|
GDPとは仕事の量(労力)と定義する事が出来ます。
そして、その労力に見合った給与を貰う事で経済が回っています。
GDPを増やすとは仕事を増やす事です。
ところで仕事を増やすとは私達にとって本当に仕合せなんでしょうか?
元来、日本人は必要な量だけしか働きませんし、その仕事を極める事に喜びを見出して来ました。
が、明治維新以来、必要以上に稼ぐと言うキリストなる異物の思想により、仕事に関する考え方が歪み、いつの間にかに義務と考える人が多くなって来ています。
キリスト的には仕事とは苦行と捉えています。
宗教上、キリストものにとって仕事とは義務であり、神にささげる供物とされています。
その供物とは苦しいホド、良いとされますので、、、。
ですので一般にWorkとつく単語は苦しいです。hardworkが代表例でしょうか?
一方、日本は仕事を道となし、精神修行の一種とし、喜びを見いだしています。いました。
極める事は楽しいです。
道を愉しみ、道を究める。
その道とは苦行なんでしょうか?
現在、日々の生産革新によってGDPを構成する仕事の絶対量、労力が減って来ています。
にも拘らず、
我々はキリスト教的、欧米思想に取りつかれ仕事(労力)を、GDPを増やそうとしています。
いったい私達は誰にその苦行を捧げるのでしょう。
(おそらく欧米の金持ちに対してなんでしょうけど。)
生きるために仕事は必要ですが、その仕事の量が皮肉にも技術革新により社会全体(マクロ)で減ってきています。
しかし、仕事をしないと個人(ミクロ)は生きて行けません。
さて。。。
その仕事とは無理に増やすモノなんでしょうか?
GDPが減ったからGDPを増やすというのも一つの解決方法とは思いますが一度、別の視点で一考するのも良いかと個人的にお勧めしたい所です。
|
経済
[ リスト | 詳細 ]
|
ケインズを否定したサッチャーとトニー・ブレア
にて、公共投資を費用対効果で評しましたら、
>何が必要で無かったとか予算対効果で考える事も人間の生とか考えてゆく中で意味がないと思いますよ
っとのコメントを頂きました。
確かにあらゆるモノを費用対効果で語るのは馬鹿げていますし、その間違いによってサッチャーの保守党は政権から脱落し、ブレア労働党に政権を奪取されてもいます。
そして、サッチャーによって傷ついた公共をブレアが修正、修復した事で、サッチャーの名声を確立したのは前記事で述べた通りです。
その意味する所は、
費用対効果で語れない面が公共投資(雇用維持を目的としたケインズ的な経済政策)にあったと言う事です。
そう言った意味も込めているから、サッチャーとブレアを比較し記事にしたのですが、ふっと別の論旨。
公共投資って、必要なムダなんだろうか?
っと思ってしまいまいました。
別に、そのムダ、公共投資でなくても良いハズっと思うのですが、どうなんでしょう?
最初に、
公共投資に携わっている方々は不必要と思ってインフラ整備しているのでしょうか?
ある種、アリさんが一生懸命働いているのに、それムダだけど、仕事ないと、あなたがた大変だから働いてねっと非常に失礼なコメントにも聞こえ、なんだか疑問に思ってしまった。
勿論、コメントした人はそんな意図はなく、費用対効果で語れない公共投資等にも財政出動に意味があるという事を問い掛けたかったと思うのですが、、、。
地方経済を維持する事のメリットは大きいと私も思いますし、その効用を知っているから補足的にサッチャーとブレアを論じもしました。
が、公共投資でそれを行なう必然性はどれだけあるのでしょう?
他の代替手段は一杯あると私は思っています。
一つに菅ちゃんのブレーンが提唱する最小不幸社会実現の為に、福祉に増資するのも一つの手でしょう。
(但し、富は増えません。その意味で費用対効果の低い公共投資と同じ。
その福祉を支える経済があれば、それ自体はOK=費用対効果の低い公共投資も。
最も、過剰な福祉って家族を壊しますからね。ただ、一方で人々に安心を与える。
つまるところ、安心だから家族が壊れるといのも皮肉な話です。)
もしくは、漫画文化に投資し、日本のソフト力を強化する事で世界を席巻するのも一つの手でしょうか?
(でも、関われる人が限られるので受け皿としては小さいです。)
が、どうせなら楽しく経済が伸びるかもしれない分野に投資するのも一興と思うのですが如何でしょう?
日本は、どの分野に投資すべきなんだろうか?
