ひとたび完全に愛の国に入ってしまったら、 この世がどんなに不完全であっても、美しい豊かなものとなる。 なぜなら、この世は、いたるところ愛の機会に満ちているからだ。 眠られぬ夜のために」第一部10月7日より(岩波文庫) 愛の国に置かれたことを忘れずに、愛の機会を追い求める一週間にしたいと願っております。
|
カール・ヒルティ
[ リスト | 詳細 ]
人生を強く堪えぬくには、次の二つの道がある。 その一つは、世の狼どもと一緒に咆え、 目の前にありながら万人に行きわたらない生の享楽の分け前を得ようと猛然と噛み合う生き方である。 これは一般に行われている生活であり、唯物主義のいわゆる「生存競争」である。 もう一つは、神との本当の、誠実な、 しかも喜びに満ちた交わりにまで精神を高めることによって生きる道である。 神との交わりを持つ者には、生存競争は不用になり、 また憂愁や無気力は心に生じえない。 眠られぬ夜のために」第一部10月1日より(岩波文庫) 一つ目の道は、人間として恥ずべき道であると、僕はカール・ヒルティとともに繰り返し訴えたいと思います。
この言葉に続いて、ヒルティは、多くの人がこの中間の道を苦しみながら歩んでいるという現実を、指摘しています。 |
|
カール・ヒルティは、人との交わりにも「愛と義」が必要である、と教えています。 福祉行政に携わる僕自身にとしては、援助関係の基本的スタンスとしても、受けとめたい言葉です。 人間との交わり、いや、さらにひろげて、 神のあらゆる被造物との交わりにおける唯一つの正しい原則は、 何ものをも不必要に苦しめず、 すべてのものに同情を寄せ、 すべての人に平安と生きる喜びを与えること、 しかも、だれもが自分のつとめを果たし、 単に享楽のために生きるな、と要求することである。 「眠られぬ夜のために」第一部9月27日より(岩波文庫) |
|
カール・ヒルティによる「キリスト教の意義」についての定義です。 キリスト教は、すべての気高い性質を持っている人間の、 真理と心のまったき平安とに対する渇望をいやすことができるという、 この経験上の証明にまさる、その真理の証明は他にない。 このような渇きをいやす者こそは、悩める人類を助ける権能を持った真の救済者である。 およそキリスト教は、非実践的な理想主義ではない。 むしろ反対に、この世の唯一の実行できる、 また実際に最も効果ある理想主義である。 このことが、この世におけるキリスト教の永続的な意義である。 「眠られぬ夜のために」第一部9月25日より(岩波文庫) |
|
どのような人が真に強い人と言えるのか、一度じっくりと考えてみる必要と価値があると思います。 いつどこでも、愛をもって真理の味方をすること、 これが、まことにわれわれの日常の活動的生活の課題である。 ある近代の文筆家(おそらく哲学者ニーチェ)は、 倒れかけたものは、なおも押し倒さねばならぬ、 そうすれば強者、さらに最強者だけがこの世に残る、 と言った――ところが彼自身、最後には大いに人手を借りなければならなくなった―― この思想がもし一般に適用されたなら、それはほとんど民族大移動時代のモラルとひとしくなって、 これは、倒れようとするものをささえ、倒れたものを助けおこすことを命じる、 キリスト教のモラルとは正反対のものとなる。 この世で最後に競技場に残るのは、つねに一番強いものだということは、まさしく本当である。 だが、その強さというのは、過大視された人間の力のことではなく、 依り頼む弱い者たちを助ける、神の世界秩序である。 「眠られぬ夜のために」第一部9月25日より(岩波文庫) |






