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就活くたばれデモ参加者の島男と申します。
今回は僕の就活体験談と、就活に直接的に関わりのない人にも「就活くたばれ」と叫ぶ理由があるということを書いてみたいと思います。
僕は来春から公務員として働くことが決まっています。
しかし、去年の2月頃に就活を開始した時点では、公務員になろうと考えていたわけではありませんでした。
僕の当初の希望はマスコミ業界と出版業界で、できれば記者か編集者として働きたいと考えていました。
ですが、マスコミ業界と出版業界への就活は失敗してしまったので、他の選択肢を考えた結果、公務員試験を受験することに決めたのでした。
ということで、僕は民間企業への就活を最後までやり通したわけではないのですが、就活をする中で、現在の就活への不満や疑問、問題点を僕なりに感じたことがたくさんありましたので、ここに報告しておきます。
僕が就活で最初に苦しんだのはES(エントリーシート)でした。ESというのは、基本的には履歴書のようなものです。
しかし、書かなければいけない項目が従来の履歴書よりも非常に多く、その質問も細かいので、ほとんどの就活生が頭を悩ますことだろうと思います。例えば次のような項目があります。
「あなたの人生最大の挫折経験は? そしてあなたはそれをどうやって乗り越えましたか?」「あなたにとって働くことの意義とは?」「あなたが他人から言われてグサッとくる言葉は?」「今年、日本は良くなったと思いますか? 悪くなったと思いますか? その理由も併せてお書きください」「人生の中で「誰にも負けない」と言えるほど取り組んだことは何ですか?」
これらのような項目に対して僕は、頭をひねって長い時間をかけて記入しなければなりませんでした。
もちろん、企業側の、「細かい質問項目を課して慎重に学生を判断したい」という意図も理解できます。
ですが、僕がESに関していちばん納得がいかないことは、学生は自分をさらけ出し、長い時間をかけてこのような細部にわたる質問に答えなければならないのに、企業が学生を合・不合格にする基準や理由は不透明であるということです。
なぜ企業は自分を不合格にしたのか? なぜ合格にしたのか?ということが学生には全くわからず、そして企業にはそれに答えようとする意志が皆無なのです。
だから事実かどうかは別として、「こんなに長い項目を書いているのにも関わらず、実際は顔写真や学歴で判断されているかもしれない」というような噂も飛び交ってしまい、学生が不安に苛まれることになるのです。
このESの例一つとってもおわかりになると思いますが、就活においては、学生は非常に弱い立場に立たされています。
その大きな原因は、就活システムをどうするか、ということを決める舞台から、学生が除外されている、ということだと思います。
「そりゃあそうだろう。所詮学生は、雇って「もらう」立場なんだから」という意見もあるとは思いますが、就活がここまで学生に負担を強い、そして就活の早期化・長期化が学生から学習するための膨大な時間を奪っていることを考えると、学生にも反抗する権利はあると思いますし、「就活をどうすべきか」という議論に学生も加わるべきだと思います。
最近の企業は「コミュニケーション能力」というものを学生に求めていますが、学生はその要望にしっかりと応えて、まず就活のあり方を議論することに「コミュニケーション能力」を活かすべきでしょう。
話は変わりますが、今回のデモには、就活生やこれから就活をする学生だけでなく、就活をすでに終えた方にもぜひ参加していただきたいと思います。
僕も就活を終えた身ですが、なぜこのデモに参加するかというと、「現在の就活が気持ち悪い」「後輩がかわいそう」とい理由よりももちろんありますが、僕にはそれよりもむしろ、もっと僕自身にも関わる個人的な理由があります。
