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古代の金銅仏半跏思惟像をきっかけとして朝鮮半島からの文化(仏像)の流れを、お勉強しています。
造像年のわかる仏像が極めて少ないために流路ルートがなかなかわかりません。そんなことで研究も少なめ。目の醒めるようなものい出会えることはなさそうな気がします。
まあ断定できるような結果がでないのが古代史ロマンということになりましょうか。
私は造形の作家ですので、あくまでも現物からモノをみるのが目的ですが。
さてソウルから戻り毎日国立中央博物館のサイトから国宝・宝物指定の所蔵品から、立体物を拾い集めています。いまは金銅仏以外、青磁、白磁、粉青沙器などと。
そうしているうちに昨日、興味を惹かれるものをみつけました。
宝物367号 阿彌陀佛碑像/忠清南道燕岐郡 碑巖寺/己丑689年/ 高さ42.5cm 国立清州博物館
国宝106号 [癸酉]673年銘 阿彌陀三尊 高さ42.5cm
宝物368号 半跏像반가사유비상 碑巖寺 高さ40.5cm
(レリーフ状の半跏思惟像があるとは考えていなかった)
ハングルをグーグル翻訳に入れて読んでいます(半分ほどもつかめないんですが)
三番目の像説明によると、全氏が王と彼の七代を弔うために造仏したとありました。
顔の部位がつぶれていたりですが衣装や背景のモノ等を見ると大層できばえの良いものです。
石の40cmほどのところにこれだけ彫り込める技術もたいしたもので金属とともに石の文化でもあるのかなと思いました。
このページ(ハングル、国宝宝物検索の11頁目)に同時代の新羅慶州の金銅舎利器外函の四天王がありましたのでそれも。
(三国統一を成し遂げた文武王の冥福を祈るために682年(神文王2)に創建された節、現在は同·西塔と寺の跡だけが残っている。 1959年西塔を解体復元した中三層塔新上面のサリゴンではサリー揃いが発見された。google翻訳のまま)
宝物1359号 感恩寺 統一新羅時代682年/30.2cm /1996東塔址解体時に発見
新羅慶州の金冠塚や金鈴塚の金冠などみごとですが、この3cmほどの箱の造形もなかなかみごとです。
このころの半島の技術がどんどん日本列島に流れてきて三月堂諸仏や戒壇院四天王像や興福寺の阿修羅像に結実し、天平の文化華開くとなったのだとこれらを見ることで確信出来ます。
今読んでいるものに、半島からの文化の流れルート図がありました
『実証 古代朝鮮』井上秀雄著 NHKブックス日本放送協会1992.1発行
画像サイズが小さくて見えにくいと思います。
私の2月14日記事の下の方に、中央博物館のサイト検索を書き込んでおきました
국립중앙박물관 これをクリックするか、韓国国立中央博物館で検索すると
始めにハングルでの頁が洗われます。
소장품 その下から2列目 右から3番目の소장품所蔵品をクリック
一頁に十数個の品の画像があらわれるので、見たいモノをクリックすると
その品だけが写る頁となりタイトルや時代、材質、サイズ等もみれます。
タイトルは漢字表記もあり、サイズは最初に高さ、続いて口径とか底の
直径とかが書かれています
上の百済仏像レリーフと慶州の舎利容器外箱は、12頁目にあります。
画像クリックして単一の頁になったら画像下の虫眼鏡マークをクリックすれば大きなサイズでみれ、その後 +マークを何度かクリックすると画面をはみ出す大きさで細部迄見れます。
ただ全身が現れる迄、かなりの時間を待たねばなりませんから、時間を消費する覚悟が必要です。(私は毎日数点と決めてやっています。謎解きの駒が増えていくようで続けています。)
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korean memo
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