政策

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郵政改革の骨組みが亀井金融大臣案でホボまとまってしまった。
中身は半官半民のまま、非効率事業の温存を進める内容である。
 
そもそも郵便事業は日本の将来において必要な産業なのであろうか?
正しくは業務の縮小整理が妥当だったと思うが、真逆な方向に郵政改革は舵が切られてしまった。
 
この判断間違いは、亀井氏の想いとは裏腹に、将来の日本における禍根になると同時に、さらなるココロの破綻の原因になると思う。
 
氏の理想は氏の政策の不味さで破綻するのだろう。
それでも亀井氏は行動する。
おそらく敬愛する大塩平八郎に感化されるからだからだろう。

ところで、明治初期、郵便が唯一の通信手段であった時代。
国として情報インフラを整備する為に、その事業の国費投入に意味があったと考える。
が、現代において郵便の意義は著しく低下した。
理由は代替の産業、手段が勃興したからである。
電話、携帯、メール、インターネット、FAX・・・通信手段が手紙だけであった時代と比較し多種多様になってきている。
同時に郵便事業自体に民間が参入している。
金融の世界は指摘するまでもないだろう。
 
その状態で国費投入による非効率事業の温存である。
 
各地にある世襲制の特定郵便局問題。
非効率な業務形態。
貸出し審査能力も産業を育てる能力がない企業による巨額な金融資産。
 
トヨタの改善活動を通して、郵便局の実態を見通すと、彼らは典型的な指示待ち人間だと感じてしまう。
(勿論、そうでない人もいると思うが、内部局員が改善を前向きに捉え、評価する記事を私は残念ながら知らない。)
◆郵政公社 効率改善へ導入したトヨタ方式で現場が混乱
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/839811.html
◆郵政公社に“トヨタ流”通じず
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/237/237307.html
 
他にもあるが、如何に優れたシステムであっても運用者が未熟では効果がないのである。
 
改善活動に携わる若松義人氏の言葉だが、
「郵便局を見ても、トヨタ生産方式はうまくいっていないじゃないか」と言う人もいるでしょうが、
形ばかりの手法を導入しても、中で運用する人間が変わっていなければ、まったく効果はありません。
っと評しているが、それは正しい評価だと思う。
 
実際、郵便局員の不満、混乱の一番の理由は、改善を郵便局の実態に合わせて咀嚼し、組織内で昇華出来ていない事につきる。
不満の多くが言われた通りに行ったが、効率はむしろ下がったという趣旨の内容だ。

改善の本質とは、現場が言われた通りに行うモノでなく、現場が自主的に、その現場に合わせて改善活動を行う為のシステムの構築である。
改善はあくまでもシステムであって、解決策の提示ではない。
 
その意味で二大政党制と同じだ。
二大政党制はシステムであって、その効果の是非は運用者(政治家、有権者)に任されるのである。
 
繰り返すが、どんなに優れたシステムでも運用者が未熟では効果をなさないのは自明の理であると考える。
 
民主主義という優れたシステムが日本で機能していないのも、運用者たる我々が未熟だからだ。
改善活動の肝は、現場のモチベーション、やる気こそがもっとも重要なポイントだが、上記、『言われた通り』で不満を述べている時点で、郵便局の改善活動は失敗している。
 
ある57歳の郵便局員は以下のように不満を述べる。
「郵便局の仕事は、定型の部品を使う自動車の製造とは異なる」
大いなる勘違いだ。
改善とは各現場で問題点を抽出し、その問題解決を効率よく図るシステムの方法論、もっというなら思考の考え方の提示である。

結局、自ら何かを成す意欲・能力・思考がなくては失敗して当たり前だ。
『言われた通り』的な上意下達思考でなく、自ら問題点を見極め、その問題点にアプローチするシステムこそが改善の意味である。
自動車と郵便でその解決手段、内容が違うのは当たり前だ。
ならば、その業種・業界に合わせ、解決方法を変えてゆけば良い。
だからこそ、改善は製造業だけでなく、世界のあらゆる業種(金融も含む)で受け入れられたのである。

