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イロイロ物議をかもしました京大カンニング事件ですが、相も変わらず現象面でしか報道できないマスメディアの知の劣化は興味深いモノでありましたし、何よりその報道の結果、私的には間違った方向にいっているようで何とも言えない気分にさせられた事件でもありました。
 
以下、私なりに想ったポイントを何点か挙げたいと思います。
 
異論反論がおありと思いますが、
今回、大学側がとった『偽計業務妨害』というカンニングの刑事事件化に賛意を示す人がいる一方、少なからずの人が疑問に思ったようでもあります。
実際、京大には抗議の電話が殺到しました。
 
偽計業務妨害の法律的な意味ですが、文字通り業務の妨害です。
大相撲の八百長問題も協会が対象者を訴えれば『偽計業務妨害』で刑事事件化出来ると思います。(八百長の当事者たる協会はしないでしょうが。。。)
つまりは、限りなく民事に近い内容であり、民間で対応できないから警察で、その捜査をお願いしますという内容の趣旨でもあります。(検察に対応されたくない事は訴えない)
 
では、なぜ?学校側は今回、警察の力を借りたのでしょう。
 
残念ですがカンニング自体は大なり小なり、試験と名のついたモノにはついて回るモノと考えています。
忌避すべき行為ですが、人間は弱い生き物です。
その誘惑に勝てずカンニングする人は多数に上ると思います。
本質的には今回の事例と平等を期す事を志向するならカンニングをした人、総てを、大学側は刑事事件化すべきだったと思いますが、現実にはそうなっていません。
その意味でカンニングという行為自体は刑事事件化に相応しい重大な話ではないと感じます。
 
本来なら、警察のような外部組織が関わる様な重大事件でなく、大学自治の範囲内に任せられる類の事例だったと私個人は考えています。
その意味で大相撲の八百長と同じ程度の問題と同じ。
 
では、そんな些事を大学はなぜ?刑事事件化したのでしょうか?
一つに現行犯でカンニグの現場を抑えられなかった以上、他の機関、例えば通信会社のデータ等の調査が必要でもあり、つまり学外の協力が必要だった点も大きかったと思います。
 
そして、メディアの過熱報道の影響も大きいでしょう。
 
事件発覚から一週間、メディアは緊迫を増すリビア情勢、国会の解散含みの予算審議、ニュージランド地震等、本来、より重要度が高いニュースの報道をせず、ひたすら一私人のスキャンダルを報道し続けました。
 
何か情報の軽重が狂っているとも感じます。
報道の趣旨も当該受験生への糾弾一辺倒であり、バランスを欠く報道でもありました。
メディアのアンテナの感度が壊れ、そのメディア報道に無批判に食いつく私達に危機感を覚えます。
 
その糾弾の圧力に対応して大学側は厳正な受験システムの構築をしようとしていますが。。。
 
私はそれが間違っているとしか思えません。
この種の話は科挙の時代があるから事です。
受験監視システムの強化が相応しい対応とは思えないのです。
 
単純に新種(新しくもも何でもない行為であり十分予見できる範囲の犯行)のカンニングシステムに大学側が、世論が右往左往しただけとも感じます。
では、なぜ?私達が右往左往するとするならば、その答えは過度な学歴信仰にあるのでしょう。
 
つまり、どの大学に入学したかを重視する風潮にあるのではないかと考えます。
何を学んだのかでなく、何処に入ったか?
その私達が重要視する入るという行為の正当性に疑念を投げかけるような行為だったので世間は大いに反応したのだと思います。
 
しかし、一方でカンニング行為自体は些事です。
そのギャップがマスメディア報道の過熱という現象に現れ、本来、私達が関心と興味を持たなくてはいけない情報から遠ざけたと感じてます。
 
受験が人生の成否を決める様な幻想を抱かせる事で、受験生が狂い、回りも狂う。
 
ならば、その対応は簡単で、単純に受験に対する人生の重要度を下げれば済むと私は考えます。
つまり、入試は簡単にし、卒業を難しくすれば良いと思います。
 
入学でなく、卒業に重きを置く教育改革をしない限り、この種の問題はなくならないでしょう。
子どもの数は20年前と比較し約半数。
大学全入時代ですし、学びたいと意欲の持つ学生の門戸を閉める必要性を私は感じません。
 
確かに学んだと言う許可を出す行為にこそ付加価値を、難易度を持たせるべきと思います。
そうすれば、不正行為をして大学に入学しても卒業出来ませんし、自然淘汰されると考えます。
 
