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表層的には民衆の勝利と喧伝されるかもしれないが、エジプトのムバラク大統領が辞任した。
軍がムバラク大統領を支持するとの報道がなされた直後の辞任劇である。
急転直下。
動きが非常に早い。
エジプト情勢が動き始めたのは、現地時間で2/7以降だろう。
”ネット英雄グネイム氏”の登場(現地時間2/7に解放、日本時間では2/8)は、抗議デモに疑問を持ち始めていた民衆に新たなエネルギーを与える事になった。
さて、鎮静化を見せ始めていたエジプト情勢がグネイム氏の登場により再点火し、逆にこれまで以上に激しさを増したのを(デモに参加する質も変化、別記事で記述)、見て動き始めた勢力がいる。
アメリカだ。
口先介入を止めて本気で影響力を行使したようである。
アメリカが望むのは、エジプトの混迷でなく、エジプトの安定、かつ親イスラエル政権の維持である。
デモが鎮静化を見せ始めた〜2/7までは静観していたが、情勢を分析したアメリカが積極的に水面下で関与し始めたようなのだ。
このアメリカの動きに対しムバラク大統領が反応したのが先の即時辞任否定とアメリカへの抗議演説である。
が、結局、その翌日に辞任する事になってしまった。
アメリカとしてはソフトランディングをしたいのである。
デモの長期化による騒乱は避けたかったのだろう。
エジプト国民が頑張れば、頑張るほど、他の国(アラブ世界の親米国家の多くは独裁政権)への波及効果も大きく、直ぐにでも鎮静化させたいのがアメリカの偽らざる本音だ。
さて、アメリカの圧力に対し軍部が対応した結果、ムバラク大統領の辞任につながったようだが、本質的にはムバラク大統領=軍である。
日本では、その背景を無視して、30年続くムバラク独裁政権と報道するが、実質的にナセルが軍事クーデターを起こした1953年から約60年続く軍部独裁政権だ。
その代表者がムバラクであるに過ぎない。
故に軍上層部はムバラクを支持し続けたのだが、それを疑問と思う軍上層部以外と二分化し始めており、民衆の声、アメリカの圧力+軍の分裂を憂慮した結果、軍がムバラクの退陣=自身の退陣の判断をしたと思われる。
思えば、エジプトの軍(=ナセル、サダト、ムバラク)は彼らなりに国を想い改革をし続けて来た。
アラブの大義を掲げ、スエズ運河を国有化し、イスラエルとも戦い続け(第一次〜大四次、エジプトがイスラエル協調路線に傾いて以降、中東戦争は起きていない)、それが国内の疲弊に繋がっていると判断すれば、それを柔軟な思考で変えて見せ、キャンプ・デービッド合意したりと、軍なりに常にエジプトの事を考え行動して来た。
イスラエルと早期に講和し、安定させる事でエジプトを経済成長させようと構想した結果、米ソ両大国を巻き込む為に第四次中東戦争さえも起こす程、強かでもある。
その過程でエジプトは米ソ両大国の間を上手く浮遊している。
軍のエジプトの繁栄に対する想いは強いようである。
国家の中心は軍であり、軍がエジプトを牽引していた。
その自負と誇り。
そこがチュニジアとの違いだが、最後はエジプトの大義の為に、軍は身を引いたようである。
(軍上層部が場合によると形だけの妥協をし、巻き返しを図っている可能性もあるかもしれない。が、それを将校達が許すかは不明、軍が一枚岩でない以上、エジプトのこれ以上の混乱を避けるべく、将軍たちが身を引いたと個人的に分析。)
上記事情を反映してかエジプト国民の軍への信頼度は非常に高い。
冒頭、表層的には民衆の勝利であると記述したが、背景にはアメリカの圧力があり、それを受けエジプトの大義の為に判断した軍がいる。
この軍の存在が混乱しながらも、エジプトに一定の安心感を与えている。
軍はムバラク大統領の威厳ある退陣を望んだ。
それは自らの威厳ある退陣でもある。
昨日、新たなステージにエジプト情勢が突入したと記事を書きながら、今日は次の段階に突入したようである。
今後の焦点はエジプト支え続けて来た軍の退陣後だが。。。、それは別記事で論じたいと思う。
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無題
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エジプト情勢が俄然動き始めた。
一時、デモ鎮静化に伴い証券市場や銀行、商店等も、カイロ市内で開店したが、今はクローズしている。
今週の月曜日、2/7までは間違いなく終息方向だったにも関わらずだ。
どうも、ここ数日で、
エジプト情勢は新たなステージに突入したようである。
当初、エジプトのデモは何の政治勢力も絡まない大衆の自発的な声。
日々の生活への不満から起きたモノであった。
