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「人がキリストを通じて神との正しい関係に入る」のためにイエス・キリストは降誕されました。 これが、クリスマスの本義であると思います。 クリスマスって素晴らしいです!!! この地上では、無為の生活によって内的進歩をとげることはできない。 かりに修道院の生活が、ただ瞑想にふけることにあるとすれば、それは大きな誤りである。 また、一般に、多くのいわゆる「国内静寂派」の人たちの誤りも同様である。 われわれは、まずみずからが、キリストを通じて神との正しい関係に入ることによって、 「地上の天国」に達しなければならない。 しかし、それが実現したならば、そのあとは、 他人をも同様にそこに到達するように助けてやらねばならない。 これが、すなわち、生きるということである。 カール・ヒルティ「眠られぬ夜のために 第一部」(岩波文庫)12月19日より |
カール・ヒルティ
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僕には、法的な意味でも、倫理的な意味でも、「正義と平和」が軽んじられるのが、人間の世界と歴史の常であるように思われます。
しかし、ヒルティは「人間の内に存在しうる、平和と喜びに満ちた状態」を知っていると叙述しています。 イザヤ書32章17・18節 「正義は平和を生じ、正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。 わが民は平和の家におり、安らかなすみかにおり、静かな休み所におる。」 現代生活がもたらすあらゆる不安と動揺の代わりに右の聖句に言われているような状態を望まない者があろうか。 常に変わりない、このような晴れやかさ、実はむしろ、喜びに満ちた状態こそ、この地上における唯一の願わしい生活であり、また天国への道理にかなった唯一の通路である。 人間が老年や病気で死ぬ時に普通に抱くような感情のままで、直ちに天国に入ることはできない。 しかしこのような平和と喜びに満ちた状態は、死に先立って早くから、人間の内に存在しうるものである。 そして、死ぬ時には、しだいに衰えてゆく肉体というその外的「生涯」がただ死によって取り除かれるにすぎない。 カール・ヒルティ「眠られぬ夜のために第一部」12月12日より(岩波文庫) |
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せっかくのアドベントですので、イエス・キリストのご降誕から福音書をお読みになったらいかがでしょうか? われわれは、すべて疑い惑える人や不幸な人、もしくは孤独な人たちにこう呼びかけたい、 「ぜひ一度キリスト教を試してみなさい。 なるほどあなたは、これまで有りとあらゆることを試みたでしょう。 こんどは一度キリスト教を試してみなさい。 この教えの方でも、あなたがそうすることを歓迎するでしょう」と。 しかし、試すならば、 最も誤りのない、最も単純なキリスト教でなくてはならない。 そのようなキリスト教のみが、その約束しているすべてに対して責任を負うものである。 それは、福音書に記されたキリストの言葉であって、それ以外のものではない。 他のものはすべて添え物である。 たしかにそれも非常にすぐれた有益なものではあろうが、それでもなお添え物であって、 キリストの言葉と同じ価値を要求することはできない。 カール・ヒルティ「眠られぬ夜のために 第一部」12月2日より(岩波文庫) |
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この一年を締めくくる月となりました。 僕自身、この疾風怒濤のような一年を振り返るにあたり、やはりヒルティの言葉から善き助言を受けました。 老年期の始まるころのある日、一度過去に決まりをつけなければならない。 怒りもなく、後悔の思いもなく、過去の帳簿を閉じて、もはやそれを開けてはならない。 過ぎ去ったすべてのよいことに感謝しなさい。 とりわけ、万事がよい結末に到達したことを感謝しなさい。 最後に、実にたくさんのことがもうおこる必要がなく、 永久に片付いてしまったことに、感謝しなさい。 そうしたら、これまでの生活とはまるでちがう「永遠の命」に向かって進みなさい。 これに入るための条件は、ヨハネによる福音書17の3と6の40に記されている。 前途の展望はこれから先、限りないものである。 カール・ヒルティ「眠られぬ夜のために 第一部」12月1日より(岩波文庫) その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、 あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。 (ヨハネによる福音書17章3節) わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。 わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。 (ヨハネによる福音書6章40節) |
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世の中で50年も生活していると、学歴や学力とは別の教養というものを持っている人びとに出会うことがあります。 教養ある方のとの交わりは、人生における一服の清涼剤であります。 僕もそうした教養を持つことができるようになりたいものだと思います。 人間をそこなわず、人間に役立つほんとうの教養には、 主として三つのことが必要であるように思われる。 第一は、生来の感性と生来の利己主義とを、より高い関心事によって克服すること、 第二は、心身の諸能力の健全な、均整のとれた育成、 第三は、正しい哲学的・宗教的人生観である。 これら三つのうちの一つを欠くならば、 人間のうちにある或るのもが委縮して、りっぱな発達をとげることができない。 カール・ヒルティ著「幸福論」斎藤栄治編(白水社)161頁より |






