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学歴信仰、崩壊の端緒

パナソニック採用の8割外国人 大学生就職深刻になる一方だ

6月20日10時12分配信 J-CASTニュース
 日本人大学生の就職難が深刻化する一方で、外国人採用を増やす企業が相次いでいる。国内市場で成長が見込めず、アジアや新興国で事業を強化するためだが、日本の大学生の前途はますます厳しい。

 カジュアル衣料「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングでは、2010年の国内新卒採用者約200人のうち、外国人が約100人だった。11年も国内新卒採用約600人のうち、半数を外国人にする。

■楽天、パナソニック、ローソンなど大幅増

 ユニクロが外国人採用を拡大する背景には、海外出店の加速がある。10年8月期上期(09年9月〜10年2月)に海外で売上げが倍増し、営業利益は4倍以上となった。5年後には海外事業規模が日本を越えるようにしたいと考えている。

 アジア市場では中国と韓国に集中する。10年5月に上海にグローバル旗艦店をオープンし、秋には台北に出店する計画だ。東南アジアでも、マレーシア・クアラルンプールといった都市に続々出店する考えだ。欧米ではニューヨークとパリで複数出店し、他の欧米主要都市にも広げる。

 楽天は10年度の国内新卒採用者約400人中、外国人が17人で、現地採用では中国で15人、インドで21人を採った。国内で採用した外国人は基本的には国内で勤務する。現地採用はエンジニア職だ。11年度は国内新卒採用450〜500人のうち、70人程度を外国人で増やす。現地採用枠はインドと中国あわせて70〜100人を予定している。

 同社はEC事業の海外展開に力を入れている。中国最大の検索サービスを運営する百度(バイドゥ)と合弁会社を作り、ECモール「楽酷天」を10年6月9日にオープンした。ほかにアメリカ、インドネシア、タイ、台湾で事業を展開し、10年12月までに全10か国に拡大する。将来的には27か国に進出する計画で、広報担当者は「外国人社員がますます増えるだろう」と話している。

■新卒採用1390人のうち日本人は290人

 パナソニックの場合、10年度新卒採用1250人のうち海外で外国人を採用する「グローバル採用枠」は750人だった。11年度は外国人の割合を増やし、新卒採用1390人のうち、「グローバル採用枠」を1100人にする。残る290人についても、日本人だけを採るわけではないという。大坪文雄社長は『文藝春秋』10年7月号のなかでこうした方針を示し、「日本国内の新卒採用は290人に厳選し、なおかつ国籍を問わず海外から留学している人たちを積極的に採用します」と述べている。

 同社は中期経営計画で、3年後の売上高を10兆円に設定している。このうち海外での売上げ比率を現在の48%から55%まで引き上げる考えだ。これは海外市場で年間5兆5000億円売ることを意味し、達成すれば海外での販売が国内市場を上回ることになる。2018年度には海外比率を60%以上まで伸ばしていく考えで、裏を返せば、日本の比重が急速に減っていくことになる。外国人採用枠の拡大は、グローバル化を図る上で、日本人よりも外国人が必要と判断したためだ。

 ローソンは08年度から外国人留学生の新卒採用を始め、10年度は新卒採用者88人中17人が外国人だった。これまでに中国、ベトナム、韓国、台湾、インドネシアなどの留学生を採用した。11年度は60人中20人が外国人となる予定だ。同社広報担当者は、「外国人を採用することで社内を活性化するのが狙い」という。

 人事コンサルティング「Joe's Labo」代表・城繁幸さんは、

  「国内で外国人新卒者を採用する会社は2、3年前からありましたが、大手が本格的に採用し始めたのは2010年からです。理由は、日本市場に将来性が見込めず、新興国でビジネスを展開するためです。今後、国内向けのサービスを展開している企業以外は、外国人採用を強化していくと思います」