同時に群衆による同時多発的に起きたデモである為、全体を束ねる指導者が無く、その方向性を失い失速気味でもあった。
生活出来ないほどの状態でない為、生活不満が理由であるが故に生きる為に生業に戻ると予想していたが、ここに来て様相が変わってきている。(政府も上手く、デモによる経済失速不利益を喧伝していた)
デモ当初、生活不満が原動力であるが故、その影響力も限定的であり、サウジ等のもっとも抑圧的で豊かなアラブ諸国には波及せず、生活不満の強い中国等(イランも含む)の国への影響の方がむしろ、強いと私は考えていた。
実際、中国は影響の波及を警戒しエジプト情勢をホボ遮断している。
が、今や、本当にアラブ世界に影響を与えそうな勢いである。
さて、鎮火しかけていたエジプト情勢がなぜ?再点火したのだろう。
どうも大衆の中から指導者が生まれつあるようなのである。
ワーイル・グネイム氏、今や、エジプト市民の反政府運動の代表的な人物の1人となりつつある。
同氏は今回の抗議活動初期にインターネットを通して市民活動を支援したため、エジプト政府に身柄を拘束されていた(1月27日〜2月7日)。
同氏がエジプト市民の心を揺さぶっているのは、支援により身柄を拘束されたからだけではない。
釈放された後、同氏は出演したテレビのインタビュー番組で、一連の反政府運動で市民に死者が出たことを聞かされ、「犠牲者の父母たちに申し訳ないと伝えたい。でも私の過ちではない。これは、権力を握り、それにしがみつこうとした連中のあやまちだ」
と涙ながらに語った事にある。
このゴネム氏の素直な心境の吐露が、デモ疲れしたエジプト市民に強い共感を呼んだのだ。
テレビ・インタービューにおけるゴネム氏の言葉と涙は、抗議活動が長引く中で疲弊していくエジプト経済と日々の暮らしの中で、疑問が生じ始めていた反政府運動の連帯意識に、新たなエネルギーを注ぎ込んだのである。
2月8日付けロイター通信はこの点について、エジプトのウェブサイトに、「ゴネム氏の涙は何百万人もの国民の心を動かし、彼らの政府に対する考えを変えた」とのコメントをしている。
さて、ここに正義が生まれつつある。
但し、力のなき正義だ。
生活不満だけを訴えるのでは正義は弱いだろう。
が、ゴネム氏の涙には正義を感じざる終えない。
その結果、権力を保持し続けるムバラク大統領への批判が強くなったの間違いない。
そして、増え続ける死傷者(死者300名超)は益々、その正義の裏付けになるだろう。
が、彼らの正義には力がない。
正義なき力は無力である。
その多くは混乱を呼ぶだけであろう。
にも関わらず、世界が注目し、政権側はその扱いに憂慮している。
力の在りか。
軍は中立を表明しているが、地方ではデモ隊に暴力をふるう警察に対し、黙認した話もある一方で、政府擁護デモ隊が反政府デモ隊を襲うのを止めたりしている。
彼らの真意は何処にあるのだろう。
そして、ムバラク政権は失いつつある正義を確保するのに懸命だ。
正義なき力の行使は暴力である。
その力の行使に政権側が躊躇している状況。
これが新時代なんだろう。
以前なら、躊躇なく弾圧していたデモを力で制圧できない。
《プラハの春や天安門等、その事例は枚挙につきない》
この正義の新しい発露が新時代の息吹なのかもしれないが、さて。。。
大衆の声なき声が力になり得る時、世界は変わるのかもしれない。
エジプト情勢が俄然動き始めた。
今後のエジプト情勢は、中東だけの事象で終わらない可能性を、広がりを見せ始めている。
そして、デモによる長期化はどちらも望まないだろう。
存外、終局は近いような気がする。
エジプト情勢が気になる。
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"イギリスのキャメロン首相は、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが相次いでいることを念頭に、「イギリスでの多文化主義は失敗した」と訪問先のドイツで行った講演の中で発言をした。
「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化がお互いに干渉せず、主流文化からも距離をおいて存在することを推奨してきました。そうした、いわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と正反対の行動をとることすら許容してきました」 「イギリスでのこうした多文化主義は失敗した」とした上で、異なる価値観を無批判に受け入れる「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観を積極的に推進する「真のリベラル社会」を目指すべきだとも発言しているのだが。。。
