パナソニック採用の8割外国人 大学生就職深刻になる一方だ6月20日10時12分配信 J-CASTニュース 日本人大学生の就職難が深刻化する一方で、外国人採用を増やす企業が相次いでいる。国内市場で成長が見込めず、アジアや新興国で事業を強化するためだが、日本の大学生の前途はますます厳しい。
カジュアル衣料「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングでは、2010年の国内新卒採用者約200人のうち、外国人が約100人だった。11年も国内新卒採用約600人のうち、半数を外国人にする。 ■楽天、パナソニック、ローソンなど大幅増 ユニクロが外国人採用を拡大する背景には、海外出店の加速がある。10年8月期上期(09年9月〜10年2月)に海外で売上げが倍増し、営業利益は4倍以上となった。5年後には海外事業規模が日本を越えるようにしたいと考えている。 アジア市場では中国と韓国に集中する。10年5月に上海にグローバル旗艦店をオープンし、秋には台北に出店する計画だ。東南アジアでも、マレーシア・クアラルンプールといった都市に続々出店する考えだ。欧米ではニューヨークとパリで複数出店し、他の欧米主要都市にも広げる。 楽天は10年度の国内新卒採用者約400人中、外国人が17人で、現地採用では中国で15人、インドで21人を採った。国内で採用した外国人は基本的には国内で勤務する。現地採用はエンジニア職だ。11年度は国内新卒採用450〜500人のうち、70人程度を外国人で増やす。現地採用枠はインドと中国あわせて70〜100人を予定している。 同社はEC事業の海外展開に力を入れている。中国最大の検索サービスを運営する百度(バイドゥ)と合弁会社を作り、ECモール「楽酷天」を10年6月9日にオープンした。ほかにアメリカ、インドネシア、タイ、台湾で事業を展開し、10年12月までに全10か国に拡大する。将来的には27か国に進出する計画で、広報担当者は「外国人社員がますます増えるだろう」と話している。 ■新卒採用1390人のうち日本人は290人 パナソニックの場合、10年度新卒採用1250人のうち海外で外国人を採用する「グローバル採用枠」は750人だった。11年度は外国人の割合を増やし、新卒採用1390人のうち、「グローバル採用枠」を1100人にする。残る290人についても、日本人だけを採るわけではないという。大坪文雄社長は『文藝春秋』10年7月号のなかでこうした方針を示し、「日本国内の新卒採用は290人に厳選し、なおかつ国籍を問わず海外から留学している人たちを積極的に採用します」と述べている。 同社は中期経営計画で、3年後の売上高を10兆円に設定している。このうち海外での売上げ比率を現在の48%から55%まで引き上げる考えだ。これは海外市場で年間5兆5000億円売ることを意味し、達成すれば海外での販売が国内市場を上回ることになる。2018年度には海外比率を60%以上まで伸ばしていく考えで、裏を返せば、日本の比重が急速に減っていくことになる。外国人採用枠の拡大は、グローバル化を図る上で、日本人よりも外国人が必要と判断したためだ。 ローソンは08年度から外国人留学生の新卒採用を始め、10年度は新卒採用者88人中17人が外国人だった。これまでに中国、ベトナム、韓国、台湾、インドネシアなどの留学生を採用した。11年度は60人中20人が外国人となる予定だ。同社広報担当者は、「外国人を採用することで社内を活性化するのが狙い」という。 人事コンサルティング「Joe's Labo」代表・城繁幸さんは、 「国内で外国人新卒者を採用する会社は2、3年前からありましたが、大手が本格的に採用し始めたのは2010年からです。理由は、日本市場に将来性が見込めず、新興国でビジネスを展開するためです。今後、国内向けのサービスを展開している企業以外は、外国人採用を強化していくと思います」 と話している。 不景気で新卒採用枠が減っているなかでライバルが増えれば、日本人の新卒者は大変だ。 「大学で勉強していない人は就職が難しくなると思いますよ。中国人や韓国人は最低2か国語を話せて、専門知識の勉強もしています。これまでのような会社に就職してから教えてもらうという考えでは、外国人と同じ土俵に立てません」 転載終わり
留学生の人気がグローバル企業を中心に高まっているのを、ご存じだろうか?