だが、一方でトヨタ改善方式は定型作業(単純作業)の非人間化をこれでもか!、これでもか!と進めるのは事実である。
「トヨタ方式」によって、確かに生産性は向上するだろうが、その方法論は人間をロボット化する方式に他ならない。
人間をロボット化すればするほど、作業効率はあがり、生産性は向上していくだろう。
しかし、人間にとっては、身体精神の大変な消耗を我慢する事になり、人間性は失われていく。
 
トヨタ改善方式が近年、おかしくなり始めたのは、改善の対象が仲間である身内の社員から、非正規社員、下請け企業に変わって来た事である。
この事で、改善の精神性は貶められ、改善されるモノとするモノという、二極化が進んでしまった。
そして改善によって産みだされた富は社員、会社が一方的に手にする。

非常に不合理な世界だ。
収奪するモノとされるモノ。(搾取)
以前は社員である事で、その果実が分かち合える事が出来たが、今はそれが期待できない。
改善による省人化の達成=改善先の解雇だ。
結果、製造派遣に見られるココロの破綻である。

郵便局の非正規率は50%あり、同時に郵便局員の主な仕事は現場作業、つまりは労働集約的な産業であるという現実がある。
おそらく、改善されるモノとするモノという、二極化が元々、最初にあり、さらに郵便局員自体にもモチベーションがないのだろう。
(基礎からして改善を取り組みにくい組織になっている)
 
そして決定的なのが、
モノを届ける。
国債を買う事に、どれだけのノウハウが必要なのかという点である。
 
確かにノウハウはあるのだが、一部の人に限られるだろう。
(熟練とはマニュアル化されない非定型作業と定義したい。
まぁ、細かな事を言うとあらゆる職種で本当は知識の積み重ねが必要なのだが、その種の評価がされ難い世の中になっている。
届けるという、ある種、想像性も感じない仕事にも本当はあるのだが、その行為の付加価値を回りが認めなくなってきているし、そのサービス(付加価値)自体を求めていないのかも知れない。
結局、多くの顧客は笑顔もいらないからともかく手紙を届けて欲しのだろう。
そういった類の職種は接客業といえど、基本、非熟練作業になってゆく。
マクドのバイトにソムリエ的な気遣いを客が求めないのと同じ論理だ。)
 
郵便局、従業員30万人の労力のほとんどは、ノウハウの少ない非熟練作業、職種と思われる。
熟練職種とは、ある仕事を通じ知識を獲得し、さらにその知識を土台に次のSTEPを踏める経験年数に準じて加速度的に成長が望める職種だが、
郵便局員のほとんどは、実能力において成長が止まり易い作業かと思う。
第3回 職種によって異なる経験年数の評価(その2)
http://jobs.hi-ho.ne.jp/special/column/no046/index.html

郵便業務のほとんどが、トヨタ改善方式によって生産性が向上するのだが、その実、郵便局員のロボット化だ。

正直、非常に複雑である。

同じ運輸関連のヤマトは、改善によって血を流しつつ必死に業務の効率化、ロボット化を行い本業で儲けている。
だが、下請けで支える膨大な人員はパートを代表とする非正規社員だ。
一方の業種で保護(郵便局員の正社員化)を行い、一方の業種では自己責任で頑張れでだ。
不公平感によるココロの破綻、おそらく民間は郵便局を詰るだろう
 
そして頑張ってる民間企業は容赦なく人を稼げる人と稼げない人に峻別している。
これは過度な成果主義によるココロの破綻になるのだろう

亀井氏の論も一理あるが、民間との不公平感を感じると同時に、今の日本の税収で彼ら郵便局員を支えられる余裕があるのであろうか?と疑問を思わざるおえない。
一方で民間の論理の行きつく先は、非熟練作業者の機械化、非人間化、そして人間の厳しい峻別化につながってしまう。
(まぁ、揺り返しも当然のようにあるのだが、現在の動きは知識集約型産業においてである。労働集約型産業において、その動きは極めて鈍い)
 