と話している。

 不景気で新卒採用枠が減っているなかでライバルが増えれば、日本人の新卒者は大変だ。

  「大学で勉強していない人は就職が難しくなると思いますよ。中国人や韓国人は最低2か国語を話せて、専門知識の勉強もしています。これまでのような会社に就職してから教えてもらうという考えでは、外国人と同じ土俵に立てません」
 
 
 
転載終わり
 
 
 
 
留学生の人気がグローバル企業を中心に高まっているのを、ご存じだろうか?
日本でなく海外で稼ぐ事を強く意識し始めた企業は積極的に、海外と日本をブリッジしてくれる人材の採用をしている。
当然、海外の意欲の高く、能力の高い外国人との競争は、学歴を益々、崩壊させるだろう。
 
バブル崩壊以前、日本は学歴の相関が強く、良い大学=良い生活だったが、今や大部分の大手企業の昇進は実力主義であり、厳しい選抜を潜り抜けない限り給与は上がらなくなってしまった。
 
精々、学歴はパスポートぐらいに格下げされてしまったが、新卒採用における学歴の意義はドンドン下がっている。
以前は、何々大学枠、学閥等があったが、グローバル企業にとって、そのようなモノは過去の話になりつつあり、これまで以上に実力が問われる選抜試験になるだろう。
 
ちなみに、この実力の定義だが、企業は即戦力を求めているが、学校で学生が学んだ事が、直接、企業活動に役立たない事も承知している。
だから、企業の重視する項目は学生の将来性、つまり即応力であったり、適応力、伸び代だ。
 
これら項目に学歴というカタログスペックが関与していないのは明白だから、巷間で言われているほど民間企業は学歴を重視ししなくなっている。(結果的に企業の希望と合致する学生を取ろうとすると良い大学になっているが。。。)
 
にも関わらず、現在の親、及び学生の学歴信仰は根強く残っている。
 
このギャップ、いったい、いつ埋まるのだろう。
 
まぁ、終身雇用で年功序列、平均給与で民間の1.8倍の公務員が学歴を重視している以上、日本での学歴信仰は、当分、健在だろう。

 

「努力報われる」半数に満たず 格差拡大 大学生冷めた見方

2009.8.21 10:07
このニュースのトピックス:学校の現場レポート
 大学生の8割は日本を「競争社会」と考えながらも、努力が報われる社会と思っている人は半数に満たないことが20日、ベネッセコーポレーション岡山市)が全国の大学生4070人に実施したアンケートで分かった。
 昨年秋に大学生の社会観や生活についてインターネットで調査。結果によると、就労観については「仕事を通じて社会に貢献することは大切」と答えた学生は84%を占めた。
 「仕事より自分の趣味や自由時間を大切にすべきだ」と回答した人も75%いた。
 79%が「日本は競争が激しい」とし、「努力が報われる社会」と受け止めているのは43%にすぎず、格差拡大が指摘される状況に厳しい見方を示した。
 大学生活で身についたこととして「人と協力しながらものごとを進める」が67%を占め、「自ら先頭に立ってグループをまとめる」は37%。リーダーシップより周囲との調和を重んじる学生気質がうかがえる。
 授業の出席率は87%で、1週間の平均通学日数は4・4日と、まじめに大学に通う傾向が示された。一方、週に3時間以上「授業の予復習をする」と答えた学生は27%、「授業以外の自主的な勉強をする」は19%にとどまった。
 
黄色はベネッセの総評
上記のような大学生の努力することへの肯定感の低さや対人関係におけるリーダーシップの低さは、次代を担う人材育成の面で課題と考えられます。今後、大学生を含めた青少年が、努力への肯定感や対人関係能力を高めるための取り組みを、大学をはじめとする教育機関、さらには社会全体で考えていく必要があります。
 
 
 