日本でなく海外で稼ぐ事を強く意識し始めた企業は積極的に、海外と日本をブリッジしてくれる人材の採用をしている。
当然、海外の意欲の高く、能力の高い外国人との競争は、学歴を益々、崩壊させるだろう。
バブル崩壊以前、日本は学歴の相関が強く、良い大学=良い生活だったが、今や大部分の大手企業の昇進は実力主義であり、厳しい選抜を潜り抜けない限り給与は上がらなくなってしまった。
精々、学歴はパスポートぐらいに格下げされてしまったが、新卒採用における学歴の意義はドンドン下がっている。
以前は、何々大学枠、学閥等があったが、グローバル企業にとって、そのようなモノは過去の話になりつつあり、これまで以上に実力が問われる選抜試験になるだろう。
ちなみに、この実力の定義だが、企業は即戦力を求めているが、学校で学生が学んだ事が、直接、企業活動に役立たない事も承知している。
だから、企業の重視する項目は学生の将来性、つまり即応力であったり、適応力、伸び代だ。
これら項目に学歴というカタログスペックが関与していないのは明白だから、巷間で言われているほど民間企業は学歴を重視ししなくなっている。(結果的に企業の希望と合致する学生を取ろうとすると良い大学になっているが。。。)
にも関わらず、現在の親、及び学生の学歴信仰は根強く残っている。
このギャップ、いったい、いつ埋まるのだろう。
まぁ、終身雇用で年功序列、平均給与で民間の1.8倍の公務員が学歴を重視している以上、日本での学歴信仰は、当分、健在だろう。
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就職・雇用・教育
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「努力報われる」半数に満たず 格差拡大 大学生冷めた見方このニュースのトピックス:学校の現場レポート
大学生の8割は日本を「競争社会」と考えながらも、努力が報われる社会と思っている人は半数に満たないことが20日、ベネッセコーポレーション(岡山市)が全国の大学生4070人に実施したアンケートで分かった。
昨年秋に大学生の社会観や生活についてインターネットで調査。結果によると、就労観については「仕事を通じて社会に貢献することは大切」と答えた学生は84%を占めた。
「仕事より自分の趣味や自由時間を大切にすべきだ」と回答した人も75%いた。
79%が「日本は競争が激しい」とし、「努力が報われる社会」と受け止めているのは43%にすぎず、格差拡大が指摘される状況に厳しい見方を示した。
大学生活で身についたこととして「人と協力しながらものごとを進める」が67%を占め、「自ら先頭に立ってグループをまとめる」は37%。リーダーシップより周囲との調和を重んじる学生気質がうかがえる。
授業の出席率は87%で、1週間の平均通学日数は4・4日と、まじめに大学に通う傾向が示された。一方、週に3時間以上「授業の予復習をする」と答えた学生は27%、「授業以外の自主的な勉強をする」は19%にとどまった。
黄色はベネッセの総評
上記のような大学生の努力することへの肯定感の低さや対人関係におけるリーダーシップの低さは、次代を担う人材育成の面で課題と考えられます。今後、大学生を含めた青少年が、努力への肯定感や対人関係能力を高めるための取り組みを、大学をはじめとする教育機関、さらには社会全体で考えていく必要があります。
『親の所得と学力格差』 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/25127036.htmlで記事を書いたが、所得以前の問題として、自身の可能性を信じず、何か冷めた大学生、青少年が増えている事こそが大問題と考えている。
まず、これをどうにかしないと、『子ども手当』、『高校無償化』、その先の機会平等を謳う『大学無償化』も、その効果のほとんどをスポイルする事になると思う。
努力を放棄した人生とは転落(転落するとは限らないが成長性は希薄)だけだ。
人事を尽くさなで天命などおりてくるわけがなく
『なんくるないさ』http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24975102.htmlっと問題を先送りしても、いつかそのツケは清算する事になる。