にも記載しましたが、実はその辺を念頭に記載しています。
体験学習とは趣味の世界。
日本各地の芸能文化、風習、虫取り、スポーツ、おたく文化。
個々の趣味を活かした体験学習をして貰う事で、子どもたちの判断力。
自分の幸せを基準とした判断力(人生の羅針盤、GPS)を獲得する教育を行なう事を念頭に書いています。
つまりは、アリさんよりキリギリスです。
同じ経済を回すなら、キリギリスが良いでしょう。
では、なぜ?それが出来るのか?
一つにあらゆる面における生産技術革新によって、我々が必要な生産活動、つまりは仕事に関われる人員の数が劇的に減っている事が背景に考えられます。
日本の製造業(厳密にいうと世界のあらゆる産業)は毎年、その生産効率を上げていますが、その生産効率の源は=省人です。
本当は省人化された人が別の仕事を覚えられば、良いのですが、今、企業が求めている人財とは知識集約的な人財です。
それは誰もがなれない世界でもあります。
結果、省人化された人は這い上がれず、同様に企業もそう思っていますので、正社員ではなく派遣社員として彼らを雇うとしています。
そして省人化の波はますます激しくなると予想しています。
つまりは誰もが働けない世界が現出しようとしています。
ある種、夢の世界なのですが、働かない限り生きる糧が得られなければ、皆、働くしかなく、結果、誰もが働ける産業障壁の低い業種に人が集まり、結果、給与が下がる。。。
これがベーシックインカムの背景であったり、ワークシェアリングの背景でもあり、大本を辿るのならデフレの原因(遠因)の一つでもあると私は思っています。
以下、ホリエモンのコメントですが、
農業革命で人々は飢えることからある程度開放された。
産業革命で人々は労働時間からある程度開放され、余暇の時間を持つことができるようになった。 実は、多くの人はもう働かなくてもよくなった状態にあるのかもしれない。 でも働かないといけないという古い倫理観は残り、実は社会全体の富を増やす労働ではなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか、と思っている。 月20万の給料を貰って、実は社会全体は、その労働を作り出すのに月30万のコストをかけている、というような。だったら、ダイレクトに20万渡せば10万円セーブできるんじゃないかと思う。例を挙げるのはここでは控えるが、いくらでもあると思う。 ベーシックインカムを行なうのかどうかともかく、この『月20万の給料を貰って、実は社会全体は、その労働を作り出すのに月30万のコストをかけている』というのが費用対効果で意味のない公共投資なのかもしれません。 私は、基本、その説に立っていると思います。
なぜなら、公共投資の闇を、やというホド、見聞きしてますし、また、農業自由化対策費で作られた各種箱モノ、そして土地改良した後に建つマンションや商業施設。
まさに、膨大なコストを掛けて仕事を増やし、アリさんのように汗水たらしてムダなモノを作る。
なんか、もっと有効に、日本社会が産み出した余力を使っても良いかと思うのですが、どうでしょう?
誰もがアリになって働く必要がないのなら、アリさんを皆で支援、もしくは特別なアリさんを作るべく、キリギリスになるのも良いのではないかと思います。
アリさんという表現は悪いですが、アリさんを癒すキリギリス。
そんな感じ。
特別な人達が集まる環境とは、どんな環境なんでしょうね。
一つに、おカネもありますでしょうけど。
別の世界もありますよね。
今の日本社会。
社会に出たくない子どもたちが多くいる理由は、苦しそうに働く私達にあると思いませんか?
公共投資の業界も経済用語で言う所のレッドオーシャン。
無理して仕事して、かつ苦しいなんて。。。
どうせなら、キリギリスさんが多数いる社会を作って見るのも、生き生きしている社会になると思いませんか?
それを見て子どもたちは、どんな仕合せを描くんでしょうね。
要、体験学習ですけど、私は生きたムダになると思っています。
|
|
先日、イギリスのマーガレット・サッチャーを好意的に評価したが、実は彼女が首相をしている間、イギリスの失業率は高止まり(正しくは激しく浮沈)をしており、本質的な回復に至らなかった事をご存知だろうか?
