戦争

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大西瀧治郎海軍中将。
 
レイテ島決戦で初めて航空機による特攻、神風特別攻撃隊による攻撃を行なった指揮官です。
が、その心情は苦渋の決断だったようです。
 
大西が神風特別攻撃隊を指揮した当時(1944年7月、戦争後期)の情勢をかいつまでまとめますと、
 
日本は戦力の限界に達しており、ホボ継戦能力が消失したような状態でした。
実際、日本の戦争指導層(参謀本部)も認識しており、日本は早期講和による終戦を目指す事になります。
 
当初の目論見では、欧州におけるドイツの勝利をもって、講和を求めるつもりでしたが、欧州戦線におけるドイツの敗戦が必至の情勢であり、欧州戦線の如何に関わらない一刻も早い戦争の終結を望み始めていました。
 
継戦能力の限界を感じていた日本は決戦を求め、それに勝つ事によっての講和を志向し始めます。
 
 
そして、サイパンが失陥し、いよいよ後がなくなった日本はレイテ島、周辺海域にて決戦を迎えます。
 
 
しかし、日本は望んだ決戦を迎えたにも関わらず、海戦での勝敗の帰趨を決める重要な戦力、航空戦力がホボ枯渇していました。
 
航空戦力低下理由は多々ありますが、航空機を満足に操縦できる優秀なパイロットの枯渇も大きな問題になっていたようです。
 
相次ぐ戦闘で、優秀な航空搭乗員を失っており練度不足な若いパイロット(海上を動く標的に爆弾を落とせるよな練度がないような状態で配属)がその大勢を占めるようになってきており、日本は決戦に向けて、非常に苦しい状態でした。
 
そのような状態で、大西は練度に依存しない攻撃方法。
神風特別攻撃隊を思案し始めます。
 
大西は日本海軍きっての航空戦闘の第一人者であり、大艦巨砲主義(大和や武蔵の造船)に反対し、航空機を作れと主張するような人物ですから、
パイロット育成に関しても、
時間と金と労力がかかることをよく理解しており、特攻作戦のために貴重なパイロットを損失することに対して強い忌避感を持っていました。
その大西をして特攻を考えねばならない程、日本の航空戦力、つまりパイロットの練度不足が顕著になって来ていたわけです。
 
なにより、これ以上の戦争継続の難しさを悟っていた大西は、レイテ島決戦における大勝利によって米国との講和を強く思い描いていました。
 
大西自体はアメリカを刺激する日独伊三国同盟に反対であり、同時に対米戦も反対でしたから、1944年7月当時の情勢は十分予想出来た状況であり、まさに苦渋の決断だったと思います。
 
そして、特攻隊員と一人、一人握手し、無念の想いで彼らを送り出します。
 
特攻なんてありゃ…統率の外道だよ
っと大西は呻いたそうです。
 
我が声価は
棺を覆うても定まらず
百年の後
また知己なからんとす
 
大西の詠んだ歌です。
当時から自分の世評がいかに厳しくなるか十分承知していたようです。(戦後を予測していたのでしょう)
 
以降、大西は苦しみ続けます。
 
そんな大西が、陸軍と伴に、最期まで戦争継続を主張し、
「二千万人の男子を特攻隊として繰り出せば戦局挽回は可能」という二千万特攻論を唱え、一億総玉砕を主張するのですから、その精神的苦衷はいかばかりだったのでしょう。
 
この一億総玉砕を唱えた故に、そして特攻隊を初めて送り出した故に、戦後、大西は痛烈に批判されます。
 
まさに歌に詠んだ通りになります。
 
個人的には、特攻隊を送り出した葛藤に苦しんでの発言と私自身は思っています。
 
以下、映画の一節ですが、(多少、誇張されているかもしれませんが、大西の心情に近いと感じています)
なにか良い知恵はないでしょうか…戦に勝つ…何かないかな…だけど、どうやったら収拾できるんですか?
国民も死んだ者もみんなが納得できる負け方、この戦争はね…国民が好きで始めたんじゃないんです!
国家の戦争というのはね、国家の元首の戦いなんですよ、日本はそこまで死力を尽くして戦ってきたのですか?負けるということはですよ?天皇陛下御自ら戦場にお立ちになって、閣僚も我々幕僚も敵に体当たりして破れてこそ、「負けた」と言えるんじゃないですか?
和平会議なんかは生き残った国民が考えればいいだけのことです…私はそうなることを信じて特攻隊を飛ばしたんです!
それを信じてくれたから、特攻隊員の若い諸君は喜んで死んでくれたんです!
何人が特攻で死んだと思いますか?2600人もですよ、私が一人ひとり握手して送り出したんです、そんな彼らに…誰が…日本が負けたと言えますかっ!!
 
