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イタリアの監獄制度に、昼間は社会生活をしながら夜は収監されに監獄に泊りに戻るというのがあると聞いて非常にビックリしたことがあります。(2008年法務省の横やりで東大京大東京芸大での講演が中止となったアントニオ・ネグリ氏の例)勿論、死刑制度は廃止されている。マフィアのテロなど怖い話しも多いのに死刑執行がないのは何故なのか、、、
チェルノブイリ事故の際に青果市場を閉鎖したり妊婦幼児への牛乳の摂取を禁止したり出来たのはなぜだろうか。保守政権下なのに。
最近見た映画にヒントがありました。
『人生、ここにあり! Si Puo Fareやれば出来る 』 Si Puo Fare ぼくにできるかな?
http://jinsei-koko.com/シネスイッチ銀座http://www.cineswitch.com/上映中
'78年イタリアで施行された通称“バザリア法“により、精神病院の全廃が進められていた時代の実話を元にした映画
精神病患者たちがいる施設へ(左遷され)送り込まれた組合の活動家(オルガナイザー)のネッロと、施設に収用されている彼らとの活動の話。入院中心閉鎖型からオープンな地域生活型に、歴史的な大転換を成功させたイタリア精神保健の取り組みを描く。
映画の中に羨ましい場面がありました。
薬漬け(ようはやる気をなくさせる)の旧来の精神科の医療を拒否し、薬を減らしても大丈夫という医者と共に、新しく仕事場を立ち上げて、仲間も増やして、パリの地下鉄延長にかかわる工事現場の仕事もできる。さあこれからと言う時に、事件が起き、仕事の納期の違約金のこともあり、ネッロはこれまでだと、事業は挫折しそうになる。
暴力沙汰を起こした仲間は旧来の治療にもどされるというその時に、
以前の担当医、彼らに否定されていたその彼が、ネッロに言った言葉は、
「君らの方法には良い効果が見られた続けて欲しい。」
これにはビックリしました。自分の立場に固執せずに、間違いを認める。これならば、良い方向に社会が進んでいく。本当はこうでなくては。
福島事故に対する国家や自治体や企業の担当者の対応、マスコミと御用学者たちの対応を経験してきたわれらには、なんとも新鮮です。
ネッロも彼の妻も、その医師も仲間の医師も、画像の彼女も、過去に精神に傷を持つ協同組合員の患者たち彼らたちも、それぞれが一人の人間として、真摯に物を考えて判断、行動しています。
イタリア映画にはこのような誠実な人々が時々登場します。だから好きでよく見ます。決して派手ではありませんが。
立場だけで物を考える、ものをいう。日本は変だと思います。
日本の中心は空白である(皇居は無番地です)というフランスの哲学者の著作がありますが、誰も責任とろうとしない困った国であると思います。
大学の一般教養科目の憲法講義で、日本は立憲君主制の国だといわれて、ビックリしたことがありますが、全ての結論、議論の責任が、空白の場所にいきついて、判断保留となる。そこを避けるのは人として卑怯だと思います。
象徴天皇制の支持者ならば責任を国民の段階でしっかりと議論せねばならぬし、君主制論者ならば頂上まで責任を持ち上げてはならぬはずだし、
いつから逃げる一方の卑怯もんばかりの国になってしまったのだろうか。
こんなことならアメリカの第53州目にしてもらったほうがまだまともな議論ができそうだが、一触即発の状態が続く地を引き受ける訳はないか。
もう1本dvdで
『セントアンナの奇蹟』
二次大戦終戦間近のフィレンツェ近郊の山村を舞台に黒人部隊の話
以下で背景等をご覧下さい
http://www.stanna-kiseki.jp/history/index.html リンクご容赦を
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はじめまして!通りがかりの者です。
イタリアって、なんて人間的なんだろう、と思いました。
あんな国だったら住んでみたいです。
2011/9/20(火) 午前 10:44
うさこさん、訪問トラックバックありがとう。
20代の時、ミラノに半年いました。まじめで誠実な友達もいます。イタリア人は、人生に真摯で誠実な人が多く、また家族愛、隣人愛に誠心誠意 心を傾けて、愛すべき人たちです。
原発事故以来の彼らの対応を見て心底から尊敬する国になりました。
2011/9/21(水) 午前 1:26 [ contemporary Eat & Art ]