単純に郵便局員を切り捨てるのは正直、抵抗感がある。
なぜなら、彼らは必要だからだ。
が、一方で必要な仕事だからといって非効率な業務の温存を是とする事は出来ない。
なぜなら、日本にその余裕が無くなってきているからだ。
 
郵便局に民間以上の能力もなく、代替の企業がある以上、正しくは経過処置(郵便局員の数を減らしつつ、穏やかに消滅させる)を見ながら、郵便業に携わる人を減らす事だと思う。
 
今の状態ではイタミの先送りで、本質的な対応ではないのは間違いない。
そもそも、議論のスタートは民間に代替の能力のある郵政事業を国で行う必要があるかだ。
その議論を忘れ、安易に改革を中途させた事は、後のモラルハザードとココロの破綻に通じるだろう。
 
この不公平感の蓄積は後の日本におけるモラルハザードの原因になるように思えて仕方ない。
その点で亀井大臣は本質を見誤っている気がする。
 
 
この種の論議は、製造派遣禁止とも関係するが、競争とココロの担保を如何にバランスをとるか?だ。
日本が貧乏になっては本末転倒な話だが、日本の政治関係者は安易な道(両極端)を選ぶようである。
労働者の極端な切り捨て(小泉改革)か、保護(亀井、民主党)かでなく、バランスの感じる政策をお願いしたいところだ。
今の方策は、一時の安定は得られるが、最終的には先送りであり、将来の破綻(物質的にも精神的にも)が見えている茨の道だ。
 
亀井氏の想いとは裏腹に日本人のココロはさらに崩れて行く。
牧歌的でなく互いに憎しみ合う世界。
郵便だけ救い、他の業種は放置。
当然、救われたモノと救われなかったモノの間で醜い争いが発生するだろう。
 
一方、非効率産業を総て救ったら、日本の産業競争力は世界で太刀打ちできなくなるだろう。
 
亀井氏は各種モラルハザードを誘発しかねない政策を行おうとしている。
おそらく理解していると思うが、氏はその行動を止めないだろう。
 
関連記事
民主、共産、社民の労働政策について・・・(7/26サンプロにて)
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/19963021.html
現在の、そして将来の雇用の状況について
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/19991004.html

郵政改革万歳

わ〜い。
貯金先を郵貯に変更しよう。
 
預金が保護される以上、民間に預ける理由ないよね。
リスクが過少。
リターン(利率)が同じ。
なぜ?民間に預ける必要があるのかわかりまへん。
 
郵貯に預け国債の原資になり、国がボロボロになろうとも自分、大事ですから。
 
これを合成の誤謬と言います。(笑)
 
しかし、亀井大臣の経済諸政策は経済を結果的にボロボロにする政策だらけですな。
返済猶予制度( モラトリアム)は銀行の貸し渋りを促し、経済の血液たる貸出金を滞らせてしまいました。
 
まぁ、事業に対し与信が出来ず、財産にしか与信が出来ない大手銀行の責任は確かに重いのですが・・・。
日本は自己の成長力、強みをスポイルする政策を好き好んで行っているようです。
 
なぜ?だろう?
 
 
 
 

政策とは

日本の政策分析をすると度に、その幼稚さに目眩を覚える。
 
なぜなら、政策立案者たる彼ら、政治家に理想がなく、理想はあってもそれを具現化する現実的な数字、数値目標がないからだ。
 
総てがおぼろげである。
 
行えば、おそらく良くなるだろう的な政策が多すぎる。
 
そんな陽炎のような政策に、借金漬けの日本、民主党は計6兆円を超える国費を投入しようとしている。
民間企業でありえない事が、リアルとして国民の前にあらわれる。
そして、その無理は、将来、なんらかの形で晴らされるのであろう。
収入に対し、過大な生活。
アメリカでは国民が借金して住宅バブル(過剰消費)をエンジョイしたが、日本は政府が借金して身の丈に合わない生活をエンジョイしている。
 