今回の事例で最も問題な事は、
大学に不正合格した学生が自然淘汰されず無事卒業できると、多くの日本人が考えている点にあります。
それは不正合格した学生の学力が例え足りなくても大学の授業が実に簡単で安易に卒業出来ると世間が考えている証左でもあります。
 
そして、その卒業という資格が就職というモノに有利という認識。
 
この認識を改めるような事をせず、単純に受験監視体制を強化して未然に防ごうとしても、不正な手段で入学する事による利益が将来にわたり過大であると受験生が、日本人が考え続ける以上、この種の話は終わりがないと感じますし、その事実は受験にさえ受かれば良いという実に間違った認識を私達に抱け続けさせる結果にもなります。
 
冒頭のコトバを繰り返しますが、間違った方向にいっているようで何とも言えない気分にさせられます。

『雇い兵』?

リビア アフリカ人雇い兵が市民殺りく カダフィ政権投入

毎日新聞 2月23日(水)21時4分配信
 
 
「これがアフリカ人雇い兵だ」。国境の町イムサードで出会った若者は、携帯電話で撮影した動画を見せてくれた。頭から血を流し、地面に横たわって動かない黒人に見える男が映っている。

 
この記事を切っ掛けに時事、国際ニュース、産経系ウェブ・・・、そして読売新聞の朝刊。
『雇い兵』という表記が現在、混迷を深めるリビア情勢の報道と伴に日本に溢れている。
2/23に検索した時はほとんどヒットしなかった、このコトバが、今やヒットし放題である。
 
本来、このコトバは傭兵だったと思う。
『雇い兵』をWEB検索すると、もしかして傭兵と聞き返してくるので、
この『雇い兵』なるコトバは、最近になって派生したコトバでないかと推測する。
実際、『傭兵』は辞書にあるが、『雇い兵』は辞書に載っていない。
 
では、なぜ?『雇い兵』なるコトバが派生したのだろう。
(雇い兵』なるコトバが以前からあった可能性は除外(笑))
 
『雇い』に着目して調べてみると、以下の用法が確認された。
『雇い止め』、『お雇い外国人』、『日雇い』、『雇いいれる』、『雇い主』。。。
 
これらの用法がある以上、『雇い兵』なるコトバも日本語的にはありなんだろう。
しかし、『雇い兵』自体が辞書にない以上、今回のリビア報道に関して新聞記者さんが新たに作りだした造語の一種なのは間違いない。
間違いないのだが、何ともチープだ。
 
従来ないコトバを造る造語に私は違和感を感じない。
が、従来あるコトバがあるにも関わらず、コトバを知らない事で生まれる造語には違和感を感じてしまう。
 
歴史を読めば、傭兵なるコトバはところどころで出てくる。
奴隷王朝など傭兵が創った王朝であるし、彼らの活躍は歴史に大きな影響を与えている。
 
伝統的な戦闘形態が個人戦から集団戦へと変化し始めた時に傭兵が現れている。
国民兵が現れるフランス革命が起きるまで傭兵の活躍と歴史は非常に密な関係にあった。
 
従って、その時代の歴史を日本語で学んでいれば、知っているハズのコトバでもある。
 
その重要なコトバを彼ら新聞記者は知らないようなのだ。
 
最も、これだけ日本に氾濫してしまうと、分かり易さを優先しメディアが意識的に使っている可能性もある。
あるのだが、最初の切っ掛けを作った記者は果たして、どうだったのだろうか?
わざわざ造語を作った理由が彼にあるのだろうか?
 
彼らモノ書きたる新聞記者(知識人)が歴史を知らない可能性を、私はこの出来ごとから感じてしまう。
他の記事もそうなのだが中身が薄いのだ。
 
 
歴史の積み上げ、背景を感じさせない記事が日本に溢れている。
そして、その軽薄な記事を日本人の多くは信頼している。
 
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言うが、
歴史を知らない、学ぶ気のない新聞記者(知識人)の書いた記事により日本の世論が、どのように左右されるだろう?
 