 
 
そんな彼らに…誰が…日本が負けたと言えますかっ!!
 
特攻を意味ある犠牲に昇華出来なかった当時の戦争指導者に怒りを覚えます。
 
っと記述しましたが、まさに大西はその事を、良く理解しており、それ故に苦しみ、結果、特攻に反対していた大西をして、一億総玉砕という極論に駆り立てたと考えています。
 
私は、特攻と言う人間の兵器化、消耗品扱いに嫌悪感を覚えます。
が、一方で当時の情勢下で、私も大西と同じ立場なら、同じ作戦を決断した可能性が高いです。
 
自分が汚名を着る事で皆が助かるなら、おそらく、同じ決断をしたでしょう。
 
だからこそ、大西を批判します。
大西も、特攻を決断した自分が称賛される事を望んでいないでしょう。
 
その決断によって苦しんでいるのにも関わらず、称賛されて喜ぶような心情を大西は持っていないと感じます。
その葛藤を感じるが故、私は大西の決断、特攻を批判します。
 
が、彼の精神的苦衷に対しては、胸が詰まります。
故に彼の死に対し強い哀悼を感じます。
彼だけでなく、特攻隊員や玉砕した人、戦災によりなくなった日本人総てに哀悼を感じます。
 
私は特攻、玉砕を否定します。
その決断をした指揮官の深い苦悩を知るが故、批判します。
 
大西をはじめ、特攻に対して悩み苦しんだ先人達に対し、私達が報いる唯一の方法は、特攻や玉砕を二度としない事です。
あのような邪道を選ばざる終えないような苦境に日本がならないよう、先人達の犠牲の上に成り立つ今の日本を慈しみたいと感じています。
 
 
改めて、大西瀧治郎氏他、戦争で亡くなった敵味方関係ない総ての命に対し深い哀悼の意を表したいと思いす。
 
 
最後に大西瀧治郎氏の遺書(終戦後、自決)を記載して、本記事を終わりにしたいと思います。
 
 
 
特攻隊の立派な霊たちに告げる。
今までよく戦ってくれた…ありがとう…
心から君たちに感謝する。
君たちは日本の最期の勝利を信じて、
肉の玉として散って行った…
しかし…君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった…
私は自らの死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。
 
次にこれからを生きる戦後の日本青少年たちに告げる。
私の死は軽々しい行動を取り、利敵行為となってしまうから。
私の死は陛下の尊い決断に従ったものだ。
だから、これが自らへの戒めだと思ってくれれば嬉しい。
戦後を生きる日本人たちよ、これから苦しい時代を生きるだろう…
だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。
日本の子供たち?君たちは「日本という国」の宝だ。
どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という特攻精神を持ち続け、
日本全民族の福祉と、世界の平和の為に…
最善を尽くしなさい。
 
海軍中将 大西瀧治朗 命
 
遺書は涙でびしょびしょに濡れていたそうです。
 
 
合掌。。。 
軍事面は言及しません。
軍事力の基本となる産業基盤が違いすぎます。
 
そして、その差を痛感していた日本(特に海軍)は人で補っていました。
 
日露戦争勝利後、日本海軍の仮想敵国はアメリカでした。
ですから、当時の国力差を海軍は痛感していたのだと思います。
 
一方、陸軍の仮想敵国はソ連。
アメリカを軽視し、戦えば勝てると思っていたようです。
 
中国との戦争が3ヶ月で終了すると昭和天皇に明言し、実際は15年戦っていたのが、日本陸軍の情勢分析能力であり、当然、その拙い情報分析能力で立てられた作戦能力も不足していたのは間違いないでしょう。
 
対米戦の可否を諮問した昭和天皇に対し、当時の陸軍の戦争指導者は楽観的見方をし、終戦間際でも「国軍は尚余力を有し志気も旺盛なれば、なおも抗戦してアメリカ軍を断乎撃攘すべき」と奏上していたそうだから、彼らは夢の中で戦争をしていたと感じてしまいます。
 
