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「One for All , All for One」(1人はみんなのために、みんなは1人のために)
アレクサンドル・デュマ・ペールの『三銃士』の言葉である。
近年、日本ではこのコトバが安易に氾濫しているようだ。
互いに『One for All』、『All for One』を主張し合うのだ。
オリンピックで問題になった国母君の服装問題はまさに、その典型で、互いに『One for All』、『All for One』を主張し合っていた。
国母選手と日本人の心
国母選手と日本人の気質、社会規範乱れ 序論
国母選手と日本人の気質について ②
国母選手と日本人の社会規範乱れ ③
そして沖縄問題(宮崎の口蹄疫もそう言った面がある)である。
安保の目次
沖縄独立の現実性
もっと言うなら
就活にも関係するだろう。
就活の現状に異議申し立て(11/23)に対する所感
就活を終えた人間にも「就活くたばれ」と叫ぶ理由がある
互いに『One for All』、『All for One』を主張し合うのだ。
正直、不毛であると感じる。
これら不毛な対決を避けるとしたら、互いの立場を尊重し、相手の立場で考え、相手にプレゼンし合うのだが。。。
プレゼンする前提として自由(権利と義務)に関しての一般的な考え方の相違があった場合、非常に話しづらくなる場合が多いと思っている。
国母君には服装代や参加費を国費で拠出している以上、日本の社会常識に従う義務がある。
それが嫌ならオリンピックに参加しないという選択肢、つまりは自由がある以上、国母君はもっと『One for All』側にいるべきだったと個人的には考えている。
一方、沖縄は基地問題に関して選択肢の自由が事実上ない。であるから責任や義務はなく、その面において我々は協力する義務を感じる。
よって我々は『All for One』の意識をもって、もっと沖縄問題を考えるべきであると私は考える。
さて、同じ目線で就活問題を考えた時、『All for One』に合理はあったのだろうか?
就活活動は、学生、企業、互いの自由選択によって行われる世界だ。(恋愛と同じ)
自由意志の発揮には当然、責任がついて回る。
その個々の自由意思の発揮の結果である厳しい就活状況に関して、社会に『All for One』の意識を持たせるのは容易でないだろう。
事の本質は、就活生が『希望する職に対し、雇用が限られている。』という正しい現状認識のもと、新卒時と既卒時の努力ではアウトプットが違うという実に合理的な認識にに基づき、懸命に就職活動している事にある。
その学生側の自主的活動の規制を企業側や社会に求めても、おそらく根本的な解決にはなるまい。
(規制しても今の状況では学生が守らないだろうし、企業は企業でOG活動、コネ採用を活発化するだけ)
根本的な問題は日本人が世界中から求められる人財になり得ていないからであって、日本の高い人件費をPay出来るような状態になっていないからだろう。
(新興国が勃興している以上、彼らと同じ能力では、彼らの給与水準に引きずられるしかない。)
そこに切り込まない以上、今の厳しい就活は緩和できないと予想する。
日本人が日本でなく海外から必要とされる人財にならない限り、今の厳しい就活は継続するだろう。
そういった人財教育面の必要性で私は強く、『All for One』を意識する。
それが日本社会の発展に寄与すると考えるからだ。
そして、その人財教育は大学に限った話でなく、小中高大、そして生涯教育という全体像で語らないと歪な部分最適化を呼びこみ、さらなる苦境を日本に招くと推測する。
「One for All , All for One」がタダの権利主張、互いの立場を理解しろの言い合いにならない為には、自由に関する責任を理解する必要があるのではないかと思う。
何もかもが当然という意識に対抗するには、自由に付随する責任、自己責任を個々が強く意識するしかないだろう。
その前提を基に、「One for All , All for One」を語り協力し合う社会の構築こそが、日本が厳しい国際競争で勝ち抜く為の強力な力になると私は信じている。
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