それは、現状の就活制度のままでは、現在の企業社会的な価値観に染まった学生がたくさん量産され、僕たちの生きる社会が、多様性のない、つまらない社会になってしまうのではないか、それでは面白くない、というものです。
先程も書きましたが、就活生は非常に弱い立場にあります。
現状の就活においては、学生は企業社会の価値観に順応しなければなりません。さらに、就職氷河期になったことで、学生は早い時期から就活戦争で生き残ることに熱心になっています。
本来ならば学生は、現在の社会を絶対的なものでなく相対的な視野で見る批判的な眼を養い、様々な社会の矛盾を見つめ、社会を改善していくような力を育て上げることも、一つの重要な仕事だと思います。
ですが、現状の就活制度では、学生は早い時期から現在の企業社会に適応しなければならないように仕組まれており、批判精神を養うことが難しくなっているように思います。
実際は、現在の日本社会は様々な矛盾を抱えていて、変革しなければいけないことがたくさんあるのに、学生は現在の企業的価値観に合わせていかなければならないように、就活を通じて訓練されてしまう。実際、現状の就活を肯定している学生は、積極的で活力があっても、一元的な価値観に染まっているような人が多いように僕には思えます(全員がそうというわけではありませんが)。
もちろんそれは、その人の性向にも起因していることもあるかとは思いますが、就活の支配に覆われている大学生活にも原因があると僕は考えています。
それは広い視野で見れば、社会全体にとっても、企業にとっても望ましい事態であるとは到底思えません。現状を根本的に変えていく力が、社会全体に行き渡らないからです。
ですから「就活くたばれ」と叫ばねばならない理由は、就活生だけでなく、就活を終えた人間にも十分にあると思います。現在の就活の抱える問題というのは、学生や企業だけでなく、社会全体に関わる問題なのです。
就活に対しての不満はまだまだたくさんあるのですが、ブログの他の記事でもすでに多くの言及がなされていますので、これぐらいでやめておきます。
就活に直接的に関わりのない人にもぜひともデモに参加していただきたいと思います。
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就職・雇用・教育
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<就職内定率>大学生57.6%「就職氷河期」下回る大学生の就職難が社会問題化している。厚生労働省と文部科学省が16日、正式発表した10月1日現在の内定率は57.6%(前年同月比4.9ポイント減)で、「就職氷河期」と言われた03年(60.2%)を下回り、調査を始めた96年以降最低を更新した。不況などを背景に企業が新卒採用を控え、それに伴い活動の早期化・長期化を余儀なくされる学生は疲弊。企業側は事態の改善に動き始めた。
◇高校生は40.6%
厚生労働省は16日、来春卒業見込みの高校生の就職内定率(9月末現在)を発表した。内定率は40.6%で、過去最悪の減少幅だった前年同期を3.0ポイント上回ったが、有効求人倍率は0.87倍(前年同期比0.02ポイント減)で、依然として厳しい状況が続いている。 昨年に、引き続き日本の雇用情勢は厳しいようです。
(それでも昨年度の新卒の求人倍率は1.6倍)
就職した大学生、60.8%―就職あきらめ進学?に対する違和感
このような社会情勢に対し、
就活くたばれデモ-東京・関西・札幌・愛媛で問題だらけの就活の現状に異議申し立て(11/23)
というデモやるそうですが、、、
何をどう改善したいのか、正直わからないのが本音です。
就職活動が人生に与える影響は大きかったとうのが、経験者の体験を通じた素直な気持です。
その大事な就職活動に対し、デモ参加者はいったいどのような想いで、社会に何を訴えたいのでしょう。
コメント欄にある象徴的なエクスキューズを紹介したいと思います。