確かに彼女の行なった経済改革は経済の活性化を呼び込み、イギリスの成長力回復の原動力ともなったが、他方、彼女の行なった経済改革は弱者を産み、イギリス社会に不安定化を呼び込む要因にもなってしまった。
つまりは、格差が拡大してしまったのである。
強いモノはより強く、弱いモノはより弱く。
サッチャーの行なった経済改革は潜在的な力のある業界に属す人々に対し、大きな恩恵をもたらす事になった。
が、他方、大多数の国際競争力のない産業に属す人々、つまりは中間層の没落を呼び込み、つまりはイギリスの関連内需の景気を冷え込ませ、かつ、失業の増大と不安定な社会情勢によって、その果実をスポイルしてしまっていたのである。
結果、後年、サッチャーは政策の一部を見直し、フリードマンに批判される事になる。
サッチャーの行なった経済改革自体、私は正しいかったと思う。
過度なケインズ的な政策により、イギリスの製造業の生産効率は停滞し、1980年代にはアメリカの1/3、日本の1/2ともなってしまっていた。
それら業界を守るために政府需要を支出し続ける事はイギリス経済にとって限界であったのは自明の理でもあったし、改革の必然は間違いなくあったろう。
安易に財政出動し続ける事で、その業界の活力が意図せず、結果的に失われ、政府支出に頼った産業構造になる事で国際的競争力が失われるとともに、生産効率が下がるのは、イギリスの製造業が過去そうであったし、日本の農業が今、そうである事も重視すべき事実だと私は思う。(端的にいうと官需に頼っている日本の地方)
そして、そのような停滞を脱せさせたのは間違いなくマーガレット・サッチャーの偉大な功績であるし、評価すべき事だと私は思うが、政府支出に頼って生きていた弱者を切り捨てた事は、当たり前だが大いなる格差という形となってイギリスに暗い影を作ったのも、また事実である。
富の偏在は一般に、その社会の歪みをもたらす結果になる場合が多い(一方で活力にもなるが・・・)。
大量の社会的弱者の存在は社会を不安定化させ、公を弱体化し、社会が多くの場合、不機嫌となってしまう。
この面での社会コストの増大は治安維持等に代表される行政コストに跳ね返る事は容易に想像される。
アメリカでは金持ちがアメリカ社会を信用せず、集団で快適な街を作り、暮らしている地域もあるが、強いモノだけがより強くなるだけだったら、社会は必要なくなるのである。
その結果、社会の信用は失われ社会が不安定化する。
同時に社会の不安定化によって緊張させられる社会ではイノベーションは上手く行かず、経済はますます停滞すると思われる。
実はイノベーション、緊張を強いられると上手く行かない場合もある。
漫画家が締め切りに追われるのと質の良い漫画を書けなく場面と同じ論理だろうか?
言うなれば締め切りというコトバの前に思考が硬直化するのである。
この面での再評価が欧米を中心に行なわれており、各種研究成果によって過度な成果を問う事が創造性にマイナスに作用する事が社会的常識になりつつある。
その意味で社会全体が安定しているというのは創造性に大いなる寄与を与え、イノベーションの発現において、より有利な環境を提供する事が可能であるとも言えるだろう。
その点において、サッチャーの行なった改革だけでは逆にイギリスに大いなる困難を与える事になったのかもしれない。
が、歴史の配剤だろうか?
困難を迎えたイギリス(結果、保守党は敗北し労働党に政権が移っている)にトニーブレアが登場し、上手い具合にケインズと新自由主義の間を取り持つような政策を行った事でイギリスは安定したのである。
ただし、トニーブレアの政策も根本的な解決ではなかった為、保守派、左派、ケインズ学派からも評判は良くない。
その所に、なかなか真の解決策が見いだせないイギリスの悩みの深さもあるようである。
但し、トニーブレアが政権を担って以降、金融危機が起きる近々まで、イギリス経済は好転し、失業率は4%台、そしてロンドンの地下鉄の初乗り運転が1000円だった事実も含めて、一応の経済的成功をもたらしたのは間違いない事実でもある。
そして、その下地になっているのが、サッチャーが行なった各種経済改革である事は疑いようもなく、その事によって、サッチャー自身の評価は現在、非常に高いモノとなっているのも、また事実。
歴史の皮肉だが、サッチャーの直接の後継者でなくライバルの政党によって、一つの完成形を形作られた事に歴史の面白みを感じてしまう。
もし、トニーブレアが登場せず、保守党政権が継続し、サッチャーの政策の継続を行なっていたら、サッチャーの治績の評価もまた違ったモノとなった思われる。
ところで小泉改革。
その評価が現在、非常にネガティブになりつつあるのだが、イギリスと比較すると面白くもある。
もっとも中身の濃さでいくと、改革をやりきったサッチャーと中途で終えてしまった小泉と比較するのは無粋とも言えようか?
|
|
Xマンさんから日本は何に投資すべきなんでしょうねっという、お題を頂いたので、私なりの意見の一部を表明させて頂きます。(正しいかどうかはともかく)
個人的な日本の状況を鑑みますと、道路・橋・空港があっても産業が活性化されていません。
理由は簡単で、日本でモノを作る事に優位性がなくなったからと分析しています。
では、なぜ?日本でのモノ作りの優位性が失われたというと、日本人でなくても日本人と同様なモノが作れるようになった事が大きいと思っています。
現在の、そして将来の雇用の状況について
単純に産業の構造転換が求められていると思っていますが、その産業の転換が遅々として進んでいないように感じます。
理由はイロイロあると思いますが、
やはり教育が大きなウェイトを占めているのではないかと、ここ10年来思っていますがどうでしょうか?