 
『親の所得と学力格差』 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/25127036.htmlで記事を書いたが、所得以前の問題として、自身の可能性を信じず、何か冷めた大学生、青少年が増えている事こそが大問題と考えている。
まず、これをどうにかしないと、『子ども手当』、『高校無償化』、その先の機会平等を謳う『大学無償化』も、その効果のほとんどをスポイルする事になると思う。
 
努力を放棄した人生とは転落(転落するとは限らないが成長性は希薄)だけだ。
 
人事を尽くさなで天命などおりてくるわけがなく
『なんくるないさ』http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24975102.htmlっと問題を先送りしても、いつかそのツケは清算する事になる。
 
努力を信じられる子どもたちと、努力を信じられない子どもの努力格差、年収格差、仕合せ格差は最終的に凄まじい結果になるだろう。
その原因を、モチベーションの有無を議論せず、産まれたときの格差、親の年収格差、地域格差に求め始めたら、キリがないと感じてしまう。
 
確かに環境格差は分析上、間違いなくある事実なので異論はないのだが、
年収、地域格差をモノともしない子ども達、諸先輩達がたがいる事こそを私は注目したいと思ってしまう。
 
今の状態では、ただ、何となく大学に通う不幸な子どもたちを増やすだけだ。
 
ウサギとカメの話ではないが、努力を信じられるモノ、言いかえれば可能性を信じられるモノが、やはり強いのである。
上記、話はウサギさんに対する戒め的な逸話だが、個人的に鈍足のカメさんが自分の可能性を信じられた事こそが、一番の勝因だと分析している。
 
ところで、この鈍足、カメさんと比較し、上記、今の若者の冷めきった考え方はどうなんだろう。
何か、ウサギさんに勝つ事を最初から諦めている気がしてならない。
 
確かに、ウサギさんに勝てないかもしれないが、人生と言う道において、努力を放棄した人は、その場に留まるしかないだろう。
千里の道も一歩から。
走れなくても歩く事(努力)をしない限り、前に進まないのである。
 
人生の諸先輩達は経験済みだと思うが、平坦な道だけではなく、急な上り坂もあれば、崖下に転落する事もあるのが人生だと思っている。
 
上記、学生達は、人生の、急な上り坂で上る事を諦めていないか?
崖下に転落したら、その場で諦めていないか?
壁があったら、その壁の前で立ち尽くしていないか?
 
確かに、今の日本社会は滑り台社会であり、一度、転落したら頑張りが効きにくい面があるのは間違いないが、諦めたら、総てが終わりである。
自ら可能性を閉じているとしか思えない。
 
好きな事を一生懸命するのは当然であり、当たり前だ。
しかし、人生は好きな事だけではない。
如何に自分を律し、現実から逃げず立ち向かうか、その時にこそ、その人と言うモノが問われるのだろう。
 
そして、現実から逃げ、諦めた人間に、その人の評価を問う機会が永遠に訪れない事は明確なのだが、今の日本人はそれでも構わないと思い始めているフシがある。
 
何か頑張らない事がカッコいい、って間違った解釈をしていないだろうか?
如何に効率よく、勉強し、楽に良い大学に入り、良い企業に入り、楽してカネ儲けして、専業主婦(専業主夫)のセレブな嫁(旦那)さんを貰って、チャライ人生を送りたいと思っていないか?
 
俺、まったく努力していないけど、こんな楽しい人生、歩んでいまっせ!!
 
それを、自慢として受けいられる土壌が今の日本にある以上、どうにもならないし、それを憧れ、賛美をもって迎える心理的背景がある以上、日本の衰退は決定的だと思う。
 
もっと努力を評価すべきでは?http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24419221.html
で努力が評価されない日本を憂いたが、やはり今の状態は危険だと強く感じる。
 