私達は愚かだ。
 

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先ほど、御友達の記事に触発されてと書きましたが、実は触発されたのはこの記事です。
 
鳥、鳥、鳥。
 
この記事を読んだとき、大相撲の抱える悩みを思い浮かべ、記事を書いていましたが、つい横道にそれてしまい先の記事 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/27240020.htmlに結実してます。
如何にも私らしい主観(感想を述べただけ)のこもった記事でしたが、この記事は私らしくシニカルに書きたいと思います。
 
ところで、一連の相撲関連の不祥事の根本とは何だかと問いかけた時、ありていに言えば一言。
競技人口の少なさに起因していると思っています。
 
皆さん見るのは好きですが、相撲はしないと思います。
学生時代に戯れ程度に遊ぶかもしれませんが、大人になって相撲をとる方は非常に少ないと存じます。
そんな部外者達が、あーせーい、こーせーい、感想を述べるだけでなく、それを強制する。
そこにある種のエゴを感じてしまいます。
 
以前、書いた記事、
社会に関心持つと良いよね。農大教授の独白(?)
 
その記事において、農大の教授は以下のように呻いています。
 
誰かが悪い
 
と悪をなすりつけ、
知る努力をもせず、求めるばかりの消費者という名の虚像が放つエゴが真の悪だ。
 
 
無農薬野菜は好きだけど、無農薬野菜を作らないと同義でしょうか?
はたまた、評論家諸氏がモノ作りの大事さを訴えるが、自らがモノを作らないのとも同じ話とも感じます。
 
自分がやるのは嫌だけど、他人にお願いしたい。
 
そう私もその一員です。
それを知るからこそ、八百長問題に関して相撲記事を書きませんでした。
 
正直、私は自ら角界に入ろうと思いません。
自分にその能力がないのも一因かもしれませんが、他に魅力的な世界があると感じているからです。
過去、大相撲についてイロイロ書きはしましたが、今回の八百長に関しては私のエゴ。
一生懸命が見たいと言うエゴが強く、その想いを書く事が憚れたからです。
 
大相撲に一生懸命が失われつつある理由。
そこに現在の日本を重ねてしまいます。
 
自己の可能性を信じない(努力を放棄する)子どもたち
もっと努力を評価すべきでは?
大学生の学力低下に想うー内田樹先生記事抜粋
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/12720298.html
 
 
 
プロ友の水がめ座さんは『鳥、鳥、鳥』の記事中、領土問題に関して以下のように語っています。
 
疑問がある。
「もし」であるが、ロシアが善に目覚めて、突然「千島列島の全ての島と、樺太と、シベリアの東海岸は日本が平和的に開発し自分の領土としたものだから、すべてお返しします」と言ったとしよう。
 
多くの日本人は、提灯行列でもやって喜ぶのだろうが、それではあの極寒の島と、冬にはマイナス30度になる樺太・シベリアへ開発のためによろこんで行く日本人が何人いるだろうか?
 
最初は嬉しさと興奮で頑張るだろうが、数年すればホトンドの移住者は帰ってくるのではないか。
 
 
日本には今でも多くの離島があるが、全部の島で人口減少に苦しんでいる。数十年後には多くの島は無人島になる。
それどころか日本全体で2050年には人口は一億人、2100年には人口は4.000万人。この調子で行けば、250年後には最後の日本人が列島に残されることになる。
 
今ある多くの日本領の島では、人口流出に悩んでいるのだ。
そして大学生は、大きな安定した会社へ入りたがっている。
まちがってもシベリアや、樺太へ魚を取りに行かないだろう。
 
領土が帰ってきたとして
誰が千島列島や、樺太を開発し、そこに住み、家族を作り、学校を作りるのだろうか。
 
イメージ 3
 
「日本を守れ」とのデモ行進だ。それは良い。守るべきだ。
しかし、誰も住んでいない、漁師も行かない、一切の開発が行われていない無人の島。日本人が島に上陸することすら禁じられている。
それでもはたして領土と呼べるだろうか?
日本人が一人もいない無人の島を守る?何のために?先祖が昔、苦労して開発したからか?
 
 
それなら日本中に何千という限界集落がある。数年後には廃墟、廃村となる。それは守らなくて良いのか?朽ち果てるままで良いのか?
 
