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カール・ヒルティ著「幸福論」の再読(実は7回目位です)を始めることにいたしました。 |
カール・ヒルティ
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僕には、カール・ヒルティの提示する「幸福の第一条件」が非常に軽んじられている日本であり世界であるように思われます。
僕は、こうした状況は容認できないと、はっきり意思表示しておきたいと思います。 幸福の第一の、不可欠の条件は、倫理的世界秩序に対する確固たる信仰である。 この秩序がなくて、世界が偶然により、 あるいは仮借することのない、弱者に対して残酷ですらある自然法則(ダーウィニズム)により、 さらには人間の策略と暴力によって支配されるものとすれば、 個人にとっての幸福のごときは、もはや問題になりえない。 個人は、このような世界秩序の中では、暴力をふるうか、暴力をうけるか、 鉄槌(てっつい)となるか鉄敷(かなしき)となるか、のいずれかでしかない。 そのどちらも、高貴な人間にとってふさわしくない悲惨な状態であることは、 ほとんど選ぶところがない。 また諸国民の間では、絶え間のない戦争もしくはその準備が、このような人生観の結果であり、 政治学の教科書は、マキャヴェリの『君主論』ということになる。 カール・ヒルティ著(斎藤栄治編)「幸福論」 白水社 65,66頁より |
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自分自身や家族、隣人を幸福にして行くためには、普段の生活に喜びが必要であるのは、申すまでもありません。 カール・ヒルティは、生活の喜びについて次のように助言しております。 生活を(肉体的生活をも)、十分健康で力強いものにしたければ、生活に喜びがなくてはならない。 だから、なんらかの正しい喜びを持つようにしなさい。 けれども、あなたが賢明であるなら、永続的な、つねに得られる喜びを、 決して不正でない、つまり自責や後悔を伴わない喜びを求めなさい。 カール・ヒルティ著「眠られぬ夜のために 第一部」3月11日より(岩波文庫) |
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「つねに正しく善良に生きること」は、神からの恵みと力が無ければ、外的にも内的にも困難なことでありますが、僕は、それが人生の目標に値するものであると信じております。 カール・ヒルティは、このことを、自身の人生の経験として証言しております。 つねにもっぱら正しい、善良な人であるように努めなさい。 かならず世間の人は、それを認めるものである。 世間は決して、人を見る明に欠けてはいない。 いわゆる「誤解された人びと」の大部分は、実は、決してそうした人ではないのだ。 残りの人びとも、誤解がいつまでも続きはしない。 永久に誤解されるなどということは、起るものではない。 少なくとも私は、歴史上で、その実例を知らないし、また、これまでの生涯においても、 そのような例に出会ったことがない。 カール・ヒルティ著「眠られぬ夜のために 第一部」3月5日より(岩波文庫) |
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今日も仕事で、多くの困難を抱えた人びとと接する僕ですが、聖書の言葉を光として、与えられた職務を実行していきたいと思います☆ 人生のどんな境遇においても、神の導きと助けとをかたく信じることができ、 ヨハネによる福音書15の7に言われていることをしばしば実際に経験したならば、 この地上で堪えなければならない最も苦しいこと、 すなわち、憂いや恐れが全くひとりでに消え失せ、 人生のあらゆる困難がこの信仰を深めるための単なる修練となるであろう。 しかもこの修練はついに勝利をもって飾られるが、これこそ地上の最も生き生きとした幸福である。 カール・ヒルティ著「眠られぬ夜のために 第一部」3月3日より(岩波文庫) あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、 何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。 そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 ヨハネによる福音書15の7(イエス・キリストの言葉) |