結局、今の子どもたちは私達の写し鏡であり、私達が模範を示せないからこうなっていると結論付けている。
 
この負の連鎖を断ち切るとしたら、親と関係のない公的機関、学校しかないと、すがるような気持ちで考えてしまっている。
 
親の世代はダメだろう。(政策提案を考えた時期もあるが、成人した後、ココロ構え等の鍛錬は正直、難しい)
今を個々で必死に生きるしかない。
自己責任で頑張ろうだ。(否定したいが、どにもならん)
だが、この負の連鎖(努力の否定)を断ちきらない限り、日本再生はならない気がするし、『みんな』の主張する民間の2倍弱まで拡大した公務員給与を見直しても、本質的な解決にならなだろうし、各種政府事業の見直し、リストラも同じ軸線上で見てしまう。
 
努力を認めなくなった日本が幾ら制度論(地方分権等)で逃げても、本質的対応が出来ていない以上、その成長の土台が崩れ始めている以上、消費税を上げても、莫大な費用を掛けて産業振興策を行なっても、如何なインフラ整備をしても、その効果はスポイルされると私自身は思っている。
 
 
まぁ、物質的に豊かな日本が破綻しても、人間は生きていけるのだから、なんとかなるのだろうとは思ってます。
私自身は自己責任で『まっ、いいっか』かな?
正直、こんな良い社会が破綻するのはもったいない気がしますが。。。個人でなく全体で決める事ですので、如何ともい難く、
こればかりは・・・
って私も壁の前で諦めている。(笑)
私の杞憂も意外と何とかなるかもしれないし、Take_it_easyでしょう。

 

「親の所得が学力左右」文部科学白書が指摘

6月18日13時31分配信 読売新聞
 川端文部科学相は18日の閣議に、2009年度版文部科学白書を報告した。家庭の経済力の差が子どもの教育機会の格差拡大につながりつつある現状を挙げ、教育への公的投資の必要性を指摘した。

 白書では、09年度の全国学力テストの結果などを分析し、就学援助を受ける生徒の割合が高い学校は正答率が低い傾向があること、親の年収が400万円以下の子どもの大学進学率は31%なのに対し、同1000万円超だと62%に達することなどを指摘。子どもの学力の伸長が親の所得に左右される可能性があることなどをとりあげた。

 そのうえで、幼稚園や大学などへの公的財政支出が少ないことを挙げ、「経済的格差が教育格差に影響し、それが格差の固定化や世代間の連鎖につながりかねない。教育に社会全体として資源を振り向けることが喫緊の課題だ」とした。
最終更新:6月18日13時31分
 
 
 
 
確かに、親の所得と、子どもの学力は相関すると思うが、日本の最高学府たる東大に入学する生徒の親御さんの所得は400万以下が25%を占めており、上記、文部科学白書に対して、私は強い違和感を禁じ得ない。
 
思うに、今の学力格差とは、モチベーション格差と言っても良く、勉強を努力を肯定する子どもたちと、諦めた子どもたちの格差ではないかと?個人的に感じている。
 
高収入の芸能人の御子息に、私は高い学識をもった『お子さん』の話をあまり聞かないし、いくら教育費を掛けても、子どもの『やる気』を引き出すのは、一番、近い大人、その子どもの親次第と感じる。
 
本を読まない親の子は、本を読まないだろうし、『やる気』、『モチベーション』を感じない親の子も、同じ軸で捉えてしまう。
親の資力は、子どもの『やる気』が等価である時に、初めて、その学力の伸長に差が出るのであって、その総てが資力であると錯覚させるよう論評は間違ったメッセージを国民に与える可能性があると感じている。
 
私は、私の親は資力がないから、私の子どもは、私は学力はない。
悪いのは世の中だ。
 
子ども手当を増額しても、子ども達の学力は伸びないだろう。
政府は子ども達が努力を放棄しはじめている事にこそ注目して欲しい。

日本の子どもの自宅学習時間は世界で最低である。
しかも、その中身は歪であり自宅学習時間に差(中間層がいない)があり、テレビ視聴時間にも差があるような状況だ。
要は努力する子は益々、努力し、やらない子はやらない状況。
それで格差云々を議論されてもどうにもならんだろう。
 
勉強だけが人生でないとは言え、一生懸命、何かに努力した経験がない子どもは、何か冷めている印象がある。
何か達観している気がするのだ。
努力した先の達観でなく、努力しないで達した諦観の境地。
そこに至ったプロセスの違いは、その後の人生にどんな光彩の差異を与えるのだろう・・・

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さて、今回、問題になった児童はどんな子だったのか?