『参加者の訴え』に投稿します。
おかしいことにはおかしいと言いたい、というのが実行委員をやるきっかけでした。 人のせい、社会のせいにしたっていいじゃない。10月時点での来春卒内定率は57%です。自己責任じゃないでしょ! 100社落とされてまだ活動できる人もいれば、20社で、5社で、1社で折れる人だっていていいじゃないか! だって新卒至上主義がおかしいんだから。希望が見えないんだから。 今まで苦労してきた会社員のひとも、「自分の頃はこうだった」と価値観を押し付けず、現状を冷静に見つめてみてください。 せっかくの学生生活、のびのびやろうよ!デモに参加して語り会えたら嬉しいな! 自己責任の便利使いは嫌いですが、良い意味で自己責任を問い質したいです。
自己責任です。
何かの所為にするのは構いませんが、何かの所為にして、現状に変化をもたらす事が出来るとは到底思えません。
半ば義務教育と化している高校と違い、大学生活は社会に出る為の準備期間と位置付けられると思います。
実際、同学年の少なからずの人々が働いている現実に対し、認識不足を私などは感じてしまいます。
それを『のびのび』やろうなど、勘違いもいい所です。
20年前と比較し大学進学率は3倍以上にも上り、大学卒という価値は旧来と比較し下がり続けています。
60%を超えユニバーサル化へ、学歴の現在位置と、その未来予想図
大学生の学力低下に想うー内田樹先生記事抜粋
『のんびり』する人としない人には差がついて当たり前と感じます。
そして、自分達が『のんびり』したいから、回りに無理やり『のんびり』させようとしてるとも思ってしまいます。
本人達は違うと言うかも知れませんが、求めるている事はそれに近いと予想します。
自己の可能性を信じない(努力を放棄する)子どもたち
人生の時間の使い方は自由であるべしと私は思っています。
そして自由には自己責任が付随するモノと考えています。
就職活動や勉学以外にも人生の意味はありますし、人生に様々な色どりを与えてくれると思いますが、何処に対して、どのような理由で重要視するかは個々の自由であり、権利と言いたいです。
そして、その自由、自分の時間を決められるという権利に対しては、当然、自己責任という名の責任が付加されます。
もし、その責任が付加されない時、その自由はどうなるでしょう。
おそらく暴走する事になると思います。
自由には責任が付属します。
その自由について彼らはどう思っているんでしょう。
自由の結果に対する通知表として就職活動があると思いますが、その通知表をまずは、受け止めて欲しいと感じます。
誰かの、社会の所為にしても、まずは自己責任で己を見つめ直す機会にしなかったら、おそらく、その方々はずっと何かの所為にし続けると思います。
同様な論法に『親の所得と学力格差』 がありますが・・・
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言いますが、デモ参加者には社会に何かを望むと同時に自分で何が出来るかも考えるベキと言いたいです。
人の『素養』について思う②−日本への提言3
にも記事にしていますが、主体性をもって困難に立ち向かって欲しいと感じます。
そして、主体性を持つカギは、己を軸にモノ事を俯瞰し考える事です。
上記、デモ参加者の方々の中心軸は何処にあるのでしょう。
社会に何かを求めている点で、思考の中心軸に己れでなく社会を感じてしまいます。
グローバル社会に生き残る『素養』を得るために③−未来への提言6
に記載していますが、失敗を含む、様々な経験に対し如何に考えるかが未来を切り開く境目とも感じます。
個人的な経験ですが、失敗の原因のほとんどは、主体的に考え・行動しなかった場合です。
分析の結果、あの時、積極的にこう考え、行動していれば良かったという結論になるかと思います。 『失敗』を繰り返さない人は物事を主体的に捉え努力している方と、私は考えます。 記事引用しますが