この種の政治戦争指導者が日本の中枢にたくさん、いたのが悲劇の原因であり、言論界にもたくさんいたのだから、日本は負けるべくして負けたのでしょう。
 
ところで、
日本海軍の対米戦を想定した月月火水木金金の猛特訓によって、日本海軍の練度は世界最高水準だったと考えます。
(物資面以外の観点で日本軍は世界最高レベルでした。特に歩兵は強いです。)
 
が、過度に人に頼った戦術は、熟練兵員の消耗による軍全体の練度不足によって崩壊し、戦時後半における特攻へと繋がって行きます。
 
開戦当初、科学技術で一部、日本が優位だった面があったのは事実ですが、国力を軍事面に特化したアメリカによって、その優位性も徐々に失われて行き、最終的には戦車、艦船等への爆弾を抱えての特攻戦術に切り替わります。
 
正直、特攻隊を安易に褒め称える記事を読むと気持ちが悪くなる時があります。
私の親族は特攻隊で戦死していますが、誇りに思うより、悔しく感じます。
なぜなら、その特攻によって日本が勝利出来なかったのは明白だったからです。
人は生き方に意義を求めると思いますが、あの特攻とは何だったんでしょう。
栗林中将他、多くの将兵が日本を守る為に、戦死なさりました。
フィリピンの山下大将は玉砕を禁じ、少しでも戦線を長引かそうと、本土決戦を遅らせようと努力しています。
 
その一方で、当時の言論界や、戦争指導者の発言を聞くと怒りを通り超えて、呆れる他、ありません。
開戦自体に日本の勝ち目が少なかった以上、日本は戦争の終わり方を当然、想定しておくべきだったと思いますが、まったくしていませんでした。
 
戦争の基盤である国力を無視し、物量を精神力、人間で補う精神論が特攻であり、玉砕でしたが、それを私は誇りたくありません。
武器弾薬が不足し、銃剣や軍刀で万歳特攻をするのを誇る以前に、私は兵站を軽視し、そのような状態に追い込んだ軍上層部の能力不足を糾弾したいです。
 
そして、何より、その尊い犠牲に対し、当時の戦争指導者は報いる方法論をまったくもっていませんでした。
 
歴史上、尊い犠牲によって勝ちえた戦争は多々あります。
その犠牲を意味あるモノに昇華する義務が当時の戦争指導者にあったのは明白ですが、彼らにその力量はなく、決断を先延ばした事で、多大な犠牲を強いる事になりました。
 
故に私は単純に玉砕や特攻を称賛する記事に苛立ちを覚えます。
そして、その行為を意味ある犠牲に昇華出来なかった当時の戦争指導者に怒りを覚えます。
 
特攻、玉砕に関して抱く心情は無念です。
ただ、ただ、無念。
戦争指導者の力量不足により、安易に爆弾代わりに使われた事を考えると悔して仕方ありません。
一方、その指導者の命令に従い、尊い命を差し出して下さった方々に対いして鎮魂の想いが強くあります。
 
そして、無常な命令に従い命を散らした英霊に対し、当時だけでなく現代の日本の政治指導者は報いる事が出来ていません。
 
国として靖国を参拝しない総理大臣だらけですが、その行為は、国として日本国の為に犠牲になった人に対し報いる事はしないと宣言しているに等しく、その行為に強い憤りを感じます。
 
靖国を参拝しない政党を私は支持しません。
自民も民主も同じです。
保守派を自認する方々が自民を支持する理由が私には到底、理解できません。
経済失政を行い、靖国を軽んじて尚、彼らを支持できる理由とは何でしょう。
 
日本がアメリカの奴隷にならない為に、敗北前提の尊厳を掛けた意地の戦争と言う政治指導者(石原都知事)もいますが、その尊厳を掛けた意地の戦争をいつまで続ける気だったのか知りたいモノです。
 
そもそも奴隷が嫌で始めたのなら、降伏という選択しなどありえないのですが、最終的に日本は無条件降伏しています。
 
日本がなぜ?負けたかでなく、なぜ?戦争したかが重要と感じます。
 
意地で戦争をするのも理由としてはアリだったかもしれませんが、勝てない戦争をする以上、戦争の終わり方を想定しておくべきだったと思います。
彼らは尊厳を守る為に、どの程度の犠牲なら良しと出来たのでしょう。
当時の戦争指導者の真意がわかりません。
 