努力を信じられる子どもたちと、努力を信じられない子どもの努力格差、年収格差、仕合せ格差は最終的に凄まじい結果になるだろう。
その原因を、モチベーションの有無を議論せず、産まれたときの格差、親の年収格差、地域格差に求め始めたら、キリがないと感じてしまう。
確かに環境格差は分析上、間違いなくある事実なので異論はないのだが、
年収、地域格差をモノともしない子ども達、諸先輩達がたがいる事こそを私は注目したいと思ってしまう。
今の状態では、ただ、何となく大学に通う不幸な子どもたちを増やすだけだ。
ウサギとカメの話ではないが、努力を信じられるモノ、言いかえれば可能性を信じられるモノが、やはり強いのである。
上記、話はウサギさんに対する戒め的な逸話だが、個人的に鈍足のカメさんが自分の可能性を信じられた事こそが、一番の勝因だと分析している。
ところで、この鈍足、カメさんと比較し、上記、今の若者の冷めきった考え方はどうなんだろう。
何か、ウサギさんに勝つ事を最初から諦めている気がしてならない。
確かに、ウサギさんに勝てないかもしれないが、人生と言う道において、努力を放棄した人は、その場に留まるしかないだろう。
千里の道も一歩から。
走れなくても歩く事(努力)をしない限り、前に進まないのである。
人生の諸先輩達は経験済みだと思うが、平坦な道だけではなく、急な上り坂もあれば、崖下に転落する事もあるのが人生だと思っている。
上記、学生達は、人生の、急な上り坂で上る事を諦めていないか?
崖下に転落したら、その場で諦めていないか?
壁があったら、その壁の前で立ち尽くしていないか?
確かに、今の日本社会は滑り台社会であり、一度、転落したら頑張りが効きにくい面があるのは間違いないが、諦めたら、総てが終わりである。
自ら可能性を閉じているとしか思えない。
好きな事を一生懸命するのは当然であり、当たり前だ。
しかし、人生は好きな事だけではない。
如何に自分を律し、現実から逃げず立ち向かうか、その時にこそ、その人と言うモノが問われるのだろう。
そして、現実から逃げ、諦めた人間に、その人の評価を問う機会が永遠に訪れない事は明確なのだが、今の日本人はそれでも構わないと思い始めているフシがある。
何か頑張らない事がカッコいい、って間違った解釈をしていないだろうか?
如何に効率よく、勉強し、楽に良い大学に入り、良い企業に入り、楽してカネ儲けして、専業主婦(専業主夫)のセレブな嫁(旦那)さんを貰って、チャライ人生を送りたいと思っていないか?
俺、まったく努力していないけど、こんな楽しい人生、歩んでいまっせ!!
それを、自慢として受けいられる土壌が今の日本にある以上、どうにもならないし、それを憧れ、賛美をもって迎える心理的背景がある以上、日本の衰退は決定的だと思う。
もっと努力を評価すべきでは?http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24419221.html
で努力が評価されない日本を憂いたが、やはり今の状態は危険だと強く感じる。
結局、今の子どもたちは私達の写し鏡であり、私達が模範を示せないからこうなっていると結論付けている。
この負の連鎖を断ち切るとしたら、親と関係のない公的機関、学校しかないと、すがるような気持ちで考えてしまっている。
親の世代はダメだろう。(政策提案を考えた時期もあるが、成人した後、ココロ構え等の鍛錬は正直、難しい)
今を個々で必死に生きるしかない。
自己責任で頑張ろうだ。(否定したいが、どにもならん)
だが、この負の連鎖(努力の否定)を断ちきらない限り、日本再生はならない気がするし、『みんな』の主張する民間の2倍弱まで拡大した公務員給与を見直しても、本質的な解決にならなだろうし、各種政府事業の見直し、リストラも同じ軸線上で見てしまう。
努力を認めなくなった日本が幾ら制度論(地方分権等)で逃げても、本質的対応が出来ていない以上、その成長の土台が崩れ始めている以上、消費税を上げても、莫大な費用を掛けて産業振興策を行なっても、如何なインフラ整備をしても、その効果はスポイルされると私自身は思っている。
まぁ、物質的に豊かな日本が破綻しても、人間は生きていけるのだから、なんとかなるのだろうとは思ってます。
私自身は自己責任で『まっ、いいっか』かな?