どうも相当、各種能力が一頭図抜けた存在だったらしい。
体格も頭脳もである。

公立の場合、授業についてこれず学級崩壊する例が多いが、今回の場合、強過ぎる個の存在により学級崩壊が起きてしまったようだ。

つまり、能力が違い過ぎて、誰も、問題児童を止める事が出来ないのである。
当該、児童は2学年上の児童を泣かすほど、腕力も勉強も出来るらしく、学習院という枠組みに納まらなかったらしい。

同時に、当該児童の両親、特に父親はかなり厳格な親らしいく、そのはけ口に学校が利用されてもいたようである。

尚、学校側は児童の親に注意を促したようだが、その注意が甚だ常識とかけ離れたものだったらしく、病院での検査を勧めるものだったそうである。

この種の問題、他者への思いやり、気遣いが理解できない児童への指導は、家庭と学校が協力して行うモノと思うが、その責任を学校側は病気のせいにし、自身の指導力不足の棚上げをしたのである。

結果、対象児童の親は激怒。
どうも、厳格な親の前では良い子ちゃんしていたうようで、児童の親は学校側の問題提起に対し、懐疑的であったらしく、その上に病気発言である。
この発言は他の保護者にも問題視され、担当教師は吊るし上げをくらったそうだ。
(この教師も問題があるらしく、指導力不足を理由に教頭を解任されてるらしい)

確かに、そういった例もあるが、その場合、学校でも、家庭でも同じ事が起きるハズだ。
当該児童は家庭で問題を起こさなかったわけで、病気の線は限りなく薄い。

原因は他者への思いやり不足による暴力である。

そこを理解せず、己が責任を放棄する発想。
どうも学習院、先生もかなり素養が低下したらしい。

実際、学習院は問題を起こし続けている。

02年には恐喝未遂で高等科の男子生徒四人が逮捕され、他十人弱が『オヤジ狩り』や『カラオケボックスでの乱交騒ぎ』で処分を受けている。
09年には先生と生徒との不倫が問題で依願退職もしているし(痴情のもつれで公になった)、同様に初等科の先生が強制的な女児童の水着撮影などの問題行動を長年(7,8年)にわたって行い、愛子さまのご入学の前年に、該当教師が退職させられる等、諸問題が多々あるらしい。

外面は名門私立小学校だが、中身は相当、酷い。

今回のような能力のある子は、学習院の難度の高い選抜試験を容易にクリアできると思われる。
理由は親御さんの前で良い子ちゃんを出来るので、スクリーニングが効かないのだ。

本来、これら異分子は排除せず、その問題解決を皆で行う事で、児童全体のスキルアップを図るのが妥当なのだが、学習院はその機会を見事にスルーしてしまった。

公立と違い名門私立小学校である。
人員を掛けて問題解決をしてこそ、名門たる所以だろう。
授業料は年間140万円に寄付金が平均50万円弱(いちお任意、がバイアスは強い)と、同年齢の児童が公立の小学校に通った際の費用が5万円弱と言われているので、かなり高額な出費だ。