『失敗』を繰り返す方とはどんな人でしょう? それは、『失敗』の原因を他者、環境にし、自分は悪くないと考える人に多いと感じています。 折角、天があなたの気づかなかった足りない部分を教えようとしているのに、他者のせいにしていたら気づくわけがありません。 また、他者、環境のせいにする人は、如何に自分が悪くないかをアピールする必要がある為、一般に愚痴が多く、回りに多大な迷惑を与えます。 これは間違ない事実でしょう。
失敗は成功の母ですが、母にするには、その為の心構えが必要と感じます。
そこに大なり小なりあれど、何かの責任に問い続けている限り自己の成長はないと感じます。
厳しい言い方でしたが、デモ参加を呼び掛ける実行委員会さん達は、主体的に行動を起こそうと企図した方々ですので、そこについては好感を抱いています。
が、その動機が何かというと点に疑問を感じてしまいます。
動機が
『私達は苦しいです。』とどしても感じてしまいます。
私には言わせれば皆、苦しいです。
高校卒の内定率は大学卒より遥かに厳しく感じますが、その点について彼らはどう考えているんでしょう。
個人的には今の雇用情勢が何によってもたらされているのか考え行動して欲しいと思います。
その何かを見つけデモで是非、主張して下さい。
その何か(原因)でなく、結果である就職のみを問題にし主張した時、それは誰かの所為にした事になると考えます。
デモ参加者、及び関係者にはパネルディスカッション等を通して、己の世代のみでなく既卒者、高校生も含めた雇用状況の深耕を図って頂きたいと切に望みたいと思います。
さて、一方、我々、大人世代はどうなんでしょう?(大学生を子どもと言いたくありませんが。。。)
共同社会の一員として自己責任の名の基に彼らの苦境を放置するのは、あまりに安易とも感じます。
彼らが苦境にあえぐ理由に、我々が既得権益者として、その上に坐している事も影響が大きいと感じます。
雇用延長の名の基に多くの高齢者がそのまま企業で働き続け、カネを稼ぎ続けています。
経済的理由で高齢者(65歳以上)になっても働きたい団塊の世代
私達は現在を未来につなぐモノ達です。
次のバトン走者である若者が挫けようとしている時、それを放置するのは間違いと思います。
今日も、一部の識者が、昨今の就職事情に絡み、大企業中心の希望を出す若者に対し、なぜ?中小企業に入社しないかと批判していましたが、非常に安易で考えの浅い発言と感じます。
テレビ等で発言する識者は中小の辛さを、悲しさを実際体験した事があるのでしょうか?
製造立国を主張し、実際は技術音痴で日本の現状を知らない経済評論家に通じますが、非常に残念に感じます。
「まず隗より始めよ」を欠く日本
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24258032.html なぜ?若者が中小を選択しなのか?
それを若者の草食主義的な保守性のみにしている点で非常に浅慮であると感じます。
日本の中小企業は減り続けています。
その理由を、テレビで若者のチャレンジ精神の希薄性を詰る識者は知っているのでしょうか?
そして何より日本では起業も減り続けています。
つまり、日本は統計的にチャレンジして成功している例が少なくなっているとも言えるのではないでしょうか?
端的に言って日本では中小での成功が企図し難くなっていると感じます。
社会で働く皆さまは如何に考えていますか?
これはこれから社会に出る若者の責任でなく、私達、大人に大きな責任があると感じます。
その観点抜きに社会に出ようとしている若者の悩みを自己責任名の基に切り捨てるのは、日本のさらなる衰退を招くと感じます。
いろいろ考えましょう。
私達の未来の為に。。。
現在でなく未来を考える事こそが私達の責務です。
そして、その責務について一緒に考えて行きたいと、私は多くの方々に呼びかけたいです。
