就職・雇用・教育

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ ]

愛子様の通われる学習院で学級崩壊があったらしい。

愛子様のクラスとは違うクラスの子らしいが、学内では有名な子らしく保護者会でも昨年来より議題になっていたそうだ。

名門小学校学習院の学級崩壊の意味は大変、重くショッキングだ。
多くのプログは皇室問題と絡めて言及しているので、その方面は他のプログに譲り、当プログは学級崩壊について言及したいと思う。
が、先に結論を言うと学力不足による学級崩壊でなく、どうも他者への思いやり不足が原因の学級崩壊である事が、各種報道で分かってきた。

ところで、教育問題はこのプログを開設した動機の一つでもある。
その初心は忘れず、常に意識した記事構成にしているつもりだ。
ところで本篇の記事は現在、止まっているが当初の目論みでは、もう終えてしまえる状態である。
なぜ?記事を止めたのか?

結局の所、現在の私の教育政策における提言は生き残る事に主眼がおかれた記事構成になっており、社会性(過去、記事を読む限り必要性は認めていたようだ)を身につける為の提言にはなっていなかった事に気付いたからである。
その反動で、最近の当プログ記事の主張のキーワードが、社会性不足によって生じる合成の誤謬や悪い意味でのKY、安易な自己責任論等など、つまり以前と比較し協力出来なくなった社会が現出する事によるデメリット面での言及である。
この心の問題による社会的なデメリットが個人の中で益々気になり始めているのだ。

悪い人だらけ、信用できない社会は一般に高コストになる。
グミィの農園ライフという無料のゲームがあるのだが、このゲームのミソは他人の成果を盗む事が出来るシステムを導入している点にある。
おかげで、ゲーム内の参加者は常に他人を疑い、自分の成果である農産物を盗まれないように各種工夫をする。
その工夫こそが、このゲームにおける醍醐味と運営者側が思っているようだが、これが実社会において現出したら、その社会的損失は計り知れない。

本屋が潰れる理由の第一位は万引きだそうだが、その万引き防止の為につかうコストは最終的に本の値段に跳ね返る。
万引きという、ある種、個人にとって合理的な個人の判断も、皆がやると皆が損をするのである。
犯罪を合理的な手段と言うのも気が引けるが、万引きがなくならないのは、その手段が非常に有効だからだ。
ある種、合理的思考の発露と言えなくもない。
その合理的発露の根拠は楽をする事である。
故に生産活動に携わらず、ましてその対価を払わずに、その成果を手に入れる可能性があるのであるならば、そして、
自身が捕まらない自信があれば、実に合理的な判断の結果であると言えると思う。
情けない話だ。

昨年のAIGやアメリカの各種社会コストの割高な状況を言及するなど、悪い人が多い事による社会的な不都合について記事を書いてはいたが、まずは自身が生き残るこそが大事と思い提言シリーズは始まった。
理由は派遣解雇による安易な自己責任論に苛立ちを覚え、ならば解雇された人を救うべく、その方法論を提示できないかというが最初のピュアな動機だった。
新聞批判等にも主張しているが、対策案を出さずに批判するだけの人を私は大嫌いである。
であるからこそ、安易な自己責任の根拠となっている派遣社員さんの素養不足の対策案を出したかったのだ。

安易な自己責任論はとても便利な言葉である。
おそらく失敗の原因のほとんどを、この言葉で説明できるからだ。
トランプで言うジョーカーである。
この言葉を聞いた瞬間、多くの場合は会話がSTOPするだろう。
例えば、恋愛相談(設定は悪い男性、あるいは女性を好きになった事を悩んでいる時)をしている相手に自己責任論を持ちだしたら、その会話は多くの場合において打ち切りになるハズである。
それあなたの失敗でしょうって言われ、自己責任と言われたら、対象者の多くは不満に思いながらも納得するしかない普遍性をもつ。
失敗とは回避可能な事象と説明出来るからだ。
備えあれば憂いなしというが、基本、世の中はそう説明出来る。
あらゆる事態を想定し準備できれば、失敗はしないという考え方だ。
まして人間は将来の不特定な状態、運不運に対しても、保険という手段等でリスクヘッジする生き物である。
野村監督でないが、負けに不思議な負けなしなのは間違いない。
分析すると、何らかの対策が見つかるモノである。
その対策を気付くか、気付かないかを自己責任で説明されてしまうと、多くの人は納得するしかないと思う。
私もこの点では派遣社員を責めた倒した方々の意見と同意見だ。
もし、この種の感覚が欠如した時、別の意味でモラルハザードが起きる。