どうも、(イスラム系)移民のイギリス社会への同化が、「多文化主義」によって妨げられた事で、各種社会不安(不機嫌な社会)が発生したという認識に立ち、今回、キャメロン氏は発言したようである。
ところで表題の多文化主義という意味だが、、
異なる文化を持つ集団が存在する社会において、それぞれの集団が「対等な立場で」扱われるべきだという考え方または政策であるとwikiでは説明されており、
起源としては、
英語とフランス語を念頭に二言語及び二文化によって構成された社会であると定義、認識し、その認識の基、諸政策を実施すべきとカナダで提唱した事を起源とした、割と新しいコトバ(1970年前後)でもある。
多文化主義を実施している主な国としてはアメリカ、イギリス、ドイツ、スウェーデン、インド・・・etc等が、この考え方を導入しているが、その内の二カ国、イギリスのキャメロン首相とドイツのメルケル首相(メルケル首相自体は2004年にも同種の発言をしているので初めてではない)が今回『多文化主義は失敗だった』と相次いで明言したのである。
(先行組ではオランダ、ベルギーが見直し着手済み、特にベルギーは。。。)
で、多文化主義に代わり、基軸とするのは、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観を積極的に推進する「真のリベラル社会」、、、、
まるでサンデル教授の唱える正義(脱キリスト)のようである。
文化によらない基軸を添えるなら、文明の摩擦を避ける意味で無味無臭な公平(自由の暴走を抑える為に正義を語る)を基軸にするしかなく、それを普遍の正義にする事で文明の摩擦の回避をしようとするわけである。
もしくは単一文化主義的な政策に移行しつつあるベルギーやオランダのような方法だ。
伝統文化(キリスト社会)の根付いた欧州と移民国家、アメリカでは、また、様相が変わってくるが、それでもサンデルさんが『正義とは?』っと問いかける背景に欧州におけるような同種の悩みの存在を私は考えざる終えない。
「近代における政治的意図のもとに想像(創造)された国民文化という宗教」に代わる何かを世界は求め始めているのかもしれない。
だからサンデルさんの授業が拍手喝さいされるのだろう。
そして、その思想は、そのまま、世界市民へと続く道筋に思えて仕方ない。
フラット化する世界。
当に世界市民的な発想こそがサンデルさんなんだろうが・・・
何か間違った方向、不機嫌になる方向に向かおうとしている気がするが、どうなんだろうか?
それとも、世界市民が正解なんだろうか?
岐路に立っているような気がするのは私だけではないと思うが如何であろうか?
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フレディさんからの転載です。
高福祉≠仕合せでない可能性の提示です。
転載開始。
福祉国家信者達が必ず持ち出すのが、所謂「北欧信仰」なかでもスウェーデンです。
「スウェーデンは税金は高いが、各種社会保障は充実していて医療もタダで教育も大学までタダで、老後も全て国が面倒をみてくれ、街並みは美しく整備され子供達の笑いが溢れて犯罪は皆無の素晴らしい理想国家」 武田龍夫『福祉国家の闘い』(中公新書)という本があります。 この本にはスウェーデンの現実 (本当の素顔) が豊富な資料と体験に基づいて明らかにされてます。 それによれば、充実した社会保障を誇る福祉国家スウェーデンの闇は相当なものだそうです。 →自殺者は毎年ほぼ2000人で、そのうち4分の1の4〜500人が15〜29歳である。 →自殺よりもさらに深刻なのが、各種の犯罪。刑法犯の数のここ数年の平均は日本が170万件、スウェーデンは100万件。 当たり前ですが、日本の人口はスウェーデンの2倍ではありません、17倍です。更に、人口10万人あたりで、強姦事件が日本の20倍以上で、強盗は100倍以上。銀行強盗や商店強盗も多発している。人口10万人あたりの平均犯罪数は、日本の7倍、米国の4倍。まさに犯罪王国(笑) 著者は、こうした戦慄が走る恐ろしい現実の背後にあるのが、家庭の崩壊であると主張してます。 スウェーデンでは結婚は契約の一つであり、離婚はたんなる契約の解除や破棄でしかなく、それこそ日常茶飯事。離婚率は50%に達し、二組に一組が離婚し、夫婦間には、思いやりとか譲歩とか協力とか尊敬といった感情はまず皆無だそうです(恐) スウェーデンでは、年収の3分の2を税金で徴収されますが、これがスウェーデンの高福祉を支えているんですね。所得の約32%を納める地方所得税から始まり、これは収入が少ない人でも免除されない。さらには、国税として、年収360万円までは免除されますが、それを超える年収540万円までは20%、それ以上なら25%もかかりる。