 
転載終わり。
 
 
同様な感覚が大相撲にもあります。
日本人が離島に住みたがらないように、日本人の多くは大相撲をやりたがりません。
相撲に一生懸命でなくても淘汰されないのは、角界に入る日本人の質が低下しているからかもしれません。
もしくは、日本人自体が一生懸命に価値を見出さなくなっているかも知れません。
 
費用対効果。
努力の費用対効果を鑑みた時、大相撲より魅力的な世界は多々あります。
私を含む多くの日本人が費用対効果を鑑みて行動する以上、相撲界は益々、衰退して行く様な気がします。
 
他のスポーツと比較して大相撲の給与が同じか上回っていた時代。
大相撲は栄えていたと思います。
しかし、グローバル化した時代、他の競合スポーツと比較され、かつ、横綱にイチローのようなサラリーを出せなくなった時から、大相撲の質的低下は止む得なくなっているのかもしれません。
 
強い日本人力士が少なくなったのは、単純な話です。
そして強い力士を求めて、日本の伝統文化を知らない外国人にそれを求め始めてから、相撲の方向性が定まらなくなってきました。
私の様に大相撲に一生懸命を求めるのなら、年6場所は多過ぎるかもしれませんし、地方巡業も多過ぎるかもしれません。
が、一方で商業主義に走らないと、大相撲が魅力的に映る様な給与を相撲関係者に示す事が出来きそうにありません。
 
先代の若乃花(二子山親方)は、力士を励ますため『土俵にはカネが埋まっている』とも言ったそうです。力士の多くは豊かな生活を夢見て相撲生活を送ります。
そして懸命に稽古します。
それは私達も同じです。
しかし、他職業に、より簡単で、より安全にリスクを負わず豊かになる手段があったとしたら・・・
 
日本の限界集落問題や離島、それと同じ軸線上に大相撲の悩みの深さを感じてしまいます。
これは日本のイロイロな諸問題に通じる気もしますが、
 
以下、『鳥、鳥、鳥』より
人間、明日のことなんか分からず今日を生きているのだから、当たり前といえば、当たり前の話だ。
何となく分かったような顔をして、テキトーなことをしゃべるのが上手い人が、「評論家」とか「進歩的文化人」になる。
 
小生、「進歩的」でもなければ「文化人」でもないのである。もっともそんなことは、ワザワザ宣言しなくとも誰でも知っている。
 
 
私も同じですので、その辺の難しい事は関係者に丸投げしたいです。
というわけで、私は相撲界の消費者たる立場も合わせて放棄する事にするとします。
私には相撲について何かを言う権利はないのでしょう。
残念ですがそんな気がします。
気がしますが、想ってしまいます。
ただ、自分のエゴを知るが故に、
この記事をもって基本的に相撲に関して発言するのは控えたいと思っています。
安芸の島関の頑張り、現、高田川親方の頑張りを知るが故に複雑ですが、自分のエゴが出てしまうが故に発言を控えたいと思います。
 

大相撲八百長問題

大相撲が八百長問題に揺れている。
最も、私は、今のメッキの剥げた大相撲に興味がない。
昨年の朝青竜、それに続く賭博問題、協会側の対応にほとほと失望していたからだ。
その場しのぎの対応にウンザリ気味である。
そして、どうやら今回もトカゲのしっぽ切りで終わりそうだ。
 
本来なら、記事自体を書く事自体が憚れるのだが、御友達プロガーが書いた記事を読み、それに触発されて記事を書こうと思う。
 
記事を書く前に自分と相撲の関わりについて簡単に書くと、個人的には相撲について詳しい部類とは思っている。
幕内力士を総て暗記できるほど相撲を見ていた時代があったからだ。
そして、将来有望な若手下位力士を見つけ応援するのが好きだった。
その中でも益荒男と安芸の島が好きだった。
(他には寺尾と小錦の取り組みも好きだった。あの寺尾の頑張りに応援していた。)
 
双方、伴に一芸に秀でている。
一芸と言うと何かの業みたいに感じるが、強いのだが弱いのだがわからないのだ。
 
益荒男は十両最多優勝の実績が示す通り、下位にいる時は強いのだが、幕内上位に上がると弱く格上にはまったく歯が立たなかった。そして、十両最多優勝の名に恥じず、何度も十両へ転落し格下には無類の強さを発揮していた。
逆に安芸の島は最多金星(大関、関脇、小結、所謂、三役以外で横綱から勝つと貰える弱者(?)の勲章)の名が示す通り、強い人には、その相撲が通じるのだが、なぜか格下からの取りこぼしが多く、関脇、小結にも中々定着出来なかった。格下に弱いのだが、なぜか全盛期の巨体力士、小錦に強くバッタバッタ倒していたのが印象的でもあった。小錦の苦手意識を感じる取り組みは見ていて非常に面白く感じたモンである。
 