自己責任論は、ある種、人間の能力格差を是認する思想であり、努力の成果としての対価、待遇格差を認める考えでもある。
平等ではないが、公平な感覚である。
もし、この感覚が欠如したら、誰も働かなくなるだろう。
努力の成果が待遇に反映されなければ、誰も働かなくなるのは自明の理だ。

残念ながら、人間の動機、モチベーションのほとんどは欲求である。
欲求のない動機はない。
自己犠牲も、そうなりたい自分がいるからこそ出来る行動と説明できる。

良い社会制度とは、人間の欲求を正の方向に導く制度であると定義したい。(高い民度があれば社会制度論議自体は無意味である事を承知で言うが)

その時代によって変化し続ける欲求を軸に社会を捉えて行くのは非常に現実的な思考である。
昨今の河野太郎氏の国母君問題に対する擁護論は、この人間の欲求を軸に捉えている。
同時に私の地方分権論議も同じだ。

ある種、この欲求を公にするのは抵抗があるのは間違いないが、人間の行動の多くは欲求で説明できると理解している。
しかし、一方でこの種の論議で忘れてはならない現実は、どんなに優れた制度にも必ず、隙間が出来る事だ。
隙間を突けば、他人より楽して成果を上げる事が出来る。
その対策を制度論に求めると、より複雑な制度が必要になり、どんな制度も隙間が必ず発生する為、その隙間を突く作業はより巧妙に、そして誰もが出来ないが故により利益が大きくなる。

このような社会には、その隙間の妥当性について議論、ジャッジする為に多くの専門家(弁護士等)と監視者(官僚組織)が必要になってくる。
当然、これらの人員の維持にはコストがかかる為、社会全体の効率がスポイルする結果になりかねない。
同時に複雑な制度になれば、なるほどその専門家たちが要求するカネは大きくなる為、ますます高コストな社会になってくる。
アメリカは当にこの負の循環の真っ最中だ。
制度が変わるというのは、その知識がないモノにとって著しい不利を与える事になる。
その情報格差によって、アメリカ人の格差は開く一方である。
AIGで巨額の報酬を得ていたアメリカ人がいた理由は、システムが複雑で誰も携わる事ができないからだと説明出来る。
だから、専門家は一般的により難しく、監視者(多くは官僚組織)は制度を複雑にする事で、より、その仕事を増やす傾向にあり、注意して皆が監視しないと、
とんでもない状態になる。(制度が複雑になった時、喜ぶのは一部の専門家と官僚組織と言われる所以)

だからこそ、制度論議の前提になる、この欲求を制御する方法論の取得が各人に必要なのだ強く思う。

なぜなら、その制度の隙間をついて社会を破滅に導きかねない動機の多くが個々の欲求によるものだからだ。
そして、この欲求を制御する方法こそが、思いやりや共感等に代表されるココロ(社会性)なのだと思う。

このココロのない世界における欲求の暴走の害悪、実害の一つの例は昨今の金融危機(AIGも含む)で見ての通りである。

現在、当プログの主題になってしまっており、記事にやや切れを感じなくなっている理由(筆者が苦しんでいる理由)は、このココロの問題を言及しようとしているからだと思っている。
ココロに対する明らかな指針は正直ない。
その定義は千差万別あり、その多様な定義に対して、私の思考結果が捻じ伏せられるのである。
当たり前と言えば当たり前だが、こう言う考え方も出来るようねって言う言葉(皆様、自分の内なる問いかけも含む)に対し、鳩山首相のようにピヨピヨしてしまうのである。
であるので、国保君問題を出来る限り、イロイロな角度でとらえ直し、記事を通じ、それぞれにおいて自己の主張を自分に問いかけ直している最中なのである。