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就職した大学生、60.8%=過去最大の落ち込み―就職あきらめ進学? ・文科省8月5日17時4分配信 時事通信 今年3月卒業の大学生のうち就職した人の比率が2年連続で減少し60.8%となったことが5日、文部科学省の学校基本調査(速報値)で分かった。
前年度比7.6ポイント減と過去最大の落ち込み。
高校生の就職した比率は過去最低の15.8%(前年度比2.4ポイント減)だった。
いずれも進学した率は上昇しており、同省は世界同時不況の影響で就職できず、やむを得ず進学を選んだ人が多かった可能性があるとみている。
同省によると、今春の大卒者は54万1000人。このうち、就職したのは32万9000人で全体の60.8%、大学院などへの進学は7万3000人で13.4%(同1.2ポイント増)、就職も進学もしなかった人が8万7000人で16.1%(同4.0ポイント増)などだった。 また、高校を卒業した107万1000人のうち、大学などへの進学は58万2000人で全体の54.4%(同0.5ポイント増)と過去最高。 専門学校進学は17万人で15.8%(同1.1ポイント増)、就職は16万7000人で15.8%、浪人するなど進学も就職もしなかったのは6万人で5.6%(同0.5ポイント増)だった。
なかなかショッキングな数字です。
卒業した大学生の60%しか就職出来ないのですから。
また、上記状況を鑑みて、7人1人もの学生が就職留年をしたとの調査結果もあり、
この数字を加えれば、
表題の60%は52%まで低下します。
実は日本の大学を卒業できる能力をもった学生の半分しか就職出来なかったのです。
猫さんもビックリだ。
ただ、ちょっと疑問が浮かぶ数字として、昨年の新卒の求人倍率は1.6倍があります。
既卒の求人倍率が0.4倍だったのに対し、一見恵まれた数字であり、だからこそ就職留年が流行るわけですが、正直、腑に落ちない数値ではありますね。
そこで、ちょっと調べてみました。
上記、グラフは新卒の求人倍率推移です。
バブル崩壊以降、昨年の1.6という数字が低いかというと、どうでしょう?
決して低いとは言えませんというのが正直な感想です。
一方、大卒の就職希望者に対する内定率。
あれ?なんか印象が違うぞ!!
就職希望者の9割が就職しているじゃん。
確かに10%は脱落しているのですが、?です。
数字を自分なりに分析すると、今春、卒業できた学生の内、就職を希望した学生は35.8万人いて、その内32.9万人が就職出来ました。
って見方も出来ますけど。。。
2010年度の就職留年は9万人ホドいると推測されますが、
上記数字、
就職した人(32.9万人)+就職留年(9万人)+頑張ったけど就職出来ず卒業した人(?)
=就職を希望した人(41.9万人+α)
ですが、実際は35.8万人。
このギャップの理由はなんでしょう?
就職だけを目的とした留年では、ないかもしれないですね。
そこで、このグラフ
就社意識が、就社(会社が主体)から就職(自分が主体)へと日本人の意識が変わって来ているようです。
新卒の求人倍率を鑑みて、就職は可能でしたが、あえて就職しなかったような意識が垣間見られます。
会社と自分との関係について、かつての「会社に貢献することによって自分が成長する」という考え方から「自分が成長することによって会社にも貢献できる」という考え方に変化したようです。
で、その自分が成長出来る職がないからと感じるからこそ就職しない。
一瞬、理が通っていると感じますが、どうでしょう?
最近、電話取りや掃除を促しても、それら『皆』にとって必要な雑用に対して強い忌避感をもつ新入社員が多いのですが、雑用=成長できないと決めて掛かっているような気がします。
同様に、社会経験の少ない彼らが判断する、自分にあった職が、本当に彼らにあっているのでしょうか?