なぜ?日本は自己成長の為に資金を投入せず、生活(一時的公共投資や福祉)に投じるか?
親の遺産が無くなった後、誰に喰わせてもらうのだろう?
それとも逆か?
子(国民)の資産を親(国家)が食い潰しているのかもしれない。
 
日本の国債は家庭内借金だから、よそ様は関係なく大丈夫と言っても、子の資産を勝手に食いつぶす権利が親にあるのであろうか?
 
何度も言うが、社会福祉関連で50兆円以上の赤字を抱え、公務員の人件費(途上国でなくOECD諸国平均の2倍の給与、日本とニュージーだけ突出して高い)が50兆円もあるにも関わらず、その財源として増税を検討している。
 
なぜ?自己投資を並行して検討しないのか?私は不思議でしょうがない。(検討しているのだろうけど・・・)
増税して福祉では、今のジリ貧状態は変わらないだろう。
もし、福祉の拡充を行うのなら、政策の目的があってしかるべきだ。
福祉も上手く政策的に行えば成長につなげる事が出来るのは間違いない。
 

自己思索の長期テーマの一つでもあるが、個々が抱えるリスクをどう考え、そのリスクヘッジに社会が協力する意味と、その影響をどう見るか?である。
 
 
福祉の本質はリスクヘッジだが、民主党のリスクヘッジ政策は社会に正しい正の流れを呼び込むモノであろうか?
多分、ダメだろう。
モラルハザードを逆に呼び込む気がする。
 
福祉(権利)の裏付けたる義務(税収)を論議しなかったツケは誰かが払うのである。
後は、国母君と同様、権利対権利の醜い争を行うだけだ。
 
 
旧与党自民党は、景気回復の名の基に効果の定かでない630兆円以上もの巨額な公共投資を行った。
結果、日本の国土舗装率は世界でも有数のレベルであり、あちらこちらに維持費も担保できない施設、道路、橋、空港が出来た。
結果、国土の3%が舗装されたのだから大したモノだと思う。
将来のイタミを考えず、良く造ったというところか・・・。
 
この目標が定かでなく、効果も怪しい政策に国民が嫌気を感じたからこそ、昨夏の政権交代(理由の一つ)につながったと個人的に思っているが、その期待に反し、民主党はコンクリートから人へ対象物を変えて効果の定かでない政策を行おうとしている。
 
 
無常だ。
 
 
子ども手当の記事に対するコメントとして、少子化対策が必要なのか?という趣旨のコメントを頂いているが、非常に正鵠を得た発言だと思う。
 
なぜなら、民主党(自民党含む)の政策には理想と現実がないからだ。
 
理想の将来像があって、理想の人口構成があり、現状に対する理想の原状回復目標とそれに伴い発生する費用とその影響についての言及があってこそ政策である。
(少子化対策が上手く言った場合、その費用負担は莫大なモノになる。それを理解しているのか甚だ疑問。所詮、イタミ止めなんだろう。)
 
少子化対策が必要ならば、理想の生活、理想の人口分布のあり方と、理想の日本人のあり方(教育、社会構造、多岐に渡る)を指し示すべきだ。
単純に人口増、子どもが増える事が、現在のイタミの緩和になるのか?
おそらく答えはNoだろう。
途上国の人口ボーナスが先進国において期待できないのは常識である。
その現実の前に単純に人口、増やせでは・・・。
 
グローバル社会の本質は地域間競争である。
日本の高い税率、高い人件費に見合う魅力を国として提供できなくなった時、それは国における夕張の現出だ。
体力のある金持ちから日本を見捨てていくだろう。
 
そのロジックを考えると、法人税、所得税は下げざるおえず、その分、消費税UPになるのかもしれない。
が、消費税もUPし過ぎると、今度は消費が国外に逃げてしまう。
(EUでは良くある話、海に囲まれた日本で可能かは不明だが、耐久消費財や高額商品で可能だろう?出来ないのは生鮮食品、しかしジャンクフードが可能な事を考えると・・・)
 
企業が逃げるか?、消費が逃げるか?、が逃げるか?
 