その出費に見合う体制が本来、担保されても良さそうだが、学習院はその能力を失ったようだ。

結局、知識のない児童の説得に失敗したのである。
その失敗に対し、学習院は監視教員の増員で対処した。
まさに対処療法である。

本質は該当児童の他者へ思いやりの獲得こそが必要なのである。
その本質的な対応を、名門私学でさえ出来なかった。
これでは公立はもっと絶望的であろう。

ところで、他者への共感、思いやりはどうやって獲得するのだろう?
基本、他者への理解、その行動によって生じるイタミを理解しなくては、真の意味での共感、思いやりは生まれない。
一方で、自我が完成してなく、知識も経験も未熟な子供は一般に残酷である。
小さな子供は安易に生き物を殺すが、その理由は殺す事の意味がわからないからである。
同様に乱暴も定義できるのではないかと思う。

では、知識も経験も未熟な児童に乱暴をさせない為にはどうしたら良いのであろう。
一つの方法としてイタミを児童に経験させる事で、そのイタミの意味を、他者に与える意味を覚えさせるのも一つの手であろう。
これはある種、児童に手を上げる事を指している。
昔はこのやり方で、知識、経験を植え付ける事で暴力の意味を幼く、知識もない児童に覚えさせる事が出来た。
少なくても自身より上位者への恐怖は覚える事が出来たハズだ。

暴力のイタミを知るには、一度、暴力のイタミを経験する事である。
そして、その際の心情を知るのは、他者への暴力行為に対する理解の早道であると思う。


『犯罪者を捕まえるには犯罪者を使うのが一番である。
なぜなら犯罪者の心情をもっとも理解しているのは犯罪者だからだ』
っと言って、かのルーズベルト大統領は世界恐慌の原因となった株式市場の法規制を作り上げる為にケネディ大統領の父親を抜擢したらしい。
ある種、経験とは、もっともその対象者の気持ちを忖度するのに有利な項目だと思われる。


ただ、現在の社会情勢下では学校は生徒に対し、手を上げる事が出来ない。
実際、問題を起こした生徒を正座させただけで、ある私立学校の先生が解雇されるほど、暴力的なモノに対する世間の目は厳しい。
世間の目と言うか保護者の目が厳しいと言うべきか・・・。

結果、学校側は児童を指導する最も手早い手段を放棄し、地道に対話をし続けるか、監視を付けて問題を封じるかになってしまった。
世間一般は対話を求めるが、相手にその知識がなく、その必要性を認めなかったら、対話は成り立たない。
おそらく相当な手腕がないと幼い問題児童と対話が成立しないと思われる。

我々、大人にとって当たり前の感覚が彼らにないのである。
いや、我々、大人にあるのだろうか・・・。

国母君は対話を拒否した。
視聴者の不愉快という気持ちの表明に対し、『ちっ、うるせ〜な』である。
結果、互いに権利を突き合わせ、不毛な会話をしていたのはつい此間の話である。
大人でさえ、満足にないのだ。

現在、学校側は児童にイタミ、暴力という意味を教える有効な手段を失っている。
当然、学校側が出来ない以上、親御さんが他者への共感や暴力の意味を必要に応じて教える必要があるのだが、果たして教えられるのであろうか?

亀田親子は、やはりあの親にして、あの子である。

ココロの格差固定は、もしかすると抜き差しならない状態に来ているのかもしれない。
学校側が満足な手段を取れない以上、家庭にその負担が増し、その結果、各家庭の親御さんの素養がダイレクトに伝わる、つまりほぼ固定されるのである。

学力面での年収格差より、素養格差によって生じる格差固定は私の持論だが、当然、思いやりや、社会性も固定される事になる。
だからこそ、格差が固定されるのである。
不幸のスパイラルだ。
ココロの貧しい親の子はココロの貧しい大人になる可能性が高いのである。
逆に、ココロの豊かな親の子はココロの豊かな子になる可能性が高く、その未来を楽しむのである。

ちなみに昨年、合格した東大大学生の年収400万円以下の層は20%弱である。
関連記事:親の年収と子供の学力に思うー日本への提言1−
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/12008057.html