正直、こんな良い社会が破綻するのはもったいない気がしますが。。。個人でなく全体で決める事ですので、如何ともい難く、
こればかりは・・・
って私も壁の前で諦めている。(笑)
私の杞憂も意外と何とかなるかもしれないし、Take_it_easyでしょう。
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「親の所得が学力左右」文部科学白書が指摘6月18日13時31分配信 読売新聞 川端文部科学相は18日の閣議に、2009年度版文部科学白書を報告した。家庭の経済力の差が子どもの教育機会の格差拡大につながりつつある現状を挙げ、教育への公的投資の必要性を指摘した。
白書では、09年度の全国学力テストの結果などを分析し、就学援助を受ける生徒の割合が高い学校は正答率が低い傾向があること、親の年収が400万円以下の子どもの大学進学率は31%なのに対し、同1000万円超だと62%に達することなどを指摘。子どもの学力の伸長が親の所得に左右される可能性があることなどをとりあげた。 そのうえで、幼稚園や大学などへの公的財政支出が少ないことを挙げ、「経済的格差が教育格差に影響し、それが格差の固定化や世代間の連鎖につながりかねない。教育に社会全体として資源を振り向けることが喫緊の課題だ」とした。 最終更新:6月18日13時31分
確かに、親の所得と、子どもの学力は相関すると思うが、日本の最高学府たる東大に入学する生徒の親御さんの所得は400万以下が25%を占めており、上記、文部科学白書に対して、私は強い違和感を禁じ得ない。
思うに、今の学力格差とは、モチベーション格差と言っても良く、勉強を努力を肯定する子どもたちと、諦めた子どもたちの格差ではないかと?個人的に感じている。
高収入の芸能人の御子息に、私は高い学識をもった『お子さん』の話をあまり聞かないし、いくら教育費を掛けても、子どもの『やる気』を引き出すのは、一番、近い大人、その子どもの親次第と感じる。
本を読まない親の子は、本を読まないだろうし、『やる気』、『モチベーション』を感じない親の子も、同じ軸で捉えてしまう。
親の資力は、子どもの『やる気』が等価である時に、初めて、その学力の伸長に差が出るのであって、その総てが資力であると錯覚させるよう論評は間違ったメッセージを国民に与える可能性があると感じている。
私は、私の親は資力がないから、私の子どもは、私は学力はない。
悪いのは世の中だ。
子ども手当を増額しても、子ども達の学力は伸びないだろう。
政府は子ども達が努力を放棄しはじめている事にこそ注目して欲しい。
日本の子どもの自宅学習時間は世界で最低である。 しかも、その中身は歪であり自宅学習時間に差(中間層がいない)があり、テレビ視聴時間にも差があるような状況だ。
要は努力する子は益々、努力し、やらない子はやらない状況。
それで格差云々を議論されてもどうにもならんだろう。
勉強だけが人生でないとは言え、一生懸命、何かに努力した経験がない子どもは、何か冷めている印象がある。
何か達観している気がするのだ。
努力した先の達観でなく、努力しないで達した諦観の境地。
そこに至ったプロセスの違いは、その後の人生にどんな光彩の差異を与えるのだろう・・・
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さて、今回、問題になった児童はどんな子だったのか? |
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この制度破綻の原因になりうるココロを日本人は世間体で担保していたのは間違いない。 |