日本人を含む、日本は地域間競争の真っただ中だ。

国は、その競争に打ち勝つ方法論を個人に投げたいようだが、それで良いのであろうか?
 
社会でなく個人が個人で勝った時、その個人はどう判断するのだろう。
私はより良い環境を求めて他の国への移住を当然のように考えると思う。
東京と地方の関係が、日本と他国で現出するのである。
イチロー(LEDの開発者も含む)が良いモデルケースだろう。
アメリカにマッチポンプのように吸い上げられる可能性が大である。
残るのは貧乏人だけ。
笑えない未来だ。
 
流出を防ぐ一つの方法論としては、個人でなく全体(日本)で世界に勝つ事だと私は思ってしまうのだが、皆さんはどう思うのであろう。
それならば、個人(才能)の流出によるイタミはそれ程でなく、日本は耐えられるだろうし、個人を回りが活かす環境に代われば、才能も出て行かないだろう。
 
日経ビジネス、今週号の標題は、『伸びる会社は全員力』であった。
(自民党に対する皮肉にも聞こえる。谷垣さんの『みんなで頑張ろうぜ』は何に?)
 
全体に埋没する人材(バブル崩壊前の日本)でなく、個がしっかりした上で他と共同できる企業文化の確立を急ピッチで各企業が行っているのをトレンドとして感じてはいたが、金融危機(1998年)の頃より本格化した動きが、やっと表面化してきた。
(日経の察知能力は極めて低いのだが、逆に日経に掲載さる事は、全体に認知されつつある状況と判断する事も出来る)
 
資源のない日本が世界で伍してゆくには人材力、もしくは人材育成能力であり、それこそが持続可能な成長をもたらすモノと信じている。
 
私の理想は日本が将来にわたって豊かな国になる事である。
であるが故に、政治に期待する事はあらゆる分野での人材育成能力(実務、ココロを含む)の強化でもある。
その意味で民主党(自民党も)の諸政策、子ども手当を代表とする政策効果にイタミ緩和以外の目的を私は見出す事は出来ない。
 
出来あがった人材を手に入れる方法も効率的だが、それだと世界標準で日本人は競争にさらされる。
算数も満足に出来ない大学生が半分ほどいると思われるが、強烈な競争者社会の強者たる外国人に能力で勝てるのだろうか?
国語力は総ての学生に必要だし、算数も同じだ。
 
にも関わらず、最近の大学入試は選択だ。
日本人の基礎学力は確実に落ちているだろう。
おまけに大学の単位取得に対する労力も以前と比較し半分になってしまった。
(大学改革で通年の2単位が半期2単位、つまり通年4単位になり、必要単位数が変わらなかった事で実質的に半分)
 
大学も含む、日本の教育改革、ゆとりは個人に自由な時間を与える事で、個人の自立を求めたと思うが、その理想に対し現実はかくも残酷である。
 
強制の伴なわない日本人の学習時間は国際比較で最低である。
 
民主党の基本理念は機会の平等であって、その機会の有効活用については自己責任と考えている。
従って子ども手当(使い道フリー)のような政策になるのだが、その方法論は悲しい事に、理想と現実が折り合っていないのではないかと強く思う。
 
ゆとり教育の本質は自由(時間)を与えた事であり、その事により日本は知恵を育むはずであったが、知識まで失いつつある。
子ども手当や高校無償化でカネを与えた事で、日本は何を失うのだろう?
勿論、自己責任とやらで、有効に使う家庭とそうでない家庭で差が開くのだが、同様な事をしているアメリカの例と、その結果に対し、日本人は何を感じるのだろうか?
 