中学、高校、大学の卒業後、3年以内に離職する割合は、 それぞれ約7割・5割・3割*と言われています。
つまり、若者の離職率は人生経験順に「七五三」の割合になっていうとも言え、この数字と上記、就職に対する意識変化は無関係ではないと感じてます。
離職に関しても、いろいろ理由があり、これはこれで記事になりますが・・・
自分の理想と現実のギャップに苦しんで離職するようです。
(バブル崩壊時の大卒離職率20%でしたから、まぁ、悩み深いですね。)
島田紳助さんのコトバですが、
『40歳までやりたい事がドンドン変化していったでぇ』って一つの真理だと思うのですが、様々な人生経験を積む事で本当にやりたい事が見えてくるのだと思いますよ。
ペンディング中の教育提言シリーズ
②自分の幸せを基準とした判断力(人生の羅針盤、GPS)を獲得する教育ー未来提言14
にも記載していますが、経験って大きいんですよね。
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』と、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉ですが、教育なり、なんなりで多少なりとも先人の歴史(経験)を教えられば良いんですけどね。
まぁ、私、『失敗とは人生最高の授業』(高い高い授業料ですけど。。。)だと思っていますので、失敗を忌避するような上記コトバを、そのままに受け入れるのに対し疑問を感じますが、予め想定される事に対し、先人たちと同様な失敗をするのは賢い行為ではないですね。(苦笑)
人生の施行錯誤を通じた就職システムの確立こそが、イロイロな意味で日本人を仕合せにしてくれると思います。
思えば、高度成長期時代は、成長する事で旺盛な求人意欲が企業側にもありましたから、ある程度の回り道が後の成功(仕合せ)につながっていましたが、現在のような過度な差、新卒求人1.6倍、既卒0.4倍では、若者も及び腰になりますね。
その為には過度な新卒至上主義を改め、既卒にも新たなラインを設けるのが良いかと感じます。
就職した学生60%という数字だけで判断すると、何か間違った方向に行きそうですが、今の学生、イロイロ考え(自分探し)ているようですし、彼らの頑張りにエールを送りたいです。
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子どもの読書量は親に比例/小2対象に厚労省調査
小学2年生が1カ月に読む児童書や絵本の数は、親の読書量にほぼ比例することが14日、厚生労働省の調査で分かった。
厚労省は「母親、父親ともに読む量が多くなれば、子どもの冊数も多くなっている。
親の読書習慣が大きく影響している」と分析している。
母親の文庫や単行本の読書量が、1カ月に「1冊」の場合、子どもが読む本は「1冊」17・4%、「2、3冊」が最も多く34・1%、「4〜7冊」26・3%、「8〜11冊」9%、「12冊以上」13・3%だった。 母親が「12冊以上」の場合は、子どもは「1冊」3・7%、「2、3冊」14・9%、「4〜7冊」16・2%、「8〜11冊」9・5%。一方「12冊以上」が55・7%と半数を超えた。この傾向は父親との関係でも同じだった。 厚労省は2001年に生まれた子どもの発育や生活状況を毎年追跡調査しており、8回目。昨年、8歳になった約3万9千人に調査票を配布し、3万5850人から回答があった。 本を読まない大人が身近にいない子どもは本を読まず、テレビを頻繁にみる大人が身近ならば子どもテレビをみる。
当たり前な話だ。
子どもは身近な大人の模倣をする事で成長するのだから。。。
子どもは親の鏡であり、子ども達は社会の鏡。
ところで、
最近の若者を批判する大人は、一体、誰に対して批判しているのだろう。
ふっと疑問に思った。 |
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学歴の現在の位置づけは、パスポートと考えてよいだろう。
一般に学歴社会とは学歴によってどの程度の人生(就職、結婚など)を送ることができるか等の見通しが分かる社会であると定義付けられている。
ダニエル・ヤンミン、チャン・マイミンはこのシステムをパイプラインシステム(入り口=大学入学と出口=社会的成功が決まっている事から)と名付けている。
工業製品の大量生産、大量消費と、経済成長を前提とした社会において、学歴社会は特に有効に機能する言われている。
