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2年前に登録してはあったもののうごかしていなかったFBですがブログ仲間がそちらに記事を出しているということで、訪問しようと始めました。
ブログと違うのは実名でアップしていること。(私はブログも作家名、準実名でやっているのですが)
ずいぶん音信をさぼっている作家とも再度交遊をはじめられました。
ダブルで記事を書くほどの余裕もないのですが・・
ということで、此の記事は、フェイルブックに流した記事をWってアップしました。
(初の試み。いろいろしてみます)
実名登録世界で、主として知り合いの美術作家が読む訳ですが・・
『シンプルな形展 美はどこからくるのか』というタイトルで、森美術館が七月頭まで開催している。 ブランクーシとアルプ。あとはコンピューターアートを使った作家がナマモノとして出現させた形(おそらく。未だ見てないのに断定していいのかな)。
私は彫刻家でして、現出させる作品を決定する際には、私がこれだ、ここだ、というカタチ、が、を、決めることで、それが作品の誕生になる。
今、日々、作品を出現させている。恐れ多くも。
ふと思う。ブランクーシやモジリアーニのやり残したことをやっているような・・と。
ミケランジェロが死の直前まで試行錯誤していた、ロンダニー二のピエタの世界が、私ら彫刻にかかわったものの、感動で涙を催す、世界・ゴウの。
運慶はその地獄・極楽まではいかなかったようにも思うけれど。(15.6cよりもちょっと時代が前なんで熟していなかったか)
前世紀末、フォルマを追求しようとした時代があったけれども、世界大戦に翻弄されて初期的な段階、提起するところにとどまって、深化できなかったように思う。
何をカタチ化するのか。絶対的なカタチが、球体とか?球体にも微妙にいろいろあり得る。(地球だって引力によってゆがみがあるはずだし、そんなに簡単ではないと思う)
なんでもありだけれど、そんなに単純ではない よ。
彫刻は表面処理(カッコをつけること)で成立はしない。中がからっぽのものは・・
その物体が占める空間、バリアー、エリアーデ流に云えば聖なる空間、それがすべてだと思う。
森美の形展は行きたくないが、書いちゃったから行くしかないのだろうか。
日本に彫刻言語があったことあるのだろうか。
素敵な世界なんだけれど。
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