カネと自由、時間は等価である。
 
カネによる消費は時間を買う事であると定義される。
従って導き出される答えは『ゆとり』と同じ結果になるのでは?っと当然のように思うのだが・・・。
 
『ゆとり』教育を否定した日本社会が、『ゆとり』と同じ意味の『カネ』を求める。
 
そんなに破綻がしたいのだろうか?
 
将来における日本の適正人口と及び、その産業形態を政治家は我々に指し示す事が出来るのであろうか?
 
政策の本質は未来を語る事だ。
 
産業は正直、自己責任でも構わないが、それに正しく対応出来ている日本人がどれだけいるのであろう?
読み書き算盤が満足に出来ない日本人というか、大学生が多いが、この国は本当に大丈夫なんだろうか?

増え続ける社会保障費にピヨピヨしている以上、望みが薄いと言わざるおえない。
この鳩山首相のピヨピヨ感が、全政党共通であり政策の骨組みが見えず、総ての政策においてまとまりがない。
(国民新党の下地さんは除外)
 
全体の枠組み(日本の理想実現)の中で、少子化対策、農家の所得保障、高速道路無料化(これは理解できるが副作用も大きい)、高校無料化の位置が明確でない以上、何もかもが幻のように見えてしまう。
 
会社でこのようなプロジェクトが存在するとしたら、その会社は潰れるしかないだろう。
その意味で、日本は潰れようとしているとしか見えない。
 
 
高校無償化(子ども手当)について 3
 
で、子ども手当に賛成な方の過剰な権利意識を問題にしましたが、反対意見の多くも過剰な権利意識に根差したモノでした。
 
基本、当然という考えですね。
 
国保君の服装問題で互いに権利意識(公人云々を場外し、服装選ぶ自由、不愉快と思う自由)をぶつけ合っていましたが、本質、同じ論調ですね。
 
互いに権利をぶつけ合う。
高い権利意識と低い義務意識。
 
多くの権利(子ども手当、高校無償化、公園、保育園、学校、環境。。。)には多くの義務が発生します。
その意味がわかっているのでしょうか?
 
同時に今の既得権益者も同じです。
多くの権利に対し、義務を果たしているのでしょうか?
 
子ども手当等の賛成派は、当然という意識で、義務(納税、控除)に対する不履行を宣言しています。
貰って当然な権利に義務が発生しないと主張したいわけですね。
 
当然ながら、その義務(納税、控除)は何処からで担保しなくてはいけませんが、その担保先はそうは思っていないので、当然、醜い会話、議論になります。
 
要は負担の押し付け合いですね。
今の政治の難しさは富の分配でなく、負担の押しつけだからと思っています。
つまり、この利害調整に苦労しているわけですね。
 
子ども手当等の論調を聞く限り、日本の政治に奇跡が起きるか非常に疑問ですが、このままですと、皆でドボンッです。
勿論、ドボンッするのは一般庶民です。
そしてダイレクトに影響を受けるのは弱い立場の人達ですが、この人達が存外、権利意識を強くもっているようです。
素養と年収が相関するようになったのはバブル崩壊以降ですが、確実に階層固定化に貢献しているようですね。
 
結局、日本人の高まり続ける消費者意識(納税に対する権利、対価)は留まる所を知らないようです。
その状態で、カネのバラマキですから。
人間、面白いモノで、努力をせずにメシ(カネ)を貰うと、それを当然と思うようになり依存関係が生まれ努力をしなくなると言われています。
所謂、満足する事で、働く為の理由を失ってしまうわけですね。
今回の児童手当の拡充は上記、論理の危険性を孕みます。
そうではない人もしますが、そうなる可能性のある人もいるという意味で解してください。
その意味で、親の素養差による格差助長になるのは間違いないですね。
 