つまり、日本の高度成長期時代は、より良い学歴を保持する者がより良い待遇(職業や賃金などで恵まれた環境)を受けられる可能性が高かったわけである。
そして、この高学歴を得る事が社会的成功の確率を格段に高めるため、学歴は、その後の人生を決定付けるいわばパスポート的な役割を果たしていた。
ところで、過去、水戸黄門の印篭宜しく、非常に効果的であった学歴は、パスポートは精々、遊園地の入場券みたいなモノまで格下げになり、以前の何でも乗り放題的なフリーパスではなくなって来ている。
そして、このパイプラインシステムが以前ほど機能しなくているのは先日の記事
学歴崩壊の端緒 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/25157990.htmlで記した通りだ。
実際、高学歴=収入の保障ではないし、まして就職の保障でもない。
逆に学歴を偽って、わざわざ高校卒の仕事(公務員関係)を選ぶぐらいだ。(つい最近も発覚)
他の先進国を見れば日本の未来は明らかだろう。
グローバルとはあらゆる事象、現象が均一化する流れだから、当然、先行組を観察すれば、自ずと在る程度、日本における学歴の将来も想像できようモノだ。
結局、パイプラインシステムにおける上記相関は、大学生が希少であって、同時に高度経済成長を続けていた時代においてこそ、機能していた事象であると考える。
日本の大卒進学率は上昇の一途であり、キャパ的には希望した子どもたち、総て受けいられるほどであり、大学全入時代とも言われている。
大学があり過ぎで、定員割れによって、大学が廃校し始めているぐらいだ。
団塊ジュニア時代の4年制大学進学率(現36歳前後)は25%。
一方、今の学生の進学率は50%。
高等教育の研究者として世界的に著名なマーチン・トロウ氏による説によると、
該当年齢人口に占める大学在籍率によって、大学のシステムが以下のように変わるとされている。
・15%未満の段階 要は大学卒が当たり前になり、大卒の価値が下がりユニバーサルに日本もなったわけだ。
当然、大卒と言う定義も変わって行くだろう。
個人的には高校のような多様性が大学にも存在するようになると予想している。
進学校、工業高校、商業高校、部活動重視高校、低位の優しく教え導く高校のように、多種多様になるだろう。
おそらく、この大学における進学校的存在により、今以上に学校間の実力差、格差が広がると予測する。
そして、この大学における進学校とは、良い企業に入る事を目的とした所だから、
高校別の東大合格数と同様に、大学別、一部上場企業内定数が大々的に今、以上に公表され、世間において耳目を集めることとなるだろう。
(何時ごろか不明だが、大学別、企業内定率が注目され始めたのは、ここ十年の話と記憶している)
最早、大卒=良い生活でない以上、良い生活を保障してくれる可能性の高い企業に、より多く就職した、させた実績をもつ大学が良い大学なのである。(?)
入学時の偏差値で大学が評価されない日は間違いなくやってくる。
さて、未来における、大学の職業訓練校化がもたらす未来図は日本にどんな影響を与えるのだろう。
以前のように大卒=有利な就職になり得ない以上、その存在価値を掛けて大学は企業の要望に応えると思う。
当然、ネガティブな面、ポジティブな面、両面あるのだと思うのだが。。。
消費者は基本、良い生活の保障を大学側に求めている。
結果、大学は変わらざる終えないだろう。
大学入学=良い生活でないからだ。
日本の大学は永く、企業が求める人材の供給源とはなりえず、会社に入れてから鍛える事で良しとして来た面がある。
売り手市場から、買い手市場によって行なわれる大学の選別。
大学側は生き残る為に、買い手側である企業の要望に応えざる終えないだろう。
ちなみに最近の企業が求める人財の定義一覧は下記の通りである。
産業競争力懇談会 2007年度推進テーマ 報告
・成熟社会において求められる力
①人間性や基本的な生活習慣、社会常識。 ②社会に貢献しようという意欲や、志の高さ。 ③自らが好奇心を持って新たな課題を発見し、その課題を解決しする力。 ④基礎学力に裏づけされた幅広い知識、その上に自らが得意とする専門性。 ・グローバル社会において求められる力 ①社会人一人ひとりに世界の誰とでも交流を持てるような深いコミュニケーション能力。 ②日本人がこれまで培ってきた高い倫理観と日本特有の文化や歴史に対する教養。 ③自らと異なる多様な文化や価値観が存在することを認識し、受け入れること。
