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松本の展示を見てお誘いをしてもらい、信州上伊那郡辰野町へ行ってきました。中央西線、中津川―松本間の鈍行に乗り、塩尻で中央東線に乗り換える。
この列車はワンマンカで、運転手に料金を払って下車します。
塩尻駅では、JR東海からJR東日本に変わる為か乗り継ぎに一時間以上のロスタイム。しかし私は鈍行列車を乗り継ぐのを楽しんでいるので一時間などヘノカッパ。
日曜の辰野線(地元ではそう呼ぶみたい)乗客5名ほどでした。
中央本線が明治三十九年(1906)に開通。当時の鉄道局長が伊那谷出身の者で「辰野まわり」と付け加えた裏技で伊那谷の入口へ迂回するルートになったそうだ。
当時辰野駅の、飯田線と中央本線の駅が離れていて、町は乗り換え客や貨物の積み替えなどでにぎわっていたそうです。
しかし、昭和五十八年(1983)に岡谷塩尻間が塩嶺トンネル開削で直に結ばれ、かってメインのこの線はローカル線に格下げされ、辰野の賑わいも下火となり、今は静かな町になっていました。 開通時に開業した旅館が残っています。中をみせてもらった。
手入れのいきとどいた木造家屋清潔な気持のよい空間です。
宴会場もある
諏訪大社の御柱のお札がかけられていました。
諏訪湖から流れる天竜川をこした展望台へもつれていってもらいます。
信玄が小笠原氏とこのあたりで戦い勝利し南下、長篠で信長に敗戦し上洛の夢が破れた。
この川は諏訪湖から流れ出す天竜川です。
午後は塩尻に向かう伊那街道を北上し小野地区を探訪しました。
無住になってしまっているお宅もある
これがかけられていたの鶴の間の釘隠しです
隣の家は小野光賢・光景記念館でしたが私設で余り開いていないようだった。光景は明治期に絹貿易で財を成し横浜商業の前進校の創立し、横浜商業会議所会頭、貴族院議員だったという。
旧道には筑摩書房の創立者古田晁記念館もある。
小野地区は秀吉の領土紛争裁定で小さな川を挟んで松本藩の北小野地区と南の小野(当時は高遠藩?)に分けられてしまった。(江戸期は直轄領で代官支配地。その為、塩尻洗馬地区や朝日村は高遠藩の飛び地となる)
同じ杜に鎮座する弥彦神社と小野神社へ向かう。
<つづく>
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いい感じの建物と室内ですね、景色も良い
ところで体調元どおりになられましたか。
2015/10/28(水) 午後 6:57 [ tamamokukun ]
はい体調は戻りました。
松本の展覧会で4日間坐ってばかリだったので、あっという間に足が弱くなって焦っています。作業しながら戻しています。弱まるのは早いのに、筋力はなかなかついてきません。若い人のようにはいかない。どんどん歩くのが一番でしょうが。
2015/10/28(水) 午後 7:44 [ contemporary Eat & Art ]
s信州はやはり、日本人の故郷0ですよね。私は小さい頃は九州でしたが、信州は故郷のような気がして,毎年、長野県のどこかに行っています。リンゴ好きなせいもあるでしょうが・・・
2015/10/28(水) 午後 8:24 [ toi***** ]
無事お帰りでなによりです
メイメイの勇姿もみました。ずいぶん一人前になりましたね。
この季節の信州は豊かで素敵ですが、住民は冬の到来の準備に追われて忙しそうですよ。
2015/10/28(水) 午後 8:46 [ contemporary Eat & Art ]