|
size ; ϕ20cm x h 8cm
material; jap.Judas-tree ,japan / 材質;桂、漆
この作品の漆塗りを2011年 5月に開始していました。
http://blogs.yahoo.co.jp/k_i_a_r_i/28492252.htm
この年の311以降は発表する覚悟が定まらずグループ展示も不参加で通していました。
この状況下でいろいろの方法を模索し、漆も使いはじめました。
私は国家ジャパンの名称をあえて口にしない。ましてや君が国ならなおさら。
しかし、この列島に成り立った文化、そして人類何千年の証としての文化は、しっかり受け止め、そこから今を生きる私たちの思いを形にしたいと制作をしてきました。
漆は英語ではジャパンです。しかし私は漆の海外への関係をほとんど気にはしたことがありませんでしたから、うかつにもjapanなる英語もすっかり忘れていました。日本で使う漆のほとんどは中国からの輸入物ですし、デュポンの漆塗りのライターを買ってくるよう頼まれたこともありましたが。
私たちの時代になり、海の外の世界が特別なものではなくなったからでしょうか。
さて、私の制作上の原点は、奈良の仏像群と欧州美術館巡りで出会った多くの美術品です。
美術の世界に飛び込んだ初めての世界、美学校の木彫教場で、小畠さんからいろはの手ほどき受けます。砥ぎや手板の彫りといった伝統的な技術とならび、古仏を見る奈良京都への研修が教程でした。
私は美学校へ入る前は民俗学文化人類学調査や日本史が主な守備範囲でした。しかし、飛鳥 白鳳 奈良 平安(弘仁貞観藤原) 鎌倉と、仏像がそれぞれの時代を、生のままで見せていることに本当に驚き、ここに真実があると、とらわれたのです。そして、机上の空論、アームチェアの、、と否定してきた学問世界ではなく、このようないきいきした場所に身を置きたいと思ったのが今まで続けてきた原動力だと思います。
その3年後、半年強滞在した欧州の100カ所の教会美術館で、西洋の文化蓄積の洗礼を受けます。まず、ルーブルでエジプトやオリエントにはまり、例えば『ネフェルティティ像』を見たいとベルリンへでかけました。ゴッホをみるためアムスとクレラーミュラーへいったりと、白紙にちかかった頭、見えなかった目にそれらを擦り込んだのでした。
これらの巨匠たちが林立する中で私の立ち位置はどこにあるべきなのか、この東西文化遺産の中に生きる今の私が何をつくっていくのか、という問いが、通低音でいつも流れています。(いまは死語となりつつあるかに見える オリジナル ということもふくめて)
幸いなことに、巨匠たちの仕事に圧倒されて作らないという選択肢は全くありませんでした。子供の時から今までのまわりの方々に感謝しなければなりません。
一国の利益追求を旗印とした二次世界大戦後に生を受けた私達は、国境を越えた交流を、国家の枠組を気にせずに個人個人の関係でつくりあげてくることができました。
これは1968年前後の反権力の運動、反ベトナム戦争の世界中の動き、これに参加あるいは共鳴した若者たちが、会ったこともない見たこともない行ったこともない国の若者同士を信頼できたということが大きかったと思います。
私達は1975年に欧州へでかけましたが、パリのカルチェラタンは68の春の気配がまだしっかりと残り活況を訂していました。パルドンとシルブプレ、メッ(ル)シーしかいえないのに他人をなにか信ずることができました。ドーバー海峡を渡る船上や列車の中、駅頭、、、目線でだけコンタクトをとった行きずりの同世代の数々を思いだします。互いに人を信じられて良い時代だった。(勿論人種差別をする人や盗みが生活の人とかいろんな方もいましたが)
ことに美術家にとっては、未だ見ぬ人に向けて制作をするのですから、他者を信頼出来ぬとなりたたないのではないかと思います。
その意味でもこの旅は私を強くさせてくれました。
この他者への無条件の信頼も、名品の数々と共に、私の制作の原点です。
少し長引くので一旦この辺で止めておきます。
|
人との出会い 物との出会い 風景との出会い…
出会いによって(新たな)創造が生まれると私は思っています
私は衣や箱を制作していますが 原点は絵画です
描くことは対象を観察することに始まり 常に比較し続けることです
対象同士の位置関係 形 色彩 材質感 そして 自らの画面と…
外の世界に目を向ければ何かしらの出会いがあって
テーマを引き出して作品化することが出来るでしょう
およそ関連性のなさそうな事象を組み合わせれば
新たな展開が生まれるものです
私は建築プランナーの経験があります
建物を設計する際のコンセプトを考えるのです
水族館を中心とするテーマパーク(横浜八景島ですが)のコンセプトを
考えて考えて考えて 閃いたのが「現象建築」でした
その思想が完成された建物や島のランドスケープに生かされているかどうか…
途中で違う部署に回されたので見届けられませんでした
2012/5/2(水) 午後 5:42 [ JUN ]
建築家へ提案したのは「水は物体だが 滝は現象である」ということ
その思想は私の作品には連綿と受け継がれています
発光するスーツ然り 雨のドローイング然り…
そう 私は「現象人間」なのかもしれません
2012/5/2(水) 午後 5:49 [ JUN ]
出会いがなければ新たな展開はないと私も思います。
ちょっと卑近な例になるかも知れませんが、嫉妬や競争によっていろいろがすすむ現実があります。ここまで悪く言わないで刺激と言ってもいいでしょう。誰かある人が(同期のものとか近いがことにそうですが)オッと思うようなものを作る注目を集めるようなことをすると、私だってできるんだとアドレナリンが出て皆のレベルがあがる。
これも他人とであっているからこそ生まれる事象だと思います。
私が野外展を企画し実行した時に野外イベントがあちこちで生まれました。あいつがやれるんだからと。なんでごうづなんだと、ちょっと先行する作家にもろに言われたことさえありますから。
一人跳ねると皆走り出します。ガンバリましょう。 脱線だ〜
2012/5/2(水) 午後 6:02 [ contemporary Eat & Art ]
動きを固定化して表したいという欲求は常にあります。
また重量を無くしたいという希望も、、
彫刻ではないけれど、河原で地面のフロッタージュを石膏型でしたことがあります。春先に凍みて割れた石ころや、根を膨らませ始めた雑草。地面の雌型が季節を物語りました。
JUNさんのいう現象の固定化がうまくいったということでしょう。
村松画廊の隅っこに発表したら、本番の樹の林よりも「こっちのほうがおもしろいと東京画廊の先代にいわれてしまった。いまになったら完成度で彼の軍配は間違いではなかった。おしかったとはおもわないが。
2012/5/2(水) 午後 6:17 [ contemporary Eat & Art ]
年代もののような重厚な時間を感じます。
まさに集大成のような… ☆P
2012/5/2(水) 午後 6:44 [ ヒロメール ]
ありがとうございます時間を感じて下さるのはうれしい。
雑音に持っていかれないように時を刻めたらとおもいます。
(ときどき危ないんですが)
2012/5/2(水) 午後 7:32 [ contemporary Eat & Art ]