・情報化社会において求められる力 ①本質をつかむ深い洞察力。 ②収集された知識に独創性を加え、新たな価値を生み出す応用力。 ③チームでの行動力、チームのメンバーそれぞれに考え抜く、他者と協働する力。 経済同友会「教育の視点から大学を変える」(2007年3月)では
高い価値観:社会において、人と人、人と自然との関わりの中で生きていく上での基礎となる価値観
志:どのような分野で自らの能力を発揮し、それを通じて世の中にどう貢献していくのかという意思と自律心 熱意・意欲:自らの志を追及し、新しいことや変化、困難に挑戦する姿勢 課題発見・解決力:自ら新しい課題を発見する力。自分で考え、解決方法を追求する力 問題解決の方法論:問題を解決するために必要な一連のスキルと、試行錯誤や挫折に耐える強さ 協働力:対話を通じて理解・納得を得、協業関係を構築する力 既存のものへの批判力:既存の制度や仕組みなどを鵜呑みにせず、独自の視点から検証することで、新しい解答を導き出す力 国際性:国際社会と日本との関わりの理解や、異文化・多様な価値観を理解し、尊重する姿勢。語学力を含む、幅広い人々と対話する能力 個性、特性、才能:他社とは異なる自分の個性や特性、得意分野を見出し、追求する力。他社の個性や独自性を評価し、それを尊重する力 報告書における寸評
日本の大学生の力量は「読む・書く・聞く・話す」のコミュニケーション能力や「自分で考える」といった基礎的能力が不足しているという点において深刻である。
産業界では、社会人として働く上での意識や教養が大学生に不足していると以前より問題視されてきた。
また、このことは大学生と日常的に接している大学教員の実感としても指摘されており、産業競争力の根幹を支える人材の質的低下が懸念されている。
転載終わり
結局、企業の重視する項目は学生の将来性、つまり即応力であったり、適応力、伸び代なんだろう。
一部、会社で鍛えなければならない項目もあるようだが、基本、私の考え(前回記事に表記)と齟齬がないようだ。
激変する社会経済状況下で求められる素養は一言で言えば適応能力であると思う。
当然、必要とされるビジネススキルも変わるわけで、柔軟性こそが第一である。
つまり、日本の企業は現時点では、大学卒業時に完成された学生を求めているわけでなく、企業の状況に合わせて成長してくれる学生さんを求めているのだ。(完成されて先入観が強い人財は敬遠気味)
一部、追加的に語学力(トイックの得点)や高い基礎学力を求めているが、一番、企業が問題にしているのは「読む・書く・聞く・話す」のコミュニケーション能力であったり、自分で考える、といった基礎的能力であって、これって殊更凄い事でないと感じるのは私だけだろうか?
何気に企業の求める大学生を産みだす職業訓練化、結構、良い影響を与えるかもしれない。
ネガティブ面はさらなる上辺だけの知識詰め込み教育を大学が行なう可能性が捨て切れない点だ。
そして、それを安易に消費者が支持する可能性が危惧される。
(これはこれで、大学の職業訓練化の分析記事を書く必要があるかもしれない。)
ところで、過去においても、現在においても量的違いこそあれ、知識の詰め込み教育であった教育界が企業の問題視する項目の低下に直接関わったとは思えない。
大学生の学力低下(企業が求める素養との乖離)、
その原因は大学全入(ユニバーサル化)時代による大学生自体の平均値の低下と、日本人の質的変化と考えて差し支えないだろう。
さて、この企業側の要請を大学はどう考えるのか?
あまりに基礎的過ぎて、もっと違う所、小中高まで関わる問題だと感じてしまう。
そして、これら素養を形作っているのは、学校というより
親ではないかと感じるのだが。。。
ないとは言わないが年収より親の教育方針、接し方こそが子どもの将来を決定づけている気がする。
これが、当プログが一番問題視しており、どうにかしたいと感じているテーマだ。
各種分析を行うと親の素養格差が伝搬する事で、あらゆる格差が固定されてきているとしか思えないのだ。
この重要な喫緊の対応に日本は政府としてまったく対応していないと感じる。
人財面での枯渇化は、日本の将来に暗い影を投げかけているとしか思えない。
親の年収と子供の学力に思うー日本への提言1− http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/12008057.html
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