この意味はやはり重いと思う。
世間は安易に資金力の問題にその学力格差の原因を求めるが、グローバルで生き残る為の素養獲得における年収格差は一部を除き、ほとんどない。
特に単純な暗記につては、自己である程度ケア出来る話だ。
結局、カネがなくても子は育つし、親の背中を見て成長するのである。

昔は回りが助け合わないと生きて行けなかった故に、親以外の大人と濃密に関わる機会があったが、今はほとんどない。

この現実は、親の素養による格差固定の呪縛から逃れられないという現実を我々に気づかせてくれる。

実際、学習院の先生もダメだが、親御さんもダメらしい。
そりゃ、生徒が素行が悪いわけだから、親の出来が悪いのはある意味、必然であろう。

結局、親御さんも学内で各種問題行動を起こしているよだ。
当然のその理由は他者への思いやり不足、配慮が出来ないである。

授業参観中もお喋りも止めず、携帯は切らず(せめてマナーモードにして〜)、あまつさえ話し、教師が注意すると、国母君同様、ちっ、うるせ〜なは言わないが、『は〜い』だそうだ。
つまり『反省のポーズ』だけとるのである。

他にもあるようだが、学習院の教師も親も、その双方が、その能力を低下させ、子供の将来を奪っているようだ。
当然、そんな環境で育った子供は同じ素養を子に伝えるだろう。

この状態を名門私立小学校だけの問題に捉えるのは、非常に楽観的だと思わざるおえない。
逆にお受験を潜り抜けた親達が。子供達がこの状態である。

選抜の問題もあるとは思うが、選抜されていない公立小学校の現状は、学習院以上に深刻だろう。
まぁ、実際に深刻な例を見聞きしているので、その関係者の苦衷を思うと如何ばかりかと思う。

スパイラル的に日本は衰退している感じる今日、この頃だ。
勿論、経済界を中心に現状を見直す動きが始まっているが・・・。
経済界、個人が出来るのは回りに対する働きかけだけである。
関係外の人への波及効果はないに等しい。

上記、状況を鑑みると世の政治家の奮起が期待される。
この面で、保守思想の大本、自民党の活躍を期待したいところだが、安部元首相になるのだろうか・・・。

手遅れになる前に政治に期待したい。

この制度破綻の原因になりうるココロを日本人は世間体で担保していたのは間違いない。
が、この世間体がイロイロな理由で崩壊し始めている。
その言及は他の記事に譲るが、上記理由で、日本の各種制度は破綻寸前である。

この制度の破綻は、徐々に進んでいたと思われるが、日本の成長が、そのマイナス面をカバーしていた事で、顕在化する事はなかった。(顕在化し難かった)

が、バブル崩壊以降の低成長と、もはや確実な少子高齢化によって、マイナス面をカバー出来た成長がなくなってしまった。
そして気付いたら、日本のココロ、社会性の低下と、その担保であった世間体が消失しかけているのである。

現在、日本はダブルで危機に襲われている状態である。
このココロ(社会)に対する配慮が無かった事で、小泉構造改革は見事に失敗してしまった。
アメリカの制度を導入する事で、ココロの消失を加速させてしまったのである。

まぁ、アホらしい、知恵のない結果だが、アメリカの一見、優れた制度の導入は、アメリカの思想の導入にも通じ、日本がアメリカ化するのを是認するのであれば、
問題は本来ないのだが、日本社会のアメリカ化は当然、アメリカの悩みを日本でも共有する事になる。

ところで日本の場合、制度の多くが性善説(ココロ)を前提で設計されたモノであったので、アメリカ化推進による構造改革は、そのココロを壊す事になった。

結果、小泉構造改革は中途で挫折してしまった。

その意義は大きかったのだが、如何せん知恵がなかったと思う。
構造改革は、分配出来なくなった富の過少化が原因であり、富が増えれば解決できる種の類だが、少子高齢化の低成長時代に、過大な分配を続ける事が出来ないのは当たり前の話である。
ある種、政府支出に依存していた階層の狙い打ちだが、この改革を行わない限り、富に限りがある以上、何処かで破綻してしまうのは確実だ。
が、この富の再分配等を見直す事で、確実に日本のココロは壊れてしまった。
理由は、皆が助かる為に、一部を見捨てる事を社会全体で是認したからである。

