2.NHKに電凸拒否され抗議文を郵送・7月25日放送 【NHKスペシャルシリーズ「日本と朝鮮半島」第4回解放と分断 在日コリアンの戦後】・在日朝鮮人の密航や朝鮮進駐軍等悪逆暴虐を隠蔽し違法行為を正当化
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1.NHKに電凸拒否され抗議文を郵送
7月25日放送 【NHKスペシャルシリーズ「日本と朝鮮半島」第4回解放と分断 在日コリアンの戦後】
在日朝鮮人の密航や朝鮮進駐軍等悪逆暴虐を隠蔽し違法行為を正当化
のつづき
●関連記事 在日全員が自由意思(密航が大半)で日本に居住 在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人 1959年7月11日付外務省の資料が改めて提供 1959年7月13日付朝日新聞と2010年3月11日付産経新聞で報道 3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」でも 動揺する韓国 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3775.html (一部抜粋) 〓〓 まとめ 〓〓 ●日韓併合以降、200万人以上の朝鮮人が自由意思で日本へ渡航した ※「日帝の差別や虐待のせいで朝鮮に住めなくなった」というのであれば、日本に来るのはおかしい ●戦時徴用は、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。 ●戦時徴用で日本に渡航したのは約22万人 ※そもそも徴用は国民の義務であり、当時は「強制連行」や「強制徴用」とは言わず、「強制連行」「強制徴用」などと言い始めたのは戦後何十年も経ってからだ。 ●戦後、GHQの命令で朝鮮人の帰還事業が日本政府の支出で行なわれた。 ※つまり、朝鮮に帰りたい人はアゴアシ付きで帰国出来た。 ●その結果、日本に残った朝鮮人は210万人中60万人だった。 ●その日本に残った60万人のうち、戦時徴用で来日した数は245人のみだった。 ※彼らは自分の意志で日本に残った。 ※また、GHQの命令による帰還事業が終わった後も、彼らの自由意思による帰国を日本政府は禁止していない。 ※更に、1959年〜1984年には北朝鮮への「帰国事業」も行われ、朝鮮総連が在日朝鮮人に対して「地上の楽園」への帰国を盛んに奨めたが、それでも大半の在日朝鮮人は頑なに日本に残った。 1945年当時日本に居た朝鮮人 1959年当時日本に残っていた朝鮮人 全体 210万人 61万人 徴用 22万人 たった245人 http://blog-imgs-34.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/060308.jpg 【その他の参考資料】 ■動画 三代目襲名(1/4) 田岡一雄自伝 http://www.youtube.com/watch?v=yirYWYqxGBk ●子供の目前で母親を強姦して喜ぶ朝鮮人たち (終戦直後のエピソード) 通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。 善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。 こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。 「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」 警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 (中略) 一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。 途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。 「どないしたんや」「おかあちゃんが、おかあちゃんが」 少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。 この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。 「ここにいるんやで。ええな」私は少女をその場において一目散に走った。 少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服(朝鮮人)の男たちだった。 「田岡一雄自伝」より (田岡一雄は、三代目山口組組長) http://blog-imgs-34.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/acb8ba93.jpg ●朝鮮進駐軍 概要 一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツ ダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正 しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。 朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について 服装・武器及び組織について 戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごと に部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更に これが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。 時代背景 当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認め られないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用 しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。 朝鮮人による犯罪 朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。 市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。 略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。 1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。 第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力 事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。 この記事は、FC2ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」のコピーです。
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