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多摩川野外美術展 覚え書きその1
1988年11月、昭和天皇が危篤状態に入っていることを日本中が察し殆どのイベントが自粛というかたちで取りやめになっていく中(灰色の東京。その重苦しい空気を覚えいらっしゃる方も多いと思います。その後のバブル景気はこれの反作用?)、多摩川緑地福生南公園では17名の作家の美術展覧会が開かれました。河原にも拘らず1万人以上の観客が訪れ、その後の展覧会開催へのエールとなりました。
私がこの展覧会を企画しようと思ったきっかけは1987/5月浜松中田島砂丘での野外美術展に出品したことから始まります。それまで室内展示で仕事をしてきた木の作家が野外で展示するのは刺激的でした。天竜川集積材の雑木2mもの50本ほどでサークル/結界を砂浜に作りました。灼熱の中、砂丘の保護
のため車を乗り入れないことを作家同士の約束とし、担いで一本ずつ運び込みました。(この展覧会の終了直後に30才代の作家が心臓発作で電話中に倒れると言う傷ましい記憶があります。)さあこれから野外でも、もっと仕事をするぞと思ったのですが、1980年からのこの展覧会はこれが最終回にしますということで断念。では別の機会をと探し、北浦和の県立公園の野外展に参加もしました。が、違和感が。もっと自分の生活空間の近くで、あの人やこの人、あの子たちに見てもらいたい。そしてより自然の残る空間で展示してみたいと探し、多摩川の河原を候補としました。
浜松野外展の参加作家や会場近隣の作家に参加を呼びかけ、会場の公園管理者福生市の賛同を得、展覧会の後援に近隣市町村の内諾をもらい、後は建設省河川事務所に許可申請するだけとなった。市の担当課長と河川管理事務所へ申請に出向いた。担当所員が市の協力もあり問題はないでしょうという。その場面に奥から所長が登場。「それはだめです!河川は展覧会の為に有るのではない、許可できない」と。それから2時間ほど団判、ここですべて終わらせるわけにはいかない。この地域では初めての展覧会だと期待してくれている方々、何回か委員会を重ねポスター印刷など経費はわれわれ作家負担でもやろうといってくれた人たちの意気に答えられない。この場、多摩川上流出張所で即答をださずに上級の京浜工事事務所の判断に委ねると言う形でその場を退去する。
これからが大変。(気が付いてみると、これ迄にも河川での美術展が2,3行われていたが一級河川で美術展使用許可がでた前例はなかった。それ迄に開催された美術展は県などの地方自治体管理の河川だった。)そこでまず開催時期を、法規定の出水期である夏場から渇水期に入った11月に変更する。また出水の際には作品撤去のお手伝いをすると言う地元市民の署名を500人超集める。候補地を河原でない場所を探すものの、参加作家は多摩川でやるのでなければ計画は流そうとの意見。四苦八苦しているちょうどその時期、多摩川週間イベントのシンポジウム(多摩川流域協議会主催)が立川市で開かれることを知る。藁をもすがる気持ちの私は、各市町村担当部署の動員一色の中に入り込む。パネラーは、ICUの教授とモレシャンさんと栄愚庵さんと粟津潔さんともう一人。内容は、都市河川という法律上の呼び方は無いが隅田川や多摩川は..云々。パリではベンチを置いたり植物の日よけがあったり....。もう少し積極的な利用の仕方があってはどうか(私の解釈)。というような話。
家に戻り、5人のパネラー諸氏それぞれに、今日のシンポジウムの方向に私どもの企画している河川敷での野外美術展はマッチしているのではないか。これこれしかじかで苦戦している。側面援助をお願いできないでしょうか。と企画書その他を添え手紙をだす。
数日して朝方電話がなる。
「粟津です。京浜工事事務所の所長に電話しました。所長不在でしたが伝わります。出来ると思います。」体のこわばりがすーと消えていく。
彼の助言が無かったらこの展覧会は開催できたかは微妙でした。
この粟津さんの作家として自由人としての態度、下のものにたいするfreeな行動は現在の硬直した時代にはなくなってしまったものかもしれません。この多摩川展第一回展カタログに観覧記を書いて頂いた彫刻家の堀内正和さんも面識が無かったものからの手紙での依頼に快諾して下さった。
最近ではなかなか出会えないこのような方々の励ましが以後の私どもの試みを後押しして下さったんだと改めて感謝いたします。
予告:エピソード その2 多摩川野外美術展出品作家
/都興祿/蔡国強/丸山常生/丸山富之/市川和英/東裕二/坂口寛敏/荒井真一/大塩博美
/田尻秀樹/城下るり子/スタンアンダーソン/伊藤タダオ/中川猛 /谷垣内信一/赤塚昌俊...続く
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小泉政権の人殺し政策がやっと修復されることになった。憲法九条も危機を脱し社民党が守るだろう。民主党は、税制・構造改革でひねり出した財源を人間と家族生活中心の政策へ振り分けて行くだろう。防衛費半減や架空経費廃止、参議院定数を10名になど賢い財政再建の選択は沢山ある。
さて、地方自治の主役は市町村だ。私は無駄な県を廃止し、国政と市政が対話で直結する道州制の早期実現を望む。これが生活再建に必修の地方自治行政改革の道筋だと思うから。それには市議も過半数の与党勢力が望ましい。
ところで歴史的な政権交代の時、高知県民はその風を読めず仕事のできないポストばかり生み出した。その4年間の費用対効果を考えて欲しい。議員一人当たり年間一億円程の血税が歳出されるそうだ。また、彼らの今日までの仕事は、一人は香美郡に自衛隊駐屯基地を引っ張ってきており、一人は窪川町の隣町に原発を引っ張っている政治屋だ。県民が、そのような政治の動向を知った上で投票したのか大いに疑問である。
2009/9/5(土) 午後 6:08 [ エコビレッジ・コスタリカ共和村 ]