌がらせを誘発した事を戦中、松岡外相自身が後悔していたそうですが、誠に残念な事です。
 
私の曾祖父も松岡もアメリカに留学していましたから、その実力を知るが故に、対米戦を避けたかったのでしょうが目論見通りに行きませんでした。
(試算で行くと、ドイツ、ソ連、日本を含めてブロックで、アメリカ一国の実力と五分、その抑止力の構築を志したと思われた事自体がアメリカの御機嫌を決定的に損ねました。)
 
さて、東亜に新たな利権を確立したかったアメリカにとって、日本は、日露戦争以降、邪魔な存在ですから、その存在を弱める方向にあらゆる政治工作を行っています。
 
その萌芽は日露戦争におけるポーツマス条約以降と分析しています。
これ以降、戦争に向けて日米関係は悪化していきます。(Why4
 
中国における利権拡大を狙っていたアメリカは、ポーツマス条約の労による分け前を狙っていたようですが、結果的に満州の利権を独占した日本が横暴に振舞うのを見て(アメリカからの視点)、恩を仇で返したと憤慨し、黄禍論(日本排斥)の根拠になってゆきます。
 
 
白人の優位な世界において、対抗しうる勢力をもった新興勢力日本の登場は、彼らに脅威と映ったようです。
 
 
それ以降、アメリカは明確に日本をライバルと見て行動し始めます。
そして日本研究科等を作り、日本人研究を行ない、積極的に対日政策を行い始めます。
 
一方、日本の対米研究機関は・・・、海軍はまともですが、陸軍にはありませんでした。
一応、あったのですが、閑職というか、名前だけだったようです。
 
最も海軍も対ソ戦をホボ考慮していませんから、言えた義理ではないですが。。。
 
日本軍は陸海で仮想敵国が違うと言う状況という非常に?国でした。
軍部として違った国を仮想敵国としていたのですから、国として対応が出来なかった可能性があります。
 
そのような状態で、アメリカに揺さぶられていたわけです。
 
もし、アメリカと戦争を避けたいのなら、慎重にアメリカの機嫌を損なうような行為は慎むべきであって、そのような配慮もなく、アメリカの機嫌を損ない続けて、その戦争の責任をアメリカの責任に帰すような論法に私は疑問を感じます。
 
アメリカと敵対する戦略方針をとっていながら、アメリカの対日政策に激高して戦争したという、当時の戦争理由、論理がどうにも理解できません。
 
同時にアメリカと戦って負けないような算段を立てるべきにも関らず、その算段もろくにできていないような状況で対米戦に突き進んだ当時の戦争指導者の考え方に疑問を感じます。
 
戦って勝てない相手にメンチを切っていたわけですから、その姿勢にこそを私は問題にしたいです。
(隠れてメンチを切りましょう。公然とやり過ぎです。(苦笑))
 
個人として、大敵に挑む、その心意気は良しとしますが、集団として感情に酔ったら国は全うできないと感じます。
 
冷静と情熱のバランス、それが当時の日本に著しく欠如していたのではないかと感じます。(Why5
 
日本がそのような状態にならないよう気をつけていきたいですね。
 

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