さらに日本でいう消費税が日常生活の中から徴収されます。(笑) 当然に物価は高い。 さらに、膨らむ医療サービスコストの見直しを実施していて、その削減項目案は1000件を超えるとか。たとえば、ストックホルム大学病院併設の「外来救急」では、救急車で搬送される患者以外は受容れしないことになった。初回で一定額を払えば誰でも診療を受けれることになっているが、医師や看護婦不足でなかなか順番が回ってこなくて、数時間待たされるのは当たり前とか(笑) 実際、医師や看護師の不足はスウェーデン医療の深刻な問題であり、それに追い打ちを掛けたのが、、削減項目が1000を超える医療サービスコストの見直しというわけですね。一部の総合病院なんかでは、入院病棟のベッド数が3分の1〜2分の1まで削減されたり、先に書いたように、外来救急は救急車搬送の患者以外を受け容れなくなったとか、実態は国民全てに行き届いた医療とはほど遠い現実ですねこれは(笑) エビアンのミネラルウォーターは240円もします。 ああ、忘れてましたが、国税、地方所得税、消費税の他に、 さらには追い討ちで年金、医療保険、失業保険、介護保険などの社会保険料が7%徴収されます。こんな容赦ない取り立てのお陰で、スウェーデンの国民負担率は、2007年で64.8%にも達します(笑)堂々巡の世界第二位(笑) 若い内から独り立ちを余儀なくされ、鬼のような高い税金を毟りとられ、結婚はただの契約、男女平等などでは実はなく、女性の賃金は男性より三割は低い、老人になってからは、老人ホームに入るしかない(笑) 「若い内は海外にでて老人になったらスウェーデンに戻れ」なんて言われてるみたいですね(笑) スウェーデンは世界有数の武器輸出国でもある、「死の商人 」をやってます。 普通に考えみても、スウェーデンみたいな国には住みたくないし、経済規模も人口も違う日本に、スウェーデンモデルをそのまんま移植できるわけない。日本とスウェーデンの経済成長率一パーセントは全く違うし(笑) どれだけ馬鹿なんだよ福祉国家信者達は (笑) 転載終わり。
アメリカ型の政治も人心を荒廃させますが、高福祉を行なっても人心が荒廃するかもしれませんね。
特に北欧諸国の場合、家族が社会に果たす役割の限界、存在感の希薄感を感じます。
子育て、老後。。。
家族で負っていた諸機能を社会に移譲した結果、家族の機能不全を招いた可能性を考えてしまいます。
高校無償化(子ども手当)について 1
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23990077.html 高校無償化(子ども手当)について 2 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23990106.html 高校無償化(子ども手当)について 3 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24025579.html 権利と義務、そのバラスとは・・・ 子ども手当の4 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/24026142.html にて民主党の政策を批判しましたが、 『子ども手当』の社会で子育てを行なうと言う理念が、家族の一層の機能低下を呼び起こす可能性を私は危惧しています。
実際、掲示板等の論調を見ると、『子育て』を苦行のように捉え、社会でその負担を負うべきとの論調が非常に多く、その意味を考えると暗澹たる想いにかられました。
(気持ちはわかりますが・・・)
私は、その行きつく先の未来を懸念します。
子育てとは大変です。
大変なんですが、そうゆうモノです。
自己の子孫を育む基礎的な欲求を苦行と感じ、それを社会に負わせた結果の末路の一つの未来に北欧の姿を描写してしまいます。
社会が、社会がと言い始めた時、社会の機能肥大化を招き、代わりに何かの機能低下が引き起こされる。
その何かに、注意を払っても良いのではないかと言いたいです。
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謹啓