が、安芸の島が2003年に引退して以降、相撲に興味と関心を持てなくなっている。
面白い取り組み、力士が少なくなったと感じるからだ。
何か作られた感を感じる力士だらけになったように感じてしまう。
これは個人の主観であるので仕方がないのだが、土俵から一生懸命を感じる力士が少なくなったような気がする。(まぁ、日本人自体が努力に否定的になったから、当たり前なのだが。。。)
 
私はスポーツ全般が好きだ。
寿命が短く、競争が激しい故に、密度が一般社会と比較にならないほどスポーツの世界は濃く感じる。
その濃さに感動を覚え、華やかな世界と、それを支える底辺を想い、その見えない努力、一生懸命に想いする。
 
勝負という一瞬の境目に、その人の一生懸命が凝縮した瞬間に、得体の知れないカルタシスを覚える。
 
例えムダでも、私は一生懸命に強い感動を覚える。
囲碁、将棋、歩く事、走る事、泳ぐ事、山を登る行為、柔道、剣道、スポーツだけではない趣味(アニメ、漫画、盆栽、演芸、園芸、、、)と呼ばれる世界全般の一生懸命に感動を覚える人は多いと思う。
 
その延長線で想いのこもったプログ記事にも強い関心を覚える。
特に伝えたいという想いのこもったプログ記事にだ。
 
無意味な事でも何か一生懸命に感動を覚える瞬間があると思うが、私は一所懸命が結実する仕合せな瞬間(その喜びを見るのが好き)を見たいだけかもしれない。
だが、その一生懸命が報われるとは限らない、それが人生とも思う。
そして、そこに自分の人生を重ねているのかもしれない。
 
 
ところで、今回の八百長問題、その一生懸命に疑問符が付く出来事だった。
しかも、金銭の授受の伴なった八百長である。
自分の生活を守る事を、利益を受ける事を目的とした金銭授受。
談合である。
今の所、相撲協会の内部問題であり、刑事問題に発展し難いが、警察は八百長と相撲賭博問題をセットに捜査を続けている。
刑事事件に発展をする可能性をもった事件でもある。
非常に生々しい話だ。
 
 
一般的に関係者が互いに賄賂を贈る事で、互いに、その地位を維持し始めたら、多くの場合、その世界の質は落ちるだろう。
大相撲は興業だから、八百長も是とする意見もあるが、それならば歌舞伎やプロレスを見れば良く、そして何より興業という中の八百長に彼らは一生懸命になっている。
 
今回の大相撲の八百長に一生懸命はあるのだろうか?
一応、ばれない程度の努力はしているが、目的の方向性が間違っているのは言うまでもないだろう。
俳優のウソや歌舞伎のウソ、そこに一生懸命を感じるが、大相撲の八百長に一生懸命があるのだろうか?
その一生懸命と大相撲の八百長。
比較されたら、おそらく、その業界の人達は怒るだろう。
 
懸命に頑張らなくても良いとい言う相撲ファンもいるだろう。
が、私は関係者が一生懸命になるからこそ、そこに輝き、価値を見出す。
 
一生懸命=情熱、パッション。
芸術品に迫力を感じる時がある。
あれに情熱という名の一生懸命を感じるからだ。
 
モノ作りに携わって思うのだが、設計、開発にも情熱がある。
その数値に真剣さがあり、その真剣さのやり取りに八百長はない。
もし、八百長があったら、私は失職しているだろうし、今の地位にいないだろう。
一生懸命故に、己に自負があるからこそ、誇りがある。
 
努力の感じない、誇りの感じない八百長に私は興奮を覚えない。
故に暫く大相撲を見ないだろう。
個人の主観で言うなら他の一生懸命、将棋の方が余程、私は面白く感じる。
あの張りつめた空間に、一方の日々の一生懸命を一方的に否定する勝負の非情さに、カルタシスを覚える。
 
一生懸命に価値を見出すのは日本の伝統文化だったと思う。
逆に強制しているぐらいだった。
懸命に生きるから、価値が生まれる事もある。
そこに価値があると感じる人もいるから木戸銭を払うのである。
 
俺、何ちゃって東大生、こんなにバカなのに高学歴だと自慢する御人が最近、増えたが、効率を重視するあまり、日本人は何かを忘れてしまったのかもしれない。
その延長線上に大相撲の八百長問題を感じる。
日本人が努力を否定し、安易な道に流れ始めた結果、その影響を相撲界も受けているのかもしれない。
彼らも日本人なんだから。
 
ところで、私の大好きな安芸の島は八百長問題について、こうコメントしたそうである。
「命をかけてきた者からいえば信じられない。八百長に関わった奴は腹を切って死んでもらいたい」と。
 
何だかんで言っても、安芸の島が相撲に携わる限り、私は私の主観で大相撲を眺め続けるかもしれない。
 
相撲界ガンバレ。
 
 
自己の可能性を信じない(努力を放棄する)子どもたち
もっと努力を評価すべきでは?
大学生の学力低下に想うー内田樹先生記事抜粋
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/12720298.html
 
 
 
日本の報道ではアラブ社会、そして、中国やロシアへの影響と伴に語れられるエジプト情勢だが、実は先進国ほど影響が強いかもしれない可能性を私達は見逃していないだろうか?
 