対人関係、広義的に社会の基本は、give_and_takeです。
この関係で、理由もなく過度にgive、過度にtakeになると関係は破綻し易くなると思っています。
現在の日本は低い税収に対し、支出は過大です。
つまり納税者にとっては過小なgive(納税)に対し過大なtake(サービス)になっている可能性があると考えるのが妥当と私は思っています。
無論、行政のムダもありますから、何処まで過大なサービスを受けているか不明ですが、年金の公的支出(年金保険の赤字分の補てん)が50兆円以上ある以上、
納税の37兆円に対し、明らかに過大なtakeを貰っていると言ってよいでしょう。
 
そのような状態で、さらに納税者にとってのtakeを増額する理由が私には理解できません。
一時的な公共投資を私は批判しますが、成長に関係のないと思われる政府の過大なgiveに対し、非常に危惧を持っています。
先の項でも指摘した通り、日本の巨大な財政赤字を支える根拠(個人資産、貿易黒字、経常黒字)が希薄になりつつあります。
この根拠につながる支出については賛成(赤字国債可、むしろ積極財政を望む)しますが、福祉政策を行うのならば恒常的な財政論議(財源)が必要になるでしょう。
でなければ、将来の破綻です。
 
成長に関わる支出は、後の果実につながります。
が、成長に関わらない支出で、今を満足する為に使ったらカネ(米)を食い潰して終わりです。
 
小林寅之助の『米百俵の精神』を今こそ思い出し、日本の成長に何が必要かで議論すべきだと思います。
 
さて、日本人は長岡藩士になれるのでしょうか?
 
小泉首相は成長戦略を描ききれず、イタミだけを結果的に押しつけましたが、問いかけの本質は今も変わっていません。
 
 

 
 
前記事の続きです。
高校無償化(子ども手当)について 2
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23990106.html
今回の記事の主体は児童手当拡充が与える日本人のココロへの懸念の表明です。
前回の1、2は実質面で、日本の成長に寄与しない為、無意味と『児童手当の拡充』、つまり『子ども手当』、『高校無償化』を断じましたが、
今回は民主党の児童福祉政策が与える日本人への影響について言及したいと思います。
 
基本的に文章を『である』調から『ですます』調に変えていますが、今回の記事が高校無償化−2のコメントに対するリコメに近いからです。
また、概ね3の記事で言及たかった事を読者様の皆さまにご指摘頂いているからです。
 
ところで、
私が子ども手当等の掲示板で参加して最初に思った事は、子ども手当賛成派の論調に対する危機感です。
その多くは
『子どもは未来の投資だ。だから社会で育ててるのは当然だ』
『我々は苦労している、未来の社会の為に苦労しているわけだから援助されて当然だ』
『日本の教育費は他の国と比較し少ないので、児童手当の増額はして当然だ』
『納税に対する当然の権利だ』
・・・
 
つまり、この当然という意識、言いかえれば権利意識と言えなくもない発言の多さです。
当然ながら、この種の発言はさらに発展しまして、保育園、公園、学校、環境。。。
 
ブルーハーツの歌じゃありませんが、『あれも欲しい、これも欲しい、もっと、もっと欲しい』で両手に抱えきれない『夢』の代わりに両手に抱えきれない『不満』を持っているようです。
 
この強すぎる権利意識に私は危機感を覚えます。
今回の、民主党の児童福祉政策の拡充は、これら日本人の高まり続ける権利意識をさらに助長しかねない危険な政策と思っています。
『社会で子どもを育てる』を当然と思う方々の行きつく先は、『子どもを自分達で育てる』事に関しての責任感の希薄化に通じます。
両者は伴に相関関係を持ちますが、どっちかに偏りすぎる社会は、非常に歪であり、社会の不安定化要因になると考えています。
 
現在、子どもの成長に関わる親の責任、子育てに対する依存度は以前と比較し過大になってきています。
理由は、地域社会が崩壊した事で地域が子育てに関わり難くなった事、そして核家族化です。

要は子どもに関われる大人が減ってしまった事で、相対的比重が以前と比較し、その子の親に移り、その比重が高くなってしまったわけです。
その状態で『子どもを自分達で育てる』事に関して、責任感の希薄化に通じかねない思想構築を目的とした政策の登場です。
 