一方、日露戦争を指導した方々の思考は非常に理解出来ます。
安易な理想、ロマンチズムに酔うのでなく、冷静に国力を鑑み、終わり時を心得て戦争を終結させました。
 
さて、日露戦争当時に出来た事が、なぜ?1930年代の日本に出来なかったか?その理由を想い浮かべた時、歴史に対する認識を、そして過去の偉人のコトバ、
愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ』を考えずにはいられません。
 
人口 1.9
日本:7000万人 米:1億3000万人
 
経済規模 4.4倍 
1939年
米 8640.1億ドル
ソ 4303.1億ドル
英 2869.5億ドル 
独 2411.0億ドル 
日 1960.4億ドル 
仏 1989.4億ドル 
伊 1510.9億ドル 
 
鉄は国家なり粗鋼生産量(単位:万トン カッコ内は全世界にしめる割合) 8.8倍
米 6076(43%)
独 1914(13%)
英 1318(9%)
日  685(2%)
 
 
電力生産(億kwh) 6.1倍
 英/独/日/米
昭和16年 273 367 339 2083
 
船舶保有量 2.0 倍
英 3889万/1万5699隻
米 1149万t/2958隻
日 562万9千t/2337隻
1939年当時の日本輸出入に関わった船籍の内、外国船籍が4割を占めていた為、基本、輸送力不足で戦争を開始しています。
そして、この輸送力不足が各地で悲劇をもたらす原因の一因ともなっています。
 
 
原油生産量の国際比較(単位:万トン カッコ内は全世界にしめる割合)   ・・・・・・
米              18286.7 (69.8%)
日              30.0 (0.11%)
インドネシア      793.9  (3.0%)
 
戦争開始前、日本は約2200万バレルの原油、精油は1500万バレルをそれぞれ輸入していました。
尚、日本の精油能力は1200万バレル。
インドネシアの石油を加えれば、当時のわずかな必要量(=日本の需要量は世界の3%ほどでした)を賄えた可能性がありますが、そのわずかな必要量を賄えるだけの精油能力すら日本側になかったようです。
そして、戦前の日本は石油のほとんどを対米に依存(世界の70%を生産していた石油大国だから当然と言えば当然)していました。
 
開戦前における対英米経済圏の貿易に対する日本の依存度は
輸入で72%、輸出で67%の割合をそれぞれ占めており、経済破綻前提の開戦だったと思っています。
 
鉄、食糧、石油・・・etc、戦略物資といわれる分野の、ほとんどをアメリカに依存していた対米依存国家日本がアメリカと開戦した理由を考えると、アメリカ挑発説は非常に説得力があると感じる指標です。
もっとも果敢にアメリカの各種利権に挑戦していましたので、挑発される理由は日本側にもありましたが。。。
 
 
文化面
開戦の年に名作『風とともに去りぬ』を、大戦中にはファンタジアやダンボ、バンビ等を、作る国です。
国力の違いを感じますね。。。
 
 
 
所感
正直、良く戦争の決断をしました。
当時の戦争指導者の真意が知りたいです。
 
なぜ?日本が負けたかでなく、
事の本質はなぜ?戦争をしたかです。
 
その総括を日本は戦後避け続けています。
故に日本の戦後は終わりません。
 
一方、イギリスは過去の戦争総括をナポレオン戦争以降行なっています。
初期は戦術、戦略面における戦史研究でしたが、徐々にその戦争の決断、妥当性に論議が移っています。
 
フォークランド紛争以降、イギリスの戦争総括は、主に政治面における決断の妥当性に絞られています。
今、ブレア元首相が対テロ戦争における決断の是非を巡り証言を開始していますが、その反省を未来に残す試みが羨ましく感じる時があります。(政治決断に対する責任の是非は問わない事を前提に作業をしています。)
 
一方、日本は・・・
戦争だけでなく、失われた20年に対する総括等も国として行なっても良いと感じますが、まったくしていません。
日本は経験を未来に活かすのが苦手なのかもしれませんね。
 
特にバブル崩壊以降の急激な日本の国力低下に対する総括は、日本の将来に善き未来に導くのではないかと感じています。
ドイツの鉄血宰相のコトバ
愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ』を鑑みると、今の日本の政治状況は愚者に劣るかも知れません。
 
一方、国民はそれなり、学び変わろうとしているのを感じます。
日本国民の今後の叡智に期待したいですね。
 

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