|
.
府中市美術館が「多摩川で/多摩川から、アートする」を開催している。
1988年から始めた私たちの多摩川野外美術展ですが、多摩川を会場とする美術展示の正式な許可を建設省から取り、1991年の府中展では流域協議会(建設省京浜工事事務所と流域市町村、東京都、神奈川県が構成員)との共催のかたちにまでたどり着き、ようやく認知されたと思ったのですが、今回の府中美術館の企画展には全く関わりがなかった。ただ、89多摩川展福生へ出品の蔡国強氏(府中美術館企画にリストアップされた12作家の一人)と90展福生91展府中へ出品した坂口東京芸大教授(同展カタログへ写真資料として掲載)の二人だけがピックアップされている。
多摩川野外美術展の企画責任者としては、出品作家43人、延べ人数で96人総日数74日を忘れられる訳にはいかないので、このサイトに徐々にですが記録を残そうと思います。
その第一弾
蔡氏のことは評論家の鷹見明彦氏が10/24に講演会をしました。講演会でも企画展の中でも触れられなかった彼の野外へのデビュー、多摩川展は、私のところですべてが進んだのでそのことを少しだけ記そうと思います。
恐らく1989の早い時期と思いますが国立駅から10分ほどの画廊での彼の個展を私は見ました。竹のすだれの紙の部分が何カ所も焼けこげて穴があいている作品でした。その頃の私は、多摩川展に向けて、ソウルの作家 都dohさんに参加を呼びかけokをもらっていた。アジアの作家を他にもと考えていたので、画廊主から蔡さんの住所を聞き電話した。新宿のファーストフード店の2階で「多摩川展に参加したい、火薬の使用許可を取ってほしい。高見さんと丸玉屋さんに世話になってあの個展をしたが、今回は自分の力でやってみたい。」とのこと。
私の展覧会への外国からの作家には出来るだけ協力をしようというのが方針としてあった。都さんの場合は、JR拝島駅に協力を求め作品素材にする枕木を手配したり、彼が製作中は我があばら屋で合宿状態。その為の準備に早稲田奉仕園の集中ハングル講座に10日間通いもした。
蔡さんのための火薬使用許可に動き出してみると、あちこちの役所へ行かねばならない。本当に大変でした。(私はプレッシャーがくるとアドレナリンが出る高血圧タイプなので本当に良かった。酒量はどんどん増えましたが!) まず警察署に何が必要か相談に行き、消防署へ行き、東京都の火薬の係に出かけ、隣町の細谷火工にボランティアでの協力をお願いする。細谷さんとお酒をつき合ったりもした。すべてクリアーするのに15日かかった。
全て済んだかなと思ったら蔡氏は火薬の量が足りないなどとわがままを言い出す。最初から言えば良いのに人を試すのかと却下。河原の会場でイベントをした後、室内で展示したいがと言う。地元の老人会が使っている寺院の建物は使って良いよと言ってくれるも五日市の名刹寺院から出張してくる坊さんがダメだという。知り合いの神社に話したらどうぞ喜んでとの返事。
さてイベント当日の観客は十数人、導火線に点火するとシューと火が走りテントの部分がバンと煙を上げて終わり。蔡さんがこの火薬使用の東京都の許可証をほしいというのであげる。たぶんこのお墨付きがなかったら地方の美術館でのイベントも簡単には行かなかっただろう。彼はその後1、2度展覧会案内状をよこしただけで後は合ってない。日本の社会が(ことにエリートである美術館関係者はことさら)火薬に全く弱いのを彼はすぐに見抜いてそちらへ走ったんだと私は思っている。最もわたしも、日本社会で私らが刀狩りされている状態を面白くないと思っていた。美術展にタブーを設けたくない。私は元王宮がルーブル美術館になっているフランスが好きです。市民がいつでもストライキを打てる様な自由に、いい年をして、憧れたりもするのです。
|