正直、食あたり気味で、別の記事に逃げて発散する事もあるが、思考に余裕がある時は基本的に国保君問題を切り口に、日本のココロの問題を自身に問いかけ直しているのが現状である。
(やや、思考が拡散してしまい読者の皆様には御迷惑をお掛けしていますが許して下さいまし。)

ところで、この失われた精神性は、日本のストロングポイントでもある協力できる、し易い日本人の特性を壊し始めているとようだ。
トヨタ問題もそうだし、日本の民度の低くなった有権者意識もそうだ。

その根底にあるのは高い権利意識と義務の履行に対する忌避感である。

最近の社会、会社の流行り言葉は、『それ、あなたの仕事でしょう』、である。
もしくは、『私の仕事でありません』、だ。

責任感のない公務員が良く使う論法であり、たらい回しの元凶となる悪しき風潮だが、この思想が社会全体に氾濫し、日本社会全体が崩壊し始めているのである。

さて、この社会崩壊のマジックワードの根底にあるのは何であろうか?

それは他者への気遣い、共感性、思いやり等で説明できるココロ、社会性の低下だと現在、感じている。
以前の日本は、格差がないが故に、皆が率先して私の仕事ですと言っていた節がある。
また、そうする事で、自己の利益にもなっていたからだ。
所謂、世間体、評判である。

あの人、こんな事をしたのよって皆で褒め称える事で、上記、社会(組織)にとって価値ある行動に対しての動機付けになっていたと分析する。
公務員で上記行動に価値がなかったのは、おそらく民間より早く、堕落してしまった事によると思われる。
価値ある仕事をした人がいると、堕落した人は困るのである。
この場合、堕落した人は自己を変革するか、もしくは価値を上げた人の相対的な価値を落とすべく行動を開始する。
社会保険庁の例を見る限り、公務員の世界は後者になる可能性が高いのは残念なことではある。
また、公務員は所属する組織が安泰が故に、価値ある行動を認める動機付けが弱いのかもしれない。

続く

以下、内田樹先生のプログの一部をまとめたモノです。




高等教育の末路−内田樹

日本の資本主義企業の質は世界最高水準である。

日本の高等教育の質は世界最低水準である。

同じ日本人がやっていてどうしてこれだけの差が開くのか?
理由は、いろいろあるのだが、差しさわりがありすぎるので、こんなところでは申し上げられない。
「理事長・学長等会議」であるから、大学では聞けない種類の本音が漏れ聞こえる。

大学の教師の代わりに企業人に授業をやらせた方が教育効果は上がるのではないか・・・とまあ、
誰でも考えますわな。

しかし、お忙しい企業の方々に大学にきて毎週ゼミや講義をしてもらうわけにはゆかない。
だいたい出講料としてお支払いするお金がない。

そこで、e?learning の出番となる。
ビジネスマンのオフィスまでインタビューに行って、一席ぶっていただいたビデオをVOD(Video on demand) でネット配信するとか、スタジオから全国に放送してリアルタイムで双方向的ディスカッションするとか。

発信者一対受信者多数というスタイルをねらったらe?learningがいちばん効果的である。

というような諸般の事情によって教育の情報化が推進されているのである。

聞けば聞くほど、日本の高等教育は末期的であるなあ・・・との感を深くして、

重い足取りで淵野辺を後にした出口先生と私なのであった。






コメント
まぁ、しょうがないわな。

日本の資本主義企業の質は世界最高水準である。
日本の高等教育の質は世界最低水準である。

大学の存在価値って・・・。何でしょう?もしかして必要ないのか?そんな必要のない施設が、ここ10年で2倍。ハコモノ好きです。日本は。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ ]


.
K9
K9
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(11)
  • fusion
  • maybebabe234
  • みずがめ座
  • seitaisalonoasis
  • ロベルト・ジータ
  • あい
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事