そして、教育インフラに投資する事で日本の内需拡大と、日本の創り出す能力を強化できると思っています。
人の仕合せになる能力に影響を与える項目として大別すると、
①想像力、未来を予測する叡智(危険、障害物を発見するレーダー)
②自分の幸せを基準とした判断力(人生の羅針盤、GPS) ③主体性をもった行動、考え方(人生の推進力・エンジン・ガソリン) ④良い習慣(フレーム) が重要なのではないかと思っていますが、
そのうち、②の自分の幸せを基準とした判断力(人生の羅針盤、GPS)の強化には体験学習が必要な為、その面での財政拡大が日本に大いなる繁栄をもたらすのではないかと愚考しています。 ただ、その面での継続的な財政支出が日本にどの程度可能なのか?
そして財政を支出するという事は、その分野での産業セクターが出来る事を意味します。
農業や公共投資の反省をふまえ、政府支出に頼った産業セクターの出現が本当に成長を呼び込むかは慎重に選ぶべきとも思います。
そのポイントはやはり継続的な成長に寄与するかどうかなんでしょうね。
以下、以前書いた、記事の一部転載です。
http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23490644.html ②自分の幸せを基準とした判断力(人生の羅針盤、GPS)を獲得する教育
義務教育でこの能力をトレーニングするとしましたら、ともかく経験、社会経験を積ませる事だと思います。 おそらくこの能力が、親の資金面で一番、差がでる素養 と思います。 東大学生と親の年収について論じた記事を過去書きましたが、幸せの基準獲得は、残念ながら各種体験を通してです。 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/12008057.html 子の個性、何が好き、向くかはやってみないとわかりません。 ですので、ともかく経験させるのが一番です。 結果、その子の可能性を最大限に開かせる為には、とてもおカネが掛かります。 レジャー経験、旅行、体験学習、スポーツ、習い事、恋愛、美術館見学、社会見学、各種スポーツ観戦・・・etc。 いろいろな体験(失敗、成功、感動、喜び、悲しみ、悔しさ、嬉しさ)を通じ、感性を磨く事で、②自分の幸せを基準とした判断力(人生の羅針盤、GPS)を獲得するに至る。 しかし、残念ながらイロイロ経験させるにはとてもおカネが掛かります。 ですので、この面では確実に貧困の連鎖が子供達の可能性を塞ぐ可能性があります。 この連鎖を打ち切るとしたら、公教育における支出を増やし、子供達に可能な限りの体験、経験をさせる事です。 個人的にはホームステイを推奨します。 特に、社会経験上感じる事は、故郷から出ていない皆さんに共通する感覚で、非常に保守的なイメージがあります。 (私立学校による階層化、選別も同じ、皆、同じ階層、同じカテゴリーという状態は、思想の同質性につながり、結構、デメリットがあると感じています。) 所謂、自分と違う価値観と触れた経験がなく、その意見、その存在に戸惑い、場合によると排除につながる事です。 日本人自体が他者の意見に寛容とは言えないので、この点に対する対策は社会に大きな恩恵与える気がします。 http://blogs.yahoo.co.jp/k99999five9/23484858.html 自分と違った人、違った人種、考え方に、早めに触れておくのは良い事です。 耐性がツキますので。 出来ればギャップの激しい異文化、外国が望ましいです。 かわいい子に旅をさせろは至言だと思います。 経済対策を考えるなら、日本国内かなぁ? 旅館やホテル等の宿泊施設の稼働率は30%だそうです。 デフレが激しいわけです。 子供手当より、マシな経済対策(地方対策)になるかも? ともかく費用は膨大です。(笑) |
|
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、かならずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。
何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。
例えば、家計の貯蓄などがこれに当たる。所得が一定の場合、一家計が消費を削減した場合、必ず貯蓄額が増加する。これはミクロの視点において、一家計の支出削減は経済全体に影響せず、その家計の収入を減少させる効果は無いと考えられているためである。そのため所与の収入において支出を削減すれば貯蓄額が増加する。
しかしマクロの視点においては状況が変わる。経済全体の家計が貯蓄を増加させようと消費を削減した場合、貯蓄率が上昇するが貯蓄額は変わらない。一方の経済主体の支出は、他方の経済主体にとっては所得となる。そのため家計全体が消費を削減することで、家計の所得も減少するためである。収入が減少するため貯蓄額の割合は高まり、貯蓄率が上昇する。家計の支出削減の努力は自らの収入減少に帰結する。マクロ経済においては家計の貯蓄額を決定するのが企業・政府の投資と経常収支の合計だからである。
他にも、企業の人員削減や、関税障壁による貿易収支の改善など、ミクロでは正しくてもマクロでは違う結果をもたらすものは多い。それはミクロのメカニズムが経済の一片における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは経済全体の循環における仕組みだからである。
以上、Wikiより
合成の誤謬。
財政出動派の論拠ともなっています重要な理論の一つですが、
この理論が極端になりますと、
『穴を掘って埋めても景気が回復する』なる暴論につながります。
それはさておき、
現実にあてはめますと、
例えばパパさんの年収800万円、ママさんのパート100万円の家庭で、ママさんがパートを出来なくなり、パパさんの給与が450万円に下がったとしたら、皆さんどんな対処をしますでしょうか?