社会で子育てに関わる方法が無くなりつつある状態で、『社会』で『子育て』を行おうとしているのです。
もし、民主党の言う『社会で子育てするシステムの構築』を目指すのなら、カネでなく、地域社会、家族の再生、もしくは教育現場の内容拡充(従来、家庭、地域がもっていた教育の移譲)こそが相応しいでしょう。
それでしたら、まだ理解できるのですが・・・。
 
憂国烈士さんのコメント同様、問題をカネで安易に解決しようとする姿勢に疑問を持ちます。
非常に危うい状態と思います。
現状の子育て環境を鑑みると、『社会』は『子育ての手助け』を強調すべきであって、『社会で子どもを育てる』という社会が主体になった表現は、さらなる子ども世代における素養の劣化につながると考えてます。
仕事に対し責任感の希薄なった人はいい加減な仕事をしますが、同じ事が起きないか心配です。
 
責任感が希薄になった親が、子育てを社会の責任に転嫁した時、社会はどうすべきなんでしょうか?
おそらく家庭は、教育にその責任の代替を求めると思いますが、その難しさは学習院の学級崩壊の記事で述べた通りです。
 
関連記事
学習院学級崩壊と日本のココロの破綻
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23941270.html
 
ところで、親世代の権利意識はともかく、親が子育てに対し負担に思っている理由はなんでしょう?
それこそが一番の問題と思いませんか?
 
つまり、親世代は子どもを持つ事に幸せ(もしくは必要と感じなくなった)と感じなくなってきているのです。
 
ここが、現在を取り巻く、少子化問題の本質であり、理由です。
そして『子ども持つ事が幸せ』と感じる根拠が児童福祉拡充策であるべきかについては個人的異論があります。
『もう過去しか見ない時代』 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23888836.htmlで『ハッピーリスク』を一部、言及していますが、昔の幸せの定義結婚、家、子ども・・・が、
現代においては不幸せの原因になっている印象があります。(次回のテーマ、でも、当分、先(笑))
 
その原因の解決に、これらバラマキ政策が有効に機能するかどうかは疑わしいと思っています。
精々、イタミの緩和でしょう。
本質、自民党の一時的な公共投資政策、地方のイタミ緩和政策と同質だと考えています。
子育てのイタミの緩和政策は、本質的な解決になりません。
その必要性は認めますが、それだけでは自民党の政策の二の舞でしょう。
『コンクリートから人』へ、文字通り民主党は行っています。
自民党、民主党ともに成長に関わる方法でのコンクリート、人への投資が必要にも関わらず、関係者への利益供与で夢中になっているようですね。
 
私は『子どもを持つ事が幸せ』と感じる社会の構築こそを目的に政策を行うべきと思います。
それは『子どもを持つ事がリスクにならない』社会の構築と定義したいと思います。
簡単に言うと明るい未来ですね。

以上より、イタミの緩和政策のみで、明るい未来構築と本質的に関わり合いのない民主党の児童福祉政策の拡充に強く反対すると同時に、
一度、給付する事で、そのカネに対する過度な依存心と、その結実である過度な権利意識の現出を危惧します。
また、福祉は一度、始めたら止めづらい政策です。
現役世代と比較し高齢者の手厚い年金制度に手が出せない事と同じ論理に陥る危険性を感じます。
私の年金受給額は、支払額の35%。
100年大丈夫と言って、数年で破綻した自民党案でその状態ですから先を考えるとアタマがイタイです。
ヽ(´・`)ノ フッ
まぁ、どうにかなるように自己責任で準備するしかないですね。
 
運用を面を含め問題だらけの民主党の児童手当拡充政策ですが、あれだけ問題を指摘されているのにも関わらず、修正する気はないよです。
参院選挙前に配る気、満々ですね。
 
┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・な政治状況です。
 

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