日本の報道はひらすら、受け身だ。
一方、欧米のメディアの視点は違う。
 
明らかに自国への影響を考慮して報道している。
そして、その影響の視点が違うのは一目瞭然だ。
 
だから、ネット英雄の登場を欧米メディアは報道する。
一方、日本は報道しない。
 
この差は何処から来ているのだろう?
 
日本の報道は実に定型的な報道に終始しており、精々、政治空白による宗教勢力の勢力伸長への懸念と、主に日本の経済面への影響程度だ。
 
実にリテラシーが低い報道である。
 
今回、キーになった一つの要因はワーイル・グネイム氏の登場だろう。
もっと驚きをもって報道しても良いはずだが、今迄のところ日本の大手マスメディアの動きは非常に遅い。
 
これらから導き出せる点として興味深いのは、ネット世界から英雄、指導者が誕生する可能性への示唆である。
 
その点でネット環境が整った途上国より先進国の方がより示唆的であった思う。
 
確かに今回の反政府デモの動機は、日本等の先進国ではあり得ないが、ネット世界からの英雄の誕生は、発言の自由も含むネット環境が整った先進国ほどあり得る事である。
 
指導者の誕生。
実際、欧米メディアではネット世界を背景に、その世界のオピニオンリーダーのようなプロガーが誕生しているが、それが仮想空間から現実世界、政治の世界へ波及し始めた端緒と見てよいだろう。
 
日本でも三橋氏を代表格として素人政治家、経済家が発言力を増している。
私が昨夏の参院選で三橋氏を注目したのは、そう言った理由である。
 
が、残念ながら(氏の実力を私は買っていないが)氏は落選してしまった。
未だ日本のネット世界による現実世界へ影響力は限定的であるかもしれない。
 
一方でネットを利用した潮流が生まれつつあるのは間違いない。
 
尖閣における顔を知らない意識連帯。
それは現実に結びつき、一般の人達による政治デモへと発展した。
 
それ以上に、盛んに行なわれているのが、小沢氏擁護の政治デモである。
昨年の10月以降継続して数百人〜数千人規模のデモが行なわれているのだが大手メディアは一切、その動きを黙殺している。
 
小沢氏への支持表明だけでなく、検察や大手メディアへの批判も多分に含まれているから、余計に報道しないだろうが、この新しい情報伝達手段を利用した連帯意識の強化の潮流は、今後も続くと思われる。
 
 
ネット新党なる政党、もしくは指導者があらわれるかもしれない。
が、彼らは現実社会(組織)で揉まれていない、つまりは旧来日本社会の洗礼を受けていない指導者達だ。
これまでは日本的なシステムの中で指導者の選別が行なわれて来ていたが、これからは別枠の中で指導者が出てくるかもしれないのである。
 
組織をバックとしない大衆の支持を強く受けた政治指導者の誕生。
実際、今の政治家は組織より大衆に、その意識を向け始めている。
しかし、彼らのよって立つ地盤は組織である。
故に限界がある。
その限界を、楔を断とうとしているのが、名古屋の動きであり、大阪なんだろう。
 
 
端的に今の日本の政治状況は組織によって選択されている政治指導者の能力不足から来ている可能性もある。
そいった共通認識の基、これから生まれてくる政治指導者は熱烈な支持を受ける可能性がある。
 
組織に支持されていないが故に彼らは既得権益とかしてしまった日本の組織を躊躇なく壊すかもしれない。
それによって日本は何を失うのだろう。
 
時代は混沌として行く。
小泉氏が登場しなければ、もう10年早かった日本の変革、混迷。
 
 
 
政権交代前、民主党のマニフェスト読んだ瞬間に感じた混迷の時代への予感が確信に近いモノ変わりつつある。
 
 
 
民主党代表選、勝者なき混迷の時代への予感
組織票の敗北、民意の勝利

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