このたびは弊社で販売いたしましたおせちにつきまして納品の遅れ商品の内容でご購入いただいた皆様に多大なご迷惑をおかけいたしました。 謝って済む問題でないことは、重々承知の上でお詫びいたしております。 商品品質は調理からお正月まで期間の問題を事前にテストし調理方法もマネージャーと確認をとりながら、安心できるものを選択して参りました。 衛生面につきましても、店内全体を冷やしキャップ、マスク、手袋、調理用衣類等を着用で調理から詰め込みまでを行っております。 この問題に至った経緯としまして広告掲載しました内容と比べてボリュームが足りないことと納品の遅れは、500セットの調理と詰め込みに予想以上の時間がかかり納品が遅れるという事態が発生してしまいました。 出来ないと判断しキャンセルの依頼をするべきところを、出来ないものを無理に行ったことがこのような事態を招きました。 この責任は2011年1月1日をもちまして株式会社外食文化研究所の代表取締役を辞任することと相成りました。 皆様に大変なご心配をおかけしましたとことを深くお詫びしますとともに、これまでのご厚情に衷心より御礼申し上げます。 そして今回のおせちをご購入いただいた全てのお客様へ全額返金させていただき、ご迷惑をかけた償いをさせていただきます。 本来であればお詫びに参上すべきところ、甚だ略儀ではございますが、取り急ぎ謹んでお詫び申し上げます。 敬具 株式会社 外食文化研究所 代表 水口 憲治 エリアマネージャー 鷺直 剛司 店長 大立目 信之 この正月、ネット販売、共同購入のおせちが物議を醸し、その事件の主である、外食文化研究所のHPに、お詫びの挨拶に憤りを覚えた方は多かったと感じるが、それは作り手の魂を感じない、誇りを感じない、その姿勢にあったと感じる。
思うに、この外食文化研究所は、このお節を食べたいと思って作ったのでなく、売りたい、儲けたいで作ったのだろう。
その一方的な想いが強すぎるが故に、こんな情けない謝罪文を掲載するのだと思う。
私が作り手なら恥ずかしくて、情けなくて、申し訳なくて、自分の仕事のプライドに掛けて申し訳なく、悔しいさを滲ませるような謝罪文を作るのだろうが、己の欲の為に注文を多くとり、結果、遅配し、中身が違う事を一切恥じる気持ちを感じなさせないい、この経営者はきっと、自分が食べたいのでなく、自分が儲けたかっただけなんだろう。
以前、読んだプログで、通販コーヒーの味に注文を付けた記事があったが、その対応は当店の売りは安いですので、皆さま、その事を了解して飲んでおり、美味しいと評判で御座いますと、実にそっけいない対応であった。
別にその方は高いコーヒーと比較しているのでなく、安い同価格帯のコーヒーと比較しての話である。
これも同じである。
何か、日本は大事な何かを失い欠けている気がする。
その結果、何か一方通行の出来事が増えているような気がしてならない。
しかし、それは一面で消費者が求めた結果とも言える。
社会に関心持つと良いよね。農大教授の独白(?)
にも書いたが、関心が無くなる事で加速度的に、その市場の魅力は失われて行く。
タイガーマスク問題も同じだろう。
多くの施設関係者が喜んではいたが、『でもね』が彼らの本音だ。
善意は確かに素晴らしい。
が、関心のない善意は、何か押しつけがましい。
日本人は下ごころのない善意に概ね寛大であり、その善意に謝意を表したと思うのは、非常に良いことだと思う。
しかし、関心の低い彼らの想いとは、何か、申し訳ないのだが一方通行に感じてしまう。
タイガーマスクちゃん気をつけて
にもプロ友のココア共和国大統領閣下が声明を発表なさっているが、関心の低さがすれ違いを呼んでいるようだ。(残念ながらランドセルは公費で買われています。ムダではないのですが、公費は融通が効きませんので。。。)
私の知り合いの関係者は、その善意に謝意を示しつつ、でも、欲しいモノは。。。
っと言っていた。
折角の想いをより良いモノに昇華して欲しいと感じてしまう。
正直、施設関係者の多くは孤独だ。
社会の関心は低いと言わざる終えない。
だから、少しでも関心が高まる事は歓迎したいのだろうが・・・
贈る側の気持ちと受け取る側の気持ちがすれ違う時、それは本来の効果がない事を意味する。
それを避けるとしたら互いに関心を持つことだ。
その関心こそを施設側の方々は欲している。
思うに、ランドセルを贈った方々は自分が欲しいと昔思ったからこそ贈ったんだろう。
それが手に入らないと思ったから故の行動だが、それが相手にある可能性を考えられない。
ならば関心をもって施設を訪れ話を聞くのもありだと思うのだが。。。
善意は立派だ。
多くはその善意すら生じず、施設に無関心のだが、その善意が一方通行にならない努力を贈り手にお願いしたいとも感じる。
恋人に贈るような感覚で施設側に何かを贈って欲しい。
恋人に贈る際、相手の欲しいモノは何か必死に考えると思う。
ちなみに夫婦ならば、相手に聞いているだろう。
(聞かないで嫁さんに贈る方は少ないでしょう。リスク高いですから。)
作り手、売り手、贈り手、貰い手。
一方通行にならない意志の交流こそが大事と感じてしまう。
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