おそらく、この富の再分配によってココロの消失を担保し続けていた側面があったのは間違いないと思う。(低下し続けるココロの問題をバラマキで解決していたとも言える)

配慮のない富の再分配の一方的な停止は、多くの人々に他者への協力に対する意味の無さを気付かせると伴に、その余裕を奪ってしまった。
この社会情勢に対し、多くの国民が、自分が生き残る為だけに必死になっている。
この生き残る為に必死になった感情の行き着く先は、必死にならず失業してしまった人達への侮蔑であり、憤りである。
失敗とは自己の努力不足であると主張したいわけだ。
そして余裕がないが故に、助けを求めてくれるなと、自己責任で彼らを糾弾し始めたのである。
皆が助かる為に、一部を見捨てる行為の正当性を自己責任に求めたのである。
厳密に言うと、社会不安が増す事で、自らの首を絞める結果になるのだが一見論理的に見えなくもない主張である。
当然、彼らは自らが失職した場合も考慮に入れるので、ますます他人に構う余裕がなくなる。

日本はスパイラル的に協力出来ない社会になって来ている。
しかも複合的にだ。
原因は一つでなく、多種多様だ。
であるので、その原因を一つに求める事が出来ず、個々人で対応できないのが現状であると結論している。
おそらく全体最適化が必要な時期に来ているのだろう。

この最適化は政治の責任だが、これが我々の社会性の低下によるイタミの押し付け合いで、全体最適化が機能しなくなってきている。
アメリカの医療制度保険改革論議は、一人、一人の利益重視か社会の利益(協力社会による目に見えない利益)を重視するかの思想対決とも言えるが、
アメリカでは個人の利益重視に軍配が上がっているのは事実である。
アメリカ化し続ける日本で、アメリカと同様な論議の結果になり易くなっているのは容易に想像できる事態である。

このギリギリの分水嶺に日本は立っているのだと思うのだが、その危機感を政治家からはあまり感じない。
注意深く読み解くとあるようなのだが、それが万人に受けるスローガンに昇華されていないようだ。

安倍元首相の美しい国、日本や、鳩山首相の友愛も同じなのだが、どうも有権者は成果(数字)を重視する一方、成果に出にくい分野に対する、その有用性について
興味がないようである。

確かに衣食住足りて礼節を識るは一つの真理であるので、理解できなくもないが、今の状態だと、確実に上記、ココロの荒廃により衣食住が足りなくなる事態になりそうだ。

正直、鳩山首相の友愛も、安倍元首相の美しい国、日本も具体的言及を避けていた印象(報道しなかっただけか?)があり、その抽象的な表現故に、批判される原因にもなっていたが、
この成果に現われ難い友愛思想、一見、他国との関係において、一方的に損をしかねない思想の見直しを私はしても良いのではないかと思う。

この友愛思想の発露を日本の外と内に分ける事で、日本社会の良さを見直す現動力にしてはどうか等と思うのだが、如何であろう?

取りあえず、低下し続ける日本人の社会性に対する問題点を如何に解決するか?
現在は、その問題点と、個々人が被る不利益性をしつこく確認している最中なのかもしれない。

人に訴えかける時、それは、その人の欲求に問いかけると思っている。
だから、躍起になって、その思考の不利益性を訴えているのであろう。

この不利益性についての問いかけ(自己に対する)が終わったら、提言シリーズを再開したいと考えている。

ちなみにこの記事を上梓したのは、ある種、この問題に対し達観の境地に達しつつあるからかもしれないと自己分析している。
要は自分で自分の思索の結果について納得し始めているのかもしれないと考えている。

続く

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