世帯年収900万から450万になりましたら、多くの御家庭は生活を見直すと思います。
900万には900万の450万には450万の生活があるわけです。
一般的には、これは非常に正しい判断と考えられると思われます。
年収が減った以上、その年収に合わせた生活をするのは合理です。
逆に年収が減ったにも関わらず、以前の生活を行なうのは無理です。
(非合理とも言いますが、本記事では無理で表記します)
さて、これら平時なら合理であるべき個々の判断(ミクロ)が、全体のバランス(全体の集合、マクロ)で、より深刻になる場合があります。
これが合成の誤謬の概念です。
端的に言いますと、平時なら問題がないのですが、社会全体の給与が減ってしまうような不景気の際に社会全体が個々の生活を一斉に見直すと、経済活動が収縮し、より不景気になるという考え方です。
給与が減る→消費を控える→モノが売れず、その業界の給与が減る→消費を控える。。。。→
っという概念になります。
この負の螺旋を止める為に、消費が減った分を誰かに消費してもらい、その負の螺旋を止め、逆に正の循環にする。
つまり、
給与が増える→消費をする→モノが売れ、その業界の給与が増える→消費が増える
といのが財政出動派の思い描いている姿です。
ただ、給与が減っているにも関わらず、以前の生活を行なうという無理を個人が出来るわけもなく、その無理は個人の破綻ですから、代わりに、その無理を誰かにやってもらいたい。
では、誰がその無理を行なうのか?
それは政府であり、財政でその無理を行なおう。
これが、財政出動派を支えるロジックになっています。
なっていますが。。。
螺旋的に給与が減る事(青文字の給与が減る)に関し、政府の財政出動は確かに有効と感じます。
ただ、最初の切っ掛けである赤文字の給与が減るという事象に関して政府の財政出動だけでは、無力な場合があります。
無力な場合、それは二次的な経済の伸縮を抑えている間に赤文字の業界の人達が体制を立て直さなくてはいけないのですが、その業界が立て直せない場合があるからです。
この立て直せない理由とは何か?
なぜ?立て直せないのか?
現在の日本が抱える苦境の背景の一つですが、日本経済がなかなかTakeOffをしない理由。
いくら、財政出動をしても砂地に水が吸い込まれて行くようで、広がりを見せない理由。
日本の豊かな土壌が砂漠化しかけている理由を、その根本を解決しない限り、いくら真水を与えても、その効果は薄く、その限りではないと感じます。
個人的には本来の対策を行なわず、真水を与え続ける事で、構造転換を遅らせた事(先送り)は、将来、日本に大きな被害を与える事になるのではないかと懸念しています。
事の本質は給与が減るというトリガーを引いた業界を立て直すのか、新たな産業を起こすかしない限り、解決しません。
この根本が直らない故に日本は出血を続け、その為に輸血、もしくはイタミ止めを求め、行ない続けています。
そして、今や現状維持すら出来なくなりつつある事を気付いている、日本の企業は国内に投資を行ないません。
この企業の合理を無理に、非合理にするような政策が、『穴を掘って埋める様な行為』で対応出来ない事は言うまでもありませんよね。
私が求める財政出動とは、日本企業(海外企業含む)が国内投資したがる環境の整備です。
穴を掘って埋める様な公共投資でも景気の下支え効果はありますが、最初の赤字の給与が減る事に関しては無力です。(変化に対するイタミの緩和にはなります)
そこに対し、成長に対しフォーカスがボケたからこそ失われた20